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連日TV、新聞で取り上げられている日大アメフト部による悪質タックル。ネットニュースで知って動画を見た時はその酷さに目を疑った。その後TVでも取り上げられるうちに悪質タックルの裏に更に悪質な問題がある事が分かった。

日を追うごとに日大への不満や批判が増える中、当事者である日大の選手が会見を開いた。勇気を出して名前も顔も出して会見に挑むとあったが、その時既にネットでは「悪質タックル 日大選手」と検索すると顔も名前も出ている状況だった。今更顔も名前も伏せる意味のない状況の中、本人の考えは名前を出さずに謝罪する意味がないというもの。その時点でこの選手には男気を感じた。

20歳になったばかりの青年。括りでは大人とはいえ、まだ学生であり少年と変わりない。会見の前までは指示した、していない。言った、言わないが繰り返され、日大の監督が謝罪する事もなかった。そんな中でこの学生は自らの行為を全て語り、相手選手に謝罪し、真実を語った。会見の前に大学側から圧力があったかは分からないが、はっきりと言い切った姿はとても素晴らしい事だと思う。

反対に日大側の謝罪会見は終始言い訳と嘘の繰り返し、質問によっては内容が変わったり、指示した事を認めるような言い回しをしていた。終いには「宮川君の言っている事は間違っていない」と自分達の嘘、指示を出した事を認めてしまっていた。そして司会の広報の態度にも憤りを感じた。
自分たちの謝罪会見で逆ギレ。会見を強行終了させ、更にメディアを敵に回した。日大ブランドは落ちないと言い切っていたが、危機管理のなさに呆れてしまった。

黒をいつまでも白と言い続ける日大と、自らの行為を謝罪し、黒は黒と言い切った1人の学生。

日大にはこれからどのような調査、捜査が行われるか分からないが、嘘に嘘を重ねた結果、今更指示はありましたとは言えないだろう。しかしながら井上コーチの「宮川君の言っている事は間違っていない」と言った時の表情は嘘を通すのはもう無理だというような表情に見えた。

NOと言えない日本人


黒を白と言い続けるのは日大だけではない。森友学園や加計学園の文書偽装問題等、これまでも隠蔽体質は多く見られた。僕も少なからずそういう場面と直面し、上からの指示で偽装に近い事をした事もる。宮川選手のように黒と言えなかった自分が情けない。だからこそ宮川選手の会見は男気を感じるのだ。

上からの指示に従わざるを得ない

何も偽装や嘘だけではなく、転勤や出向、はたまた左遷等、本人の意に反する事に対しては不満がありながらも従わざるを得ない事が多い。1人のわがままを聞いたていたらキリがないから従えないなら辞めるしかないという選択にもなってくる。外国ではどうなのか分からないが、グローバル化と言いながらも日本にはまだまだ精神論で乗り切れという考えが強いようだ。

宮川選手は自分の行為を認めて反省し、謝罪した。あのタックルだけを見たらとても許せるものではないが、これまでの経緯を考えると、とても可哀そうでならない。そして真実を全て語った姿はとても素晴らしく、男らしく思えた。

高校では楽しかったアメフトが大学に入ってから楽しくなくなった。自分にはアメフトをやる権利はなく、アメフトを続けるつもりもない

とても悲しい。その時の宮川選手の表情が悲しそうだった。

アメフトを辞めないでほしい、続けてほしいと監督とコーチは言っていた。それでもなお嘘と認めない。

年代別の日本代表に選ばれるほどの人材を見殺しにしようとしている。

宮川選手だけでなく、他の日大アメフト部員も同じようにアメフトが好きで大学日本一を目指して頑張ってきたと思う。そんな若者の青春を奪わないでほしい。夢を壊さないでほしい。

廃部にして他の大学に編入するなどの救済措置は取れないものだろうか。これではあまりにも選手が可哀そうでなりません。

もしあなたが選手で同じような事を指示されたら実行するか?の問いに対して井上コーチは、
「・・・すみません。それは言えないです・・・。」
それって卑怯じゃないですか?自分が言われて出来ない事(ある意味、相手がケガすると認識している)を立場を利用して20歳の青年にやらせるなんて

今回の事は縦社会全てに当てはまる。指示を出す上の人間は動く下の人間の気持ちが分からないといけない。自分に出来ないものは下の人間も出来ない。現場の人間っていつもそんな葛藤の中で生きている。生かすも殺すも人次第。ゆとりやパワハラとかそこには他にも難しい事が絡んでくるが、間違った事はしてはいけない。自分の信念を貫くという事は忘れないでいたいと思った。

今回の事は今後どのように決着するか分からない。ただ、1つ言えるのは月日が経てばほとんどの人が忘れてしまうだろう。しかし当事者の学生は一生その苦い思いを忘れる事なく生きていく事になる。どうか宮川選手には良い未来になっていて欲しい。そう願うばかりです。






超お久しぶりです


なかなか時間が取れず、不定期更新という半端くさいやり方もどうかと思い、全然更新しませんでした


今日は久しぶりの更新ですが、ブログ再開でも不定期更新でもなく、書いておきたい事があったためにブログに残そうと思い書きました


他のSNSに残す事も出来るのですが、特定されたくないのと個人の感想や想いを他の誰かに伝えたかったからという理由があります


知らない誰かにこの思いを伝えたい、聞いてほしいって感じでしょうか


興味あればこのまま読んで下さい







今日は映画「この世界の片隅に」を観てきました


先月、子供と妖怪ウォッチの映画を観に行った時、予告を観ただけで涙腺が崩壊しそうになった作品


公開はだいぶ前から始まったようですが、山形では今日から上映という事でした。今日がとても楽しみで早く観たい気持ちがありました


映画の舞台は昭和20年の広島


この手の作品は観ておきたい派ですが、アニメと嫁に行った女性がどう戦争に関わるのかが興味ありました








映画は主人公のすずが幼い頃からどう過ごし、どう育ち、どう嫁に行ったかから始まります


幼い頃から絵を描くのが好きで上手く、家の手伝いをよくする女の子


徐々に成長するすずは変わらず絵を描き、手伝いをする。子供から大人に変わっていくが、童顔の為幼さが残ったまま嫁に行く


のんびりな性格だが一生懸命に家の仕事をして夫に尽くそうとする


義姉が娘を連れて帰ってきて、精神的ストレスを抱えながらも尚懸命に仕事をする


自分が決めて嫁に行き、離縁して帰ってきた義姉と、決められた結婚で嫁に来て必死に生きるすず


対照的な女性の生き方が印象的な映画


また、厳しい戦時中に日本の一般庶民がどのように生きてきたががよく分かる映画でした


限られた物資の中でどう生きるか


雑草を料理し、知恵で量を増やす


僕らの祖父母世代が実際に生きた時代


悲しい戦争の中で懸命に生きる人間を描いた映画で戦争を違った視点から描ききっていました


空襲で姪と右腕を無くした


それまで幾度となく好きな絵を描くシーンがあった


腕を無くし、義姉から人殺しと言われ


それでも懸命に生きていく


自暴自棄になりながらも最後は夫に一緒にいたいと願う


この世界の片隅に生きるすず


切なく、悲しく


でもあったかい気持ちにさせてくれる映画だったと思います







現代とは違い、生活する事そのものが大変だった時代


テレビもなくスマホもない、姪の晴美が暇そうにして過ごすシーンは何か自分の子供と重なる部分がありました。兄弟がいないので退屈そうにする息子と重なってしまいました


ただ、子供はどんな状況でも楽しさ、楽しみを作り、自分で遊ぶ。僕もそうだったが、無きゃ無いなりに遊ぶ。今ではすぐ物に頼ってしまうけれど、そんなちょっとした事、自分が経験してきた事だけど忘れてしまっている大切な事も教えてもらった気がします


食べる物も今では溢れているけれど白いご飯を輝く目で食べていた時代


今では不自由と感じるだろうけど、当時はそれが普通


その中でも幸せを感じ、皆で笑い生きてきた


大切な人が戦争で亡くなる


戦争で亡くなったのは兵隊だけでなく、一般市民も多くいた。晴美のような幼な子もいた


戦争で受けた悲しみは癒える事は無いが、僕の祖父母達はそんな事を言わずにいた


現代人とは違う強さがあった


この映画ではそんな人達がどう生きてきたがが分かる。強い人になった理由がよく分かる作品でした


今の自分では絶対に生きていけないような気がする


この映画では命の大切さというよりも生きる事の大変さ、物の大切さがよく伝わる


当時をどう思い、どう生きてきたか


忘れかけている大切な物


よく分かった気がします







決められた人生でも自分次第で幸せに出来る


娘を亡くした義姉の自分で決めた事の末の事と言う言葉は僕の心に響きました


僕は悪い事が続いたりすると自分の人生を悔いる時があります


でもそれは自分が決めた人生であり、誰の言いなりにはなっていない


自分が後悔すれば自分が間違っていたと思えばいいと思っていたが、いざ苦しい状況にあるとその選択を悔やんでしまっている


何か自分の小ささを感じ、当時の人の偉大さを痛感してしまいました







もっと自分に厳しく


もっと物を大切に


もっと人との関わりを大切に


もっと人に優しく


もっと日本人らしく


そう思わされる映画でした






震災から5年が経ち

久しぶりに更新します。なかなか更新出来ずにいましたが元気に過ごしていますよ



昨日で東日本大震災から5年になります



5年も経ちますか・・・



早いですね・・・



こんな一言で済ませてはいけない日であるけれど、本当に早いです









5年前、強く長い揺れがおきて電気が消えた



その前にも地震があったが何もないまま過ぎ、今回も一時的な停電ですぐに復旧すると思っていた



しばらくしても復旧せず、ワンセグで情報を得ると仙台空港に津波が押し寄せる映像を見た



200人以上の遺体が確認されたと聞こえてきた



仙台は近いから何度も行っている場所。仙台空港は新婚旅行で利用した場所



そこが惨事と化していた



停電が続いて情報がないまま不安な夜を過ごした



カミさんの腹の中には5月に5歳になる子供がいた



不安でしかたなかった



鍋に米を入れ、ガスコンロで御飯を炊いた



反射式ストーブがこんなにも暖かいのかと感じた



日曜日に電気が復旧してすぐにテレビをつけて絶句した



自分達はまだ恵まれている・・・










食べるものはなんとかなった



だけど車社会の山形にとって、ガソリンがないのは致命的だった



3週間くらいはガソリン確保に苦労した



1000円限定だったり、1時間くらい並んで給油したり



電気、原発、ガソリン。様々な事を考え、節約しないといけないと思った










5年経ってどう変わったか?



被災地の復興はまだまだ進んではいない



仮説住宅暮らしが続いている被災者も多い



故郷をなくした人もいる



長く辛い生活を強いられている人がまだたくさんいる



被災者、被災地の傷はまだ癒えない



一方で僕らはどうか?



あれ程手に入れるのに苦労したガソリンも食品もあの日がなかったかのように物で溢れている



暖機運転のために長くアイドリングしている車も多いし、電気の消し忘れもある



節約、節電は一時的なものにすぎなかった



平和ボケじゃないけど震災で得た教訓はもう既に忘れている人が多いような気がする



またいつ大きな地震起きるかもしれない



首都直下型地震の可能性もあるが、こんな地震が起きれば日本にとって致命的な打撃になる



天災は防ぎようがないが起きてからどうすべきかを知ったはず



5年前、亡くなった方々、傷付いた多くの人が教えてくれた事を忘れてはいけない








今後10年、20年経ち、日本がどう変わるのか



そしてこの気持ちを忘れずにいられるか



それは僕ら自身にある



5年前に亡くなった多くの方々に哀悼の意を捧げます




お久しぶりです。かなり久しぶりの更新ですね…



今日は最近ハマっているゲームについて書いてみます



今、キャンディクラッシュにハマっています



今更⁈って感じですけどwww.



始めてから結構経ちますが、コツコツと続けていました



こんなステージ絶対無理や!と言うのが結構ありましたが、地道に頑張ってレベルを上げてきました



始めた頃は遥か上にあった工事中マーク



こんなとこまで行ける奴いるんか?って感じでしたが、今回ようやくそこまで行く事が出来ました!




イメージ 1
イメージ 2



レベル1235をクリアして工事中の画面を拝める事が出来ました



やっとここまで来たかとマジで嬉しかったです



この先も新しいステージが用意され、絶対こんなん無理!と言うのが出てくると思いますが、頑張って続けたいと思います



同じようにキャンディクラッシュにハマっている方がいれば一緒に頑張りましょう!

終戦70年目に思う事

久しぶりのブログ更新です



今日は70年目の終戦の日。今思う事を書き残しておこうと思います



70年目という事で今年はいつも以上に過去の戦争に対する番組が多い気がします



集団的自衛権行使、憲法改正。70年経った今日、日本はまた戦争に加われる国になろうとしている



過去の悲劇や戦後の苦悩を忘れてしまったのか…









前にも記事にした事があるが、祖父は出征して帰ってきた。祖父の兄は戦死している。小さい頃から祖父の家に行くと軍服姿の遺影を見て何か感じるものがあった。だが祖父にはなかなか戦争の話は聞けなかった。二十代前半で亡くなり、墓石には日付けと南方にて戦死とだけ刻まれている祖父の兄の事も




日本には祖父のような家族、祖父のような生き方をした人がたくさんいたんだと思います。色んな資料や色んなテレビで知った事もあります。国のためと言いながらもみんな家族を思いながら戦い、亡くなった。今と当時では考えや環境が全く違っていたが家族を思う気持ちは変わらない




赤紙を受け取り、3日後に出征。家族を残して。
僕には到底受け入れられない。
今、子供が愛しくてたまらない。そんな子供を残して戦地に行くのは絶対嫌だ
だが当時はそんなのが当たり前だった。拒否すれば死刑。行ったとしても死ぬかもしれない。そんな絶望的な状況でも行かなければならない。同じ気持ちには絶対になれないけど、思うだけで胸が苦しくなる。そんな苦しい思いをしながら出征した兵士はどれほどいただろうか




現在であっても当時であってもそれぞれに大切なものがあり、失いたくないものがあるのは変わりない。国が始めた戦争にそれぞれの思いがある人間同士が戦い、殺し合わなければいけない。日本人であってもアメリカ人であっても変わらない。今では考えられない事が起きていた




平和な日本の未来を願い、家族を思いながら多くの人々が亡くなった。兵士以外の民間人の多くも
今の日本は過去の事をどう思い、未来をどうしたいのか。戦争は人間を狂わせる。同じ悲劇を二度と繰り替えなさないと誓ったのを忘れてはならない




書きたい事はたくさんある。ありすぎて書けない。ただ家族や子供を思えばやっぱり命は大切にしなければいけないと思います




戦後産まれた世代が日本人の8割以上を占めている。戦後80年には従軍したほとんどの方が残っていないと思う。そして戦後90年、100年となれば戦争を知っている日本人はいなくなってしまう。先の大戦で失った多くの大切なものを忘れてはならないと思うが今よりも経験した生の話を聞く機会がなくなれば次第に薄れてしまうのが怖い
自分が知っている戦争の事は子供にはしっかりと話していこうと思う





なかなかまとまらない文章になってしまったけど、当時の人達の思いだけは絶対に忘れずに生きていこうと思う70年目の終戦の日です

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