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日本鬼子の代表デザイン候補 エントリーナンバー9番
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前原氏は「トラブルメーカー」=外相更迭を要求−中国系香港紙 【香港時事】中国系香港紙・文匯報は30日の社説で、前原誠司外相を「中日関係のトラブルメーカー」と非難し、日本政府に更迭を要求した。別の中国系紙・大公報の社説も前原外相を両国関係改善の「障害物」と決め付けた。
香港の中国系メディアが外国閣僚の解任を求めるのは異例。両紙は中国共産党中央の指導下にあり、これらの社説は同党内で前原外相を敵視する意見が増えていることを示している。 文匯報は前原外相について、(1)9月7日に尖閣諸島近海で海上保安庁巡視船と中国漁船が衝突した事件で、海保を管轄する国土交通相として漁船船長の逮捕を主張した(2)同事件で中国側の反応を「ヒステリック」と中傷した(3)日中間で尖閣の領有権問題を「棚上げ」したことを否定した−などと指摘。「日本政府が外相を更迭しなければ、日中関係の改善は難しい」と主張した。 両紙はいずれも前原外相個人を集中的に批判し、菅直人首相や日本政府全体への非難は避けている。 (2010/10/30-17:49) http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010103000277 「トラブルメーカー」「更迭を」 中国系メディア 前原攻撃激化 【北京=矢板明夫】30日付の中国各紙は、日中首脳会談を中国が拒否したことについて、「日本側が会談に必要な雰囲気を壊した」と一斉に日本批判を展開した。中国系香港紙「文匯報」は同日付の社説で、対中強硬姿勢を示す前原誠司外相を「トラブルメーカー」と批判し、日本政府に対し外相の更迭を求めた。中国政府の影響下にある新聞が外国の閣僚人事に口を出すことは異例で、共産党指導部の意向を反映している可能性がある。
北京の大衆紙「新京報」は、胡正躍外務次官補がハノイで発表した「日本は他の国と結託し、釣魚島(尖閣諸島)問題を再びあおった」とする談話を1面トップで掲載し、28日の日米外相会談で、尖閣諸島は日米安全保障条約の範囲内と強調した前原外相の最近の言動への不快感を示した。 「文匯報」は、前原外相を名指しで批判。中国漁船衝突事件で船長の逮捕を主張したことや、中国の対抗措置を「ヒステリック」と批判したなど具体例を挙げ、「日本政府は外相を更迭しなければ、中日関係の回復は難しい」と主張した。「文匯報」と同じく中国政府の影響下にある「大公報」も前原外相を「中日関係改善の障害物」と決めつけた。 中国メディアが展開する一連の対日批判は、菅直人首相や民主党には触れず、前原外相の個人に集中しているのが特徴だ。 この背景には、前原外相の対中強硬姿勢がネットなどを通じて中国国内に広がれば、反日デモに再び火がつき、社会に対する不満層も吸収する形で反政府デモに発展することを警戒する指導部の懸念がある。日中問題の研究者は「彼の発言は国内の不安定につながる」と分析している。 中国側には、前原外相を交代させるか、またはその対中強硬発言を封印させるかを求める、日本政府へのメッセージとしたい思惑があるようだ。 2010.10.30 21:32 http://sankei.jp.msn.com/world/china/101030/chn1010302134005-n1.htm
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「1番機」で火花=ANAとJAL−羽田国際化 1番機はANAかJALか−。31日の羽田空港の本格国際化。最初の出発便をめぐり、全日本空輸と日本航空は火花を散らした。
時刻表ではもともと、全日空のロサンゼルス便と日航のサンフランシスコ便がともに午前0時5分の出発だった。 先に仕掛けたのは全日空。事前に0時ちょうどへの変更を国土交通省に申請し、26日に正式な許可を得た。日航は30日夕になり、羽田空港内の案内板に表示する出発時刻を0時に変え、乗客に早めの搭乗を呼び掛けた。 日航担当者は「1番機を取りたいのが本音」。全日空担当者が「当日の変更なんてあり得ない」と言えば、日航側も「先に変えたのは全日空」と譲らない。 客を乗せ終え、搭乗口を離れる許可を管制塔から早く得るのはどちらか。結局、日航便が0時4分に離陸、3分差で勝負を制した。不毛にも見える争いだったが、安全だけはお互い譲らずに−。 (2010/10/31-00:30) http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2010103100005 1番機競争、日航制す 全日空出発は3分後 羽田国際定期便 羽田国際定期便の1番機はどっちか−。日航と全日空が30日から31日にかけ、歴史に残る初便の座をめぐり火花を散らし、両社が激しい争いを繰り広げた。最終的には日航が勝利、社員らは満面の笑みを浮かべた。
羽田空港から出発するJALのサンフランシスコ行きの便を見送る職員ら =30日午後11時42分、東京・羽田空港(荻窪佳撮影) ロサンゼルス線初便を見送る全日空のスタッフ =30日午後11時52分、羽田空港 両社の定刻出発時間はもともと、ともに31日午前0時5分。日航がサンフランシスコ行き、全日空がロサンゼルス行きだった。 ところが、全日空が午前0時発に繰り上げ。後れを取った日航が1954年、国内航空会社として初めて国際線を就航させたのは同じサンフランシスコ便。プライドをかけ、譲れない日航は30日午後11時42分に駐機場を出る離れ業を繰り出し、31日0時4分には離陸した。全日空も遅れじと午後11時51分に動きだしたが、離陸は0時7分。3分で涙をのんだ。 2010.10.31 14:37 http://sankei.jp.msn.com/economy/business/101031/biz1010311439005-n1.htm
成田空港の日常的な見送り光景
日本航空:貨物専用機、最終出発便離陸 半世紀の歴史に幕 /千葉◇物流支えた「縁の下の力持ち」
50年以上にわたり世界を飛び続けた日本航空の貨物専用機が今月で姿を消す。最後の出発便6便が30日、成田国際空港から各地へ向け飛び立った。競走馬、F1カー、絵画、被災地への救援物資……。さまざまな貨物を運んで物流を支えた“縁の下の力持ち”としての歴史に終止符を打つ。【山田泰正、斎川瞳】 午前と午後の2回、貨物地区の駐機場で行われた記念行事では、社員らが「今までありがとう」と書かれた横断幕を掲げ、機体をバックに記念撮影をして別れを惜しんだ。大雨にもかかわらず、大勢の社員が整列して出発機を見送った。 入社以来、17年間貨物一筋というJALカーゴサービスの江見浩丈さん(40)は「いつか来るはずの貨物便再開の日までノウハウやスキルを伝承したい。貨物機は当たり前のようにそばにいて、仕事のいろはを教えてくれた仲間。『ありがとう』って伝えたい」。 最終便は午後10時半発のアンカレジ経由シカゴ行き。櫛野圭司機長(43)は「高級車や精密機器など、搭載物で世界の動きが分かる貨物は、時代を映す鏡。物流の一端を担っているという意識で飛んできた」と振り返り、「フライト前にはいつもエンジンに触れ、『今日も頼むぞ』って話しかけた。自分の子供のようで、エンジンの音一つで機嫌が分かった。これで最後かと思うとやるせない」と残念そう。 同社の貨物専用機の歴史は古く1959年、サンフランシスコ線に4発プロペラ機のダグラスDC4を投入したのが始まり。翌年には米国の航空会社との競争に備えてジェット機も導入し、ピーク時の07年には26都市に週77便を運航した。 72年に上野動物園で公開されたパンダの「カンカン」「ランラン」や無敗の3冠馬として有名な競走馬「ディープインパクト」の輸送も請け負った。78年の成田空港の開港時、到着第1便の大役を務めたのも同社の貨物機だった。 86年にはフランスワインを満載したパリ発成田行きのボーイング747がアンカレジ上空を飛行中、「UFO(未確認飛行物体)と遭遇、50分にわたり追尾された」と管制機関に報告していたことが明らかになり、米国連邦航空局(FAA)が調査に乗り出すなど話題を呼んだ。 同社は航空貨物事業を分社化し、日本郵船子会社の日本貨物航空(NCA)との統合を目指していたが、3月に統合断念を発表。専用機による貨物輸送を取りやめる方針を明らかにしていた。すべての貨物機が帰着する11月1日には成田空港で記念行事を開き、社員が機内を清掃するなどして長年の活躍をねぎらう。 10月31日朝刊 http://mainichi.jp/area/chiba/news/20101031ddlk12020117000c.html 日航:専用機の貨物事業撤退 各地へラストフライト出発貨物専用機の前で記念撮影する日本航空グループの社員たち =成田国際空港で2010年10月30日、長谷川直亮撮影 経営再建中の日本航空が専用機を使った貨物事業から撤退することになり、各地への最後の便が30日、相次いで成田国際空港を出発した。今後は旅客便の貨物室を利用する形で事業を継続するが、保有する9機は売却やリース解除を進める。 朝からジャカルタやフランクフルトなどへの計6便が社員に見送られて離陸。最終便は午後10時半発の米アンカレジ経由シカゴ行きのボーイング747貨物機で、櫛野圭司機長(43)は「何とも言えない寂しさがある。専用機はなくなっても、貨物を安全に運ぶノウハウは引き継いでいきたい」と話した。 日航の貨物専用機は1959年、羽田−サンフランシスコ線を開設したのが始まり。ピーク時の07年は14機体制で26都市に荷を運んだ。【山田泰正、斎川瞳】 毎日新聞 10月31日(日)11時56分配信 http://mainichi.jp/select/biz/news/20101031k0000m020020000c.html
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