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世界で初めて原爆が投下された日と言うことで 毎年この季節になるとブンブンうるさい薮蚊の羽音のように聞こえてくる感情的な報道は見たくない。 戦争に関わる感情的な話は亡き祖母が母に語った話だけで充分だ。 オジサンは戦後第二世代、 オジサンの両親も戦後第一世代で当然戦争の経験はなく、 戦争に関わる話は祖母から聞いた母が話してくれた話が唯一だが、 どれほど多く語られようとも肉親の語った数少ない話に勝るものはない。 戦争に関わる話はゴロゴロとあるが、 付け合せてみれば多くの矛盾が出てくる。 8月6日「原爆の日」とされて反核反戦一色になるが、 正直そんなものはどうでもいい。 「原爆被害について語り継ぐ」と言っているが、 修学旅行で押し付けがましく聞かされた話から何も変わらない感情論から全然変わっていない。 始めて聞かされた時の記憶が後々にまで影響を及ぼすとすれば オジサンにとって押し付けがましい話でしかなく、 広島に落とされた原爆について一歩踏み込んで知る障害でしかない。 当時を知りたいと思い、その調査の妨げとしかならなかった感情論にどれほどの価値もない。 必要なのは感情論でなく感情で動いた当時の社会の実態であり、 主観を抜いた情報である。 母に話してオジサンが子供の頃に聞いた話は極めて単純だ。
祖母の話は多分に感情的なものであっただろう。 しかし、戦後生まれの母から聞かされた段階で「〜と、おばあちゃんが怒っていた。」と、 母の主観で祖母の感情的話から感情の部分は抜け落ち、 重要な情報と教訓に変わった。 そう、当時まだ子供ながらに思ったね、
そして、この考え方のお陰で苦労させられることとなった。 歴史を調べるとき「歴史に if はない」とされるが、 歴史に対する興味の原点が「ボクが生まれることはなかった」とifに始まるため、 歴史を学ぶ姿勢そのものが矛盾の上に成り立つこととなった。 歴史の授業とは、 その時代に生きた人間が存在しない年号と出来事の羅列を丸暗記させられること ばかりを強要され、 最後の最後に太平洋戦争があって
毎年同じことが繰り返し憶えこませようとする歴史の授業は嫌で仕方なかった。 その時代に生きた人々を描いた歴史物が好きな一方で歴史が嫌いと矛盾した状態を取り払ってくれたのが学生時代最後の年に「社会」を受け持った先生の授業だったかな? '''歴史は全てが関連付けられた出来事の中で説明でき、 前後の出来事が判っていれば空白となって抜けている部分も判る。''' 確かそんな感じで日本史と世界史を結び付けたスタイルの授業だった気がする。 日本では教えていない「地政学」のさわりの部分だったのではないかと今では思い、 この先生のお陰で歴史が好きになったと言っても過言ではなく、 学業としてではなく趣味として歴史を調べられるようになった。 オジサンは趣味として鉄道と言うジャンルに大きな比重を持つが、 日本における鉄道史は必ず密接に戦争が関わってくるため、 交通史や郷土史で資料と共に正しく伝えられているものでさえ 戦争に関わるすべてを否定する勢力の妨害で 実態から歪められたものとなっていることが少なくない。 前後の歴史につながらない事象が忽然と存在しているのだ。 8月6日の原爆の被害に始まる太平洋戦争関連の反戦運動と呼ばれる活動はその象徴であり、 戦後第二世代のオジサンにとって最も身近な戦争体験を否定する運動でしかなく、 いつまでもつまらない狂言イベントを続ける気だ?と、迷惑に思っている。 主観的には正しくとも資料漁りを行なう者にとって「嘘」となる宣伝広報は積み重なるほどに 真実さえ嘘臭く聞こえてしまい、 原爆投下の正当化する対として毎年数字が増える資料なき南京虐殺があることからも、
オジサンはぼやきが漏れる。 どんなに悲惨さを叫ぶ戦災経験でも直接戦火を経験したというだけで ズルをした結果、被害者となった者もいる我が身に関わる身近な戦争体験も存在し、 それを「歴史にifはない」と否定された気分へ貶められるイベントなんて 被災者当人までも同情する気になれなくする愚かな行為だ。 まぁ、そうした他人の不幸を飯のタネにしている連中がでっちあげた幻想ってメッキは剥げているけど。
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