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秋月辰一郎先生の 「原爆」と三十年 (昭和五十年刊)
長崎 聖フランシスコ病院にて
被曝三十年の思い 秋月辰一郎 原爆と三十年 昭和五十年 昨年の夏、米国ワシントン公文書館を、広島の小倉氏、長崎国際文化会館長角本氏とともに訪れた。 第二次世界大戦の戦略爆撃調査報告書の中の「広島、長崎の原爆」の調査がそのまま保存整理されているのを閲覧するためであった。 これらは、日本学術会議編「原子爆弾災害調査報告書」(昭和20年刊)の基礎資料になった膨大な量のページ、フィルム、青写真の類であった。「証言の会」や「復元運動」という被曝したひとびとの記憶だけを頼りに、原爆の実態を調査して原爆の風化を防ごうとしている私には、感激の対面であった。 空しさ 寂しさ しかし、それをつぎつぎに調べていくうちに、空しさと寂しさで何ともやりきれない気持ちになった。この資料は昭和20年8月、あの当時のウラニウム、プルトニウム原爆の災害、威力を科学的に調査している。その凄さと威力の巨大さは老被曝者たちの記憶や証言とは違った驚きであった。が、それから30年近くの距離を考えて慄然としたのだった。 現在ふたたび全面戦争が起こり、核兵器によって全人類が絶滅してしまうという仮定の恐ろしさではなく、現実に、その後今まで続けられた核兵器の開発と蓄積の競争の恐ろしさである。 人間は常に現在は目隠しされて、過去のみ詳しく知らされる。ワシントン公文書館で対面している調査報告書は、第二次大戦中に始まった核兵器開発、いわゆるマンハッタン計画からせいぜい3年であった。それから三十年、指導者たちの戦争の準備、核兵器の発達は、いったいどこまで巨大なものであるか、秘密である。 私が公文書館でペーパーやフィルムを見ながら感じた空しさと寂しさは、それであった。 三十年間の原爆の「貴重な」科学的資料の発見とか、返還に期待していることがたまらなくいやりきれなかった。なんだか、ワシントン公文書館や図書館のひとびとが、「それは三十年前のです。今は・・・・」と語りかけてくるようだった。 不幸な競争時代 被曝三十年という。昭和20年8月の広島、長崎の原爆は、50分の1メガトンであった。それでもあれほどの凄い被害であった。 あのとき敗北の中で識者は、「兵器は科学の進歩によって国境や民族、国家を超えた。政治も国家とか民族という殻を破って考えねば・・・・」といっていた。 その後三十年の現実は、核兵器は想像を超えて進歩しているが、国家民族の考え方は全然一歩も前進していない。私たち被曝者は放射能症で死んだ人を葬ったり、傷ついた人を介抱したりしつつ食べることが精一杯であったが、実はあれから核時代は始まったのである。 私は核時代は、原子力平和利用というエネルギー革命の輝かしい幸せな時代というより、核兵器の開発、貯蔵の競争という不幸な時代と理解している。 被曝者がカボチャやイモで空腹を充たし、白血球の減少に悩んでいた頃、すなわち、広島、長崎の原爆の翌21年に、アメリカは軍艦(戦艦)に対する原爆の効果を知るために、太平洋で海中、空中の原爆実験をしている。ネバダの一発目から数えて4発目、5発目の原爆である。それ以来、量産と水爆への進歩になるのだが、この当時アメリカは原爆を独占して機密を保持すれば、20年間は優位を維持し得ると考えていたが、この独占はわずか3年で破れるのである。 運動分裂は失敗 これから米ソの原爆水爆の競争が無際限に始まり、拡大する。南太平洋、北極海で実験が相次ぐのである。朝鮮戦争があって、日本の経済復興の兆候が見えた。四つの島に閉じこめられ、百年前の農業国に戻る覚悟をしていたところ、米ソの対立、その核兵器競争が皮肉にも日本を経済大国、世界の工業国にまで押し上げる。 南太平洋のビキニ環礁の水爆は、長崎原爆の500倍以上で、福竜丸の死の灰はいわゆる杉並アピールから「原水爆禁止運動」へと拡大していく。それが戦後十年であった。 以来、その運動は国民運動、世界運動にならないで、政党基盤に分裂してしまう。 どんな理由があるにせよ、分裂したということは失敗である。国内での原水爆禁止運動も分裂して、日本経済復興の轟音に消されそうになるだから、まして米ソ超大国の核兵器競争に対してまたく無力のように思えた。 高度の進歩した核兵器の生産と運搬技術は、もはや三十年前の広島、長崎原爆のときの何千倍であろう。さらに、英、仏、中国と核兵器は拡散して、その生産された核兵器は、地中海やアジア、太平洋、インド洋に氾濫しているのである。 知らせない体制 私たちが、生き残った被曝者の証言を集めたり、復元図をつくったり、あるいはワシントン公文書館で三十年前のペーパーやフィルムを見るのも、悲惨な原爆の実態を少しでも知らせて、核兵器を禁止させたいからである。今、私が知り伝えようとしている悲惨な実態は、三十年前の只一発の結果であるが、現在、その何千倍の準備された核兵器の実際は秘密で知り得ない。 人間は常に現在の恐怖には目かくしされている。三十年前も知ることを許されなかった。現在は、三十年前のことは知らされるが、今のことは知らされないまま何千万倍もの悲惨さに突き落とされようとしている。 ひとびとに何も知らせない民主主義とはいったいなんであろうか。 ワシントンでそう考えた。今もそう思う。 しかし私たちは、たとえむなしく、寂しくとも、三十年前の事実で現在の巨大な人類の敵に挑まねばならぬ。 それが、被曝三十年の、私の思いである。 −昭和50年2月5日 『朝日新聞』所蔵− (1975年) ストケシアの花に カマキリの赤ちゃん
キジが、こちらに向かって歩いてきます。
スタジオジブリのビルの屋上に!!
子どもを守ろう!
できるところから、自己防衛と 体内に取り込んだ放射性物質の排出を!!
チェルノブイリの子どもたちを日本に招待してホームステイしたときに、1ヶ月で半分に減ったそうです。(ホールボディカウンターで測定) ビール酵母のエビオスも効果があるそうです。
酵母の働き、ビタミンB群複合体、ミネラルが防御に働きます。 |
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