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いよいよこの週末はクリスマスですね。 キリスト教徒でもないのに、なんだか盛り上がってしまうこの季節(笑) さてこのクリスマス(Christmas)、語源は“Christ+Mass”すなわち「キリストのミサ」という意味で、一般にイエスの降誕を祝う祝日であるとされています。 ここでの「降誕」とは、「神が人間として生まれてきたこと」を意味しますので、「イエスの誕生日を祝う日」だというのが一般的な認識かと思います。 しかし、「新約聖書」にはイエスの誕生日に関する記述はなく、12月25日がその日であるという根拠はどこにも見られません。逆に、様々な史料をもとにした仮説や研究を総合して考えると、「イエスの誕生日は西暦元年12月25日ではない」ということだけは断言してもよさそうです。 キリスト教諸派でもこの事実はおおむね受け入れられており、あくまでも「降誕を祝う日」であって「誕生日」ではないという認識のようですね。 では、なぜ12月25日がクリスマスとして盛大に祝われることとなったのでしょうか。帝政期のローマでは、当初キリスト教は迫害されていました。そのころ降誕祭がどのように祝われていたのかは、ほとんどわかりません。当時はイエスの刑死と復活の方が重要で、復活祭(イースター)が重要視されていました。クリスマスはどうやら、キリスト教というよりも当時の西方世界(ローマ帝国やゲルマン諸部族)の風習と結びついたもののようです。 4世紀ごろのローマでは、東方および地中海沿岸諸国の信仰の影響を強くうけていました。共和政末期から帝政期を通じて大きな勢力をもっていたミトラス教もそのひとつで、これらは太陽信仰という共通点を持っていました。 ローマの民衆の間では、12月17日から23日(あるいは24日)の約1週間の間、サトゥルナリア (サトゥルヌス祭 Saturnalia)というお祭りが行われていました。ローマ神話によると、ユピテル(ジュピター)はサトゥルヌス(サターン)を倒して主神の地位を得、ユピテルはその後サトゥルヌスを封印してしまいます。サトゥルヌスは農耕を司る神で、彼が支配する古きローマ世界は、万人が平等に暮らす争いのない幸福な時代あった、といわれています。封印されてしまったサトゥルヌスですが、彼は1年に1週間だけユピテルが休む間に解放されるとされ、その1週間を人々はこの古きよき神とさまざまな精霊が人間と共存していた時代を祝福し、お祭りをしました。このお祭りはまた、冬至までに短く弱くなる太陽を、農業神でもあるサトゥルヌスが食い止め復活させることを祝うという側面もありました。サトゥルナリアの1週間、人々は仕事も休みとなり、羽目をはずして大騒ぎをしたようです。また、サトゥルナリアの期間、人々は太陽と大地の復活の象徴として、森から取ってきた常緑樹の枝を贈りあう習慣がありました。今日、クリスマスといえばもみの木・ヒイラギなどの常緑樹、あるいはその葉がつきものですが、その起源もどうやらこのへんにありそうですね。 ローマでは、サトゥルナリア直後の12月25日を「太陽が甦る日」として重視していました。当時広く普及していたミトラス教でも、「征服されることなき太陽の誕生日」として12月25日を最も重要な祭日としていました。 さらに、当時ローマ帝国の北方辺境ではゲルマン人の活動も活発でした。多くのゲルマン人がローマ領内に移り住み、傭兵として、あるいはコロヌス(隷属農民)としてローマ社会に浸透しつつありました。当時のゲルマン社会では、ユール(Yule, Jul)と呼ばれる冬至祭が行われていました。ユールは冬至に最も近い満月の晩を中心に行われ、12月25日前後に盛大な祭りがあったようです。ユールはその年の収穫への感謝と、翌年の豊穣を祈って行われていた側面もあり、ゲルマン人の生活に深く関わる行事でした。 このように12月25日は、ローマ神話・ミトラス教・ゲルマンの伝統的信仰のいずれにとっても、きわめて重要な日であったわけです。 当時、ローマ帝国は「軍人皇帝時代」と呼ばれる混乱期をようやく克服し、強力な皇帝権によって帝国の再建をはかろうとしていました。その帝国再建策の一環として、皇帝コンスタンティヌスはミラノ勅令(313年)によってキリスト教の公認に踏み切り、さらに教義統一のためにニケーア公会議(325年)を開催します。ニケーア公会議では「三位一体」を主張するアタナシウスの説が正統とされ、復活祭 (イースター) の日付の計算法も決定します。コンスタンティヌスの一連の政策は、国内の対立を解消し崩壊へ向かうローマ帝国を建てなおすことが目的であり、ミラノ勅令も、一神教・多神教を問わず帝国民の信教の自由を保障したものでした。降誕祭を冬至のすぐ後の12月25日としたのも、ローマ帝国内外の様々な信仰・風習の対立や摩擦を回避しつつキリスト教を取り込むという、政略的要素が強かったのだと思われます。 こうして4世紀に始まったと思われるクリスマスは、その後キリスト教世界では重要な祝祭日のひとつとなりました。日本では多くの人々がキリスト教徒でないにもかかわらず、クリスマスを盛大に祝い、プレゼントを交換し、ご馳走を食べ、馬鹿騒ぎをしたりします。商業主義的な今日のクリスマスは敬虔なキリスト教徒からは批判されそうですが、古代ローマのサトゥルナリアやゲルマン社会のユールに見られる素朴な民衆のお祭り騒ぎがルーツであると考えれば、案外本来の姿に回帰した、といえるのかもしれません。
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雑学♪
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