| 東北地方太平洋沖地震が発生した3月11日、 E−mailのアドレスを貰っている友人達に安否確認のメールを送った。 被災直後の混乱の中ですぐにメールが返ってくるなど思わず、 E−mail=電子的手紙と言うことでのんびり待つことにした。 しかし、 一月の月日が流れて地震被害だけなら通信環境が復旧しただろう、 今になっても何のリアクションもないのは無視された? 社会人故の忙しさ、生活リズムの違いから普段の連絡が取れず、 疎遠になったとは言えオジサンは友人だと思っていた相手も オジサンのことを友人と思っていないんだろうな〜 |
| 友人だと思っていたが、仕方あるまい。 |
| 緊急時において連絡を入れる入れない、安否を返す返さないは 被災地でもなければ疎遠になった人間関係の整理で縁を切る 一番簡単な受動的見分け方だからね。 |
| 逆に意外と切れないのが血縁。 遠い親戚で連絡が取れて初めて知る事実もあり、 福島に本家筋の親戚が居ることは知っていたが・・・ |
| 本格的な被災地で連絡リストを失い、 親戚の間で連絡先を教えあって先週ようやく安否連絡が届いたが まさかの“3km圏内”も含む罹災者となっていようとは |
| 世の中は狭い! |
| そして意外にタフだ。 |
| 安否連絡はあり、帰宅の目処が立たない中で早々に疎開したそうだ。 必要なモノがあれば送ろう、とも思ったが、支援は求められなかった。 オジサンに親から詳しいことが知らされなかったと言うことは 親の代で親戚付合いから外れるつもりだったのだろう。 実際、 オジサンには子供の頃の法事で会ったかもしれないぐらいの遠い親戚、 際限なく親戚関係を引きずる必要がない。と言う両親の考え方からも あえて伝えなかったとも考えられる。 |
| しかし、被災した全員が無事と連絡があったことで 遠く離れて疎遠になっても血縁の結び付きは強いものだと思った。 |
| 遠くの親戚よりも近所の他人と言うが、 今の時代は近所の他人も遠く、 少し疎遠になっただけで友人関係も解消される現代、 何かあった時は頼らなくてもいいから 親戚にだけは安否確認の連絡だけは入れた方がいいと 今回の震災では学んだ。 |
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