車検に出す前の一葉
交換後のバッテリーはこれ(↓) http://panasonic.jp/car/battery/caos/index.html
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生活
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ようやく余裕ができてきたので久々のブログ更新。 新しい土地へ移住して既に10ヶ月、生活環境が変わった日常に不満を感じることなく過ごしています。 かつて分秒を惜しむ活き方と根本的に異なる穏やかな時間の中で行なった人生の棚卸作業(!?)では 昨今報じられている事件を引き起こした現場側の理屈と戦って負けた悔しさも 間違えを通した先にある予想以上に悪い結果を外から観る立場へうまく逃げ切れた安堵へ変わり、 穏やかな気持ちで沈み逝く船を見送る清々しさに満たされています。 まぁ、素直に得失を考えれば収支プラスで損切りに成功!ってところですね。
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今住んでいるところを引き払うことにした。 引越し準備を始めて最初にレイアウトの解体を手掛け、梱包作業を始める。 レイアウトルームとして勇んでヒト部屋を確保したものの十年近く費やして土台しか作れなかったレイアウトの解体作業に着手する。 表面に置いただけのレールやストラクチャー、固定することのなかったベニヤ板、防音用に挟んだスタイロフォーム、ボルトとナットでつなげたレイアウトボード、脚替わりに並べていた三段棚をそれぞれに分けて部屋の片隅に立て掛けながらいろいろと溜め込んだものだと感嘆する。 レールやストラクチャー類は梱包して次のレイアウト(造れるのか?)で再利用する予定。 レイアウトの脚に使っていた三段棚には呆れるほど多くのものを収容していたためホームセンターへ梱包用ダンボールを買い足しに出掛ける。 扱いに困るのが仕掛かり品、元箱に収まりきらない部品などを大雑把に袋詰めして工作を再開したときに行方不明にならないように梱包・・・未成品もかなり多い。 これらは全て後日買い直すこともできるものばかりだが、古くても愛着があるものや、ワンロットしか生産されず今後買い戻せる金銭的見通しが立たない高額なものもあり、そういうものから優先的に可能な限り引越し先へ持ち込むつもり。 部屋を掃除していると、居住空間でなかったため綿埃はほとんどなかったものの、予想外にうっすらと砂埃が積もり、掃き掃除をしていたつもりであったが雑巾で拭き取った量は掃除なんてしていなかったような感想を持つ。 引越しに慣れた人から見れば「何をしているんだ?」と思うような趣味優先のやり方であろうが、レイアウトを解体すると想像以上に広いフリースペースが得られ、後から梱包したダンボール箱の置き場になるメリットを享受できる。 次は本棚に並べた本を選別して、コレクション状態の資料本は捨てられないな。 そして古本屋が引き取ってくれない雑誌の半分くらいは纏めてゴミ出し(紙/本の収集日に)。 正直、古本屋に引き取ってもらうという行為にオジサンは抵抗感がある。 好きで買い集めた本を買い叩かれた経験が負の感情を抱く原因になっているわけで、趣味の品って持ち主以外には価値のないもの、価値観を共有する者同士の間で取り引きされるネットオークションはそういう意味でいいものだと再認識する。 多分、おじさんのコレクションは遺品整理でゴミになる日が来ることを考えれば、似た価値観を持つ新しいオーナーの手に渡ることが一番好ましいことなんだけど、難しいな・・・ 引っ越しで日用品とかは新しく買い換えたほうが安くつくから簡単に捨ててしまえるけど、趣味の品の扱いは難しい。
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四十路を越えると求人がぐっと減って新たに雇ってくれるとこは少ないね。 企業側が求める即戦力の能力とそれに対する報酬の乖離が大きいから 無能ではないが有能でもないオジサンが入り込む隙があるんだけど 面接に行くまではいけるけど雇用には至らない・・・これが結構つらい。 収入が途絶えてかなりの時間が経つから残りの蓄えが怪しくなっている。 求人を出す企業は選べる立場で値踏みをするようだけど、こちらも企業を値踏みしている。 時給900円、最低賃金よりも50円高いだけで、有能な人材が集まると思っているのだろうか? 時間や技術へ金を出すことに厭わないオジサンの感覚では 値切って価格相応以下の人材を集めて何がしたいのか(笑) 道楽(鉄道模型趣味)に費す精神的余裕はありません。(涙)
生活が安定して余裕があればこそ楽しめることは 余裕のない中で楽しめないことをしみじみと思い知った(これだけが後悔) |
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無職となり収入がなくなったことは生活の苦しさに直結したが 生活が成り立たなくなる給与体系の改訂後も働き続けるよりは 遥かに質の高い日々を送れている。 働ける歳で無職になるデメリットは事前に予想した通りでしかなく、 沸々と鬱屈したまま仕事を続けた日々が時間の無駄だったことを実感し、 もっと早く踏み切ればよかったと後悔している。 はたから見れば怠惰な生き方であろう。
そうした認識も自らの努力ではどうにもならない環境で生存権まで脅かされた後では ただの強迫観念でしかなかったと自嘲している。 |





