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臓器移植問題

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臓器移植法 4

最も受け入れがたい改正法案が通ったようで

成立12年、ようやく改正へ=「脳死は人の死」に懸念も−臓器移植法

 「日本人の命、日本で救えるように」。患者ら関係者が長年求め続けてきた臓器移植法改正は、小児も含め脳死移植に広く道を開くA案が衆院を通過した。3年後をめどに見直しをうたいながら既に12年。ようやく動きだしたが、一律に脳死を人の死とすることには根強い反対論もある。
 移植患者団体などが4月に国会議員に向けて開いた集会。米国での心臓移植を目前に1歳4カ月の息子を亡くした中沢啓一郎さん(37)は「米国の医師に『どうして日本の子はこんな状態になるまで来られないのか』と言われた。これ以上私たちと同じ悲しく悔しい思いをする人が増えてほしくない」と訴えた。
 15歳未満の脳死臓器提供が認められていない日本では、小さな子の心臓移植はほぼ不可能。莫大(ばくだい)な費用を募金に頼って海外に渡るしかなく、募金活動の間に「息子の命は減っていった」と中沢さん。渡航移植への国際的批判も背景に、議員の間でも国内で小児脳死移植を可能にしようとの機運が高まっていた。
 一方で、脳死を人の死とすることには宗教界や法曹界、交通事故遺族の会など、さまざまな方面から反対がある。国会での慌ただしい動きに、改正に反対する医師らが先月、「移植を受ける人と提供する人の救命は表裏一体。審議は慎重の上にも慎重であるべきだ」と緊急声明を発表した。
 脳神経外科医の山口研一郎氏は「医療の進歩で(現行法制定時より)もっと脳死イコール人の死ではない状況となった。親は子供の体が冷たくなって初めて死を認められるもの」と指摘、早急な結論に危機感を表した。
(2009/06/18-13:42)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009061800447

小児脳死移植、解禁へ一歩=「死」論議や救急医療、問題山積

 家族の承諾のみで脳死臓器提供を可能とする臓器移植法改正A案が、過半数の賛成を得て衆院を通過した。子供の脳死移植に道を開く第一歩だが、現行法の枠組みを大きく変えるだけに慎重論は強い。とりわけ、臓器提供者(ドナー)となる子供の人権をどう守るかの議論は緒に就いたばかりで、成立までには多くの困難が予想される。
 A案は4案の中では唯一、明確に脳死移植を増やすことを意図しており、提出議員らは「提供する側と受ける側の権利が等しく保障される案」と主張する。「脳死は人の死」を前提に、広く臓器提供を解禁しながらも、それを認めない人は脳死判定を拒否できるためだ。
 しかし、脳死を人の死とすることに抵抗感は依然大きく、土壇場で新たな対案が提出されるなど混乱も。国会審議では「『脳死は人の死』が移植以外に波及する可能性がある」「社会的合意はまだない」と異論が噴出した。
 さらに、子供は脳の回復力が強く脳死判定に慎重さを要することに加え、救命救急医療の体制や虐待の有無の見極めなど、解決すべき問題は山積みだ。法改正と併せ、「脳死は人の死」を受け入れる人も受け入れない人も、ともに納得して家族をみとることのできる環境を整える必要がある。
(2009/06/18-13:41)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009061800446

この法律ができる前の論議が再び繰り返される状態へ戻っただけで
脳死を人の死と認めるか否かを国会では決められなかった
と言うことですね。

枠組みは作っても合意に至るプロセスがごっそりと抜け落ちているので
脳死臓器移植は今までと何ら変わることなく進まないと見た。


オジサンは脳死後の心臓が止まるまで看取るつもり。
臓器移植の必要性は認識していても感情的に受け入れられないことは受け入れられない。

死について 2

委員会の討議も結論が出なかったことにどの勢力も希望を強めていますが
投票方法にかなり問題があり、現状維持という選択肢が改正案不成立でしか存在しなく、
どれかに成立させることを目的化した立法と言うのもおかしな話です。

臓器移植法改正、16日にも衆院採決 有力2案も賛否交錯

 臓器移植法改正案の審議経過が9日の衆院本会議で中間報告され、来週にも本会議で採決される見通しとなった。15歳未満の脳死移植に道を開く2案の一騎打ちの情勢だが、心臓死ではなく脳死を「死」とするかで対立、15歳以上の提供条件を巡って判断が割れている。4つの改正案が本会議で採決されるのは異例で、成否を左右する採決方法も注目されている。

 1997年施行の現行法は「臓器を提供する」と本人が書面で意思表示したうえで、家族の承諾を条件に法的脳死判定と脳死移植を認めている。このため民法で意思表示が法的に有効とされていない15歳未満からの臓器提供ができない。
(07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090609AT1C0800I08062009.html

移植法改正案で中間報告へ=来週採決で調整−衆院

 衆院は9日午後の本会議で、異なる4案が提出されている臓器移植法改正案について、衆院厚生労働委員会での審議の中間報告を行う。委員会採決を省略するための手続き。与野党は16日の本会議で採決する方向で調整している。
 4案は、(1)臓器提供の年齢制限(現行法15歳以上)を撤廃するA案(2)提供可能年齢を12歳以上に引き下げるB案(3)脳死の定義をより厳格にするC案(4)15歳未満からの提供を家族の承諾などを条件に認めるD案。
 衆院厚生労働委員会の田村憲久委員長(自民)が審査経過を報告した後、4案の提出者が5分以内で意見を表明。ただ、多くの政党は「議員の死生観にかかわる問題」として党議拘束を外すため、いずれの案も過半数を得るめどは立っていない。
 自民党の大島理森国対委員長は9日午前の党正副国対委員長会議で「16日の本会議で採決することにしよう」と述べた。(2009/06/09-10:13)

http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2009060900070

死に対してどう向き合うか?
その根幹的な部分に最も近いようで遠い臓器移植を希望する側の考えを主体に進められてきたが、
日本の臓器移植医療で心臓移植の出発点が「殺人」とされた時代からどれほど変わっただろうか?

少なくとも「提供する側」の意識の変化は生じている。
しかし、あくまで本人の意思を確認できる「自分で考えて答えを出せる人」の中から応じても良いと手を上げているに過ぎず、法改正も「需要があるから供給を増やせ」と言う乱暴な意思の強要であるならどのような改正案が成立しても実態が伴わないものとなる。


オジサンの認識では「脳死」を人の死と認めることにかなり抵抗がある。
乏しい医学知識から現行の「脳死」は大脳機能が回復しない状態と認めることはできても
医学的に「植物状態」と差異は回復しない状態の一点に過ぎず、
生命維持を掌る脳幹は生きようとしているんだよね。
そして脳幹部分の死が心臓を鼓動させる信号の停止となって「心臓死」となり、
肉体的な死において脳死と心臓死の間に時間が生じることまでは理解できる。

もっともこれは頭で考えたことに過ぎず、
鼓動が止まっても死を死と受け止められるかは別の話。
心臓死を確認できても死んだことを受け入れるには相応の時間が必要だと思う。

いかに法律で「死」と定義付けても、
死んだことを受け入れられる時間が必要なこと
はまったく別の話。

法的に脳死移植のハードルを下げた形になっても
まったく次元の異なる心の問題に手付かずのまま残されているため
現実が伴わずに進められた「法律はできたが実態は変わらない」と言う今の脳死移植が進まない状態と変わらず事態は好転しないだろう。


ここまで考えて不意に脳裏に浮かんだ疑問として
脳死判定が正確なものだろうか?
と言う最も基本的なところ、医療に対する信用へ立ち戻ってしまうわけです。

日本の脳死移植が抱える最大の問題点は生死の境が曖昧な点にあり、
その線引きに世論合意が全く成されていないこと。
死の線引きで最大多数になるであろう「心臓死」でさえ
臨終に立ち会ってなお死を受け入れるのに時間が必要な死生観と共にあるのだから
鼓動もあり肌も暖かい眠っているような状態で「脳死です」と言われて受け入れられるだろうか?
もしその場に立ち会うことになればオジサンは間違えなく
「そんなことはない!」
と言い切るね、自らの主観を信じて。

医師に「脳死」と死を宣言されても受け入れられない感情論へ走るであろうオジサンは
あまりにデリケートな問題だけに冷静な今でも感情論抜きの理屈で考えをまとめられなくなり、
これ以上「脳死」に関して考えられなくなる。
単純に反対を唱えるだけなら考えなくてもいいのだが、おそらく正解のない問題でありながら目を背けられないから難しすぎる問題でも考えることは止めたくないという一線に留まっているに過ぎない。



実体験に基く投書が伝えたものが「頭だけの理屈」を壊した?
その先に考えて出した答えへ練りきれていないようで、
当事者の言葉は重い…

死について

産経ニュースの「風」連載で考えさせられる内容も多いが、
根本的な前提条件が異なる事例を持ち出して比較するのはどうかと思う。

死体崇拝へ陥らないよう戒めるキリスト教の思想的背景を前提として発展した現在の脳死移植は
死後の肉体を「モノ」と認識する素地があって成立している面が大きく、
死後も死体を「ヒト」として扱う日本で一般的な認識と大きく乖離したものである。

死後の肉体を「モノ」として扱うか「ヒト」と認識するか?

前の文で言葉を入れ替えただけでもオジサンには明確な意識の差が感じ取れる。
モノであれば切り刻むことに何のためらいもないが、ヒトであればどうか?
その境界の線引きがまったく違うからこそ抱く違和感と言うものがある。

オジサンにとって死体を見て「ヒト」と認識するか「モノ」と認識するかと問われれば「ヒト」と答える。
死体に対して「ヒト」と認識するから「供養する」と言う意識が生じるのは宗教的な側面であろうが、
死体を見て「死んだヒト」と認識しても「モノ」と認識する感性は持ち合わせていない。

不謹慎な例えであるが、
日本料理には「活け造り」と言うジャンルが存在する。
生と死の狭間にあって「新鮮な食べ物」と認識しているだけで
食材が生きているか死んでいるかを考えるだろうか?

先にも使った言葉の入れ替えで
生と死の狭間にあって「ヒト」と認識している
生と死の狭間にあって「モノ」と認識している
とした場合、どうであろうか?

「新鮮な食べ物」も「ヒト」も状態の変化に関わらず同一性を保ち、
「ヒト」を「モノ」と見なせるような認識の変化はない。

と、オジサンの中では矛盾がないんだけど…よくわからん!


臓器移植法改正工作

こういうことで多数派工作など行ってほしくない!

臓器移植法改正案に4案 多数派工作が過熱

 国会に4案が提出されている臓器移植法改正案を巡り、各案の支持者による多数派工作が過熱してきた。一部には「移植拡大は必要だが、『人の死』の定義変更には抵抗がある」との折衷案に一本化する動きもある。

 「A案以外では臓器移植は進まない」。自民党の河野太郎衆院議員らは19日、古賀派と二階派の事務所を訪れ、移植を受けられずに多数の人が亡くなる現状の改善を訴えた。A案は移植を推進するため大幅な条件緩和策を盛った内容。ただ、「脳死を人の死とすることに社会的合意は得られていない」といった慎重論も多い。(07:02)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090520AT3S1902R19052009.html

臓器移植法改正めぐり討論会 初の4案そろい踏み

 臓器移植法改正のA〜D案の提出者が初めて一堂に会した討論会が19日、国会内で開かれた。政策シンクタンク東京財団(加藤秀樹会長)の主催。

 A案の冨岡勉議員(自民)は「日本では脳死移植が進まないため生体間移植が行われている」と主張。「脳死は人の死」と位置づけ、本人の意思表示がなくても、家族の同意で提供できるよう求めた。

 これに対し、D案の岡本充功議員(民主)は「死の判定を促進し、移植を進めるのは筋が違う」とし、現行法通り、本人意思を臓器提供の前提にすべきだと主張した。

 B案の石井啓一議員(公明)、C案の阿部知子議員(社民)は、虐待児からの臓器提供を見抜く仕組みや小児の脳死判定基準が整っていないことを指摘。子どもからの臓器提供の解禁には十分な議論が必要との考えを示した。
2009年5月19日23時15分

http://www.asahi.com/politics/update/0519/TKY200905190401.html

真面目な議論の末に決まることならまだしも、
法案を通すことが目的と化した議論なら改正の必要はない!
と言うことで、オジサンは非常に不愉快です。

そもそも「部品取り」を前提としたA案の乱暴さが際立つのはその他3案でそれぞれに問題視していることが異なっていても「人の死」に対して共通する判断しない態度があるからか?
このような明らかな世論の了解を得られない法改正に対して変えないと言う判断も時として必要だ。


そこで考えさせられた記事
【風(3)世界で最も厳格な日本の判定】
2009.5.18 14:53

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090518/bdy0905181454013-n1.htm
【風(4)・「脳死」を再び考える】臓器移植法改正「移植の可能性求め…A案」
2009.5.19 14:37

http://sankei.jp.msn.com/life/body/090519/bdy0905191439021-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090519/bdy0905191439021-n2.htm

再び目を覚ますことのない状態へ陥ったとき、
移植で助かる命を助けたいか?
助けることを誇りに思えるか?
この視点が完全に抜け落ちていた。

しかし、それを考えた末にあるべき議論が結論と共に先に立っている現状では
風(2)の考えに対して考えることすら「脳死を人の死」と肯定すると取られかねず、
話題にすることさえできない環境を創っているのではないだろうか?

う〜ん…オジサンの一般的倫理観から外れた倫理上問題のある発想も
そこへ至る経過の思考が抜けているだけで、
風(3−4)の先にある考え方として矛盾しないことに気付かされた。
もっとも、だからといって脳死を人の死と認めるか?と問われれば「NO!」だけどね。

今、国会では
移植医療を目的とした手段の1つについて異なる意見が飛び交うものの、
その実態は手段の1つに過ぎない「法整備」が目的と化した議論に過ぎず、
法整備以前に必要不可欠な社会的認知の過程をすっ飛ばした先で空回りしているだけの
不毛な議題で言い争いが行なわれているに過ぎないわけか…

社会的に「生体移植」は認められても「脳死移植」は認められない状態にあると見て
風(2)で語られた脳死を強要させられるものと、
オジサンは「部品取り」に拒絶反応を示しているのかもしれない。

臓器移植法 3

これで改正案そのものが流れたな。

臓器移植法、改正「第4案」を提出 成立めどは立たず

 自民党の根本匠、民主党の笠浩史両衆院議員らは15日、臓器移植法の新たな改正案を議員立法で国会に提出した。家族の同意や医療機関の倫理委員会などの承認を条件に、脳死状態となった15歳未満の臓器提供を可能とするのが柱。与党はすでに提出されている3案と併せて今国会中の採決を目指すが、意見集約は進まず、現時点ではいずれの案も成立のめどが立たない状況だ。

 現行法は脳死後の臓器提供について、本人の意思表示と家族の同意がある15歳以上に限っている。新案では(1)15歳以上は現行通り(2)15歳未満は家族の同意と第三者委員会の承認があれば提供可能――とし、現行法の枠組みを大筋で維持したまま子どもの脳死移植に道を開く内容とした。

 与党は来週にも衆院本会議でこれまでの審議内容を報告し、今国会中に本会議で4案をそれぞれ採決する日程を描く。出席議員の過半数の賛成で成立するが、票が分散すればすべての案が廃案となる可能性もある。(07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20090516AT3S1501P15052009.html

政治的には妥当な妥協案なんだろうけど、
ことが人の生き死にの線引きに関わることで
オジサン、揺れています。

そして意見が揺れる時はまだ変化する時ではないと現状を変えないと言うことで。

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