一輪の花

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【小出裕章・京大助教 定年インタビュー】 
 『反原発 私自身のため』
   (東京新聞 こちら特報部 3/23)

http://photozou.jp/photo/show/159841/220210745

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京都大学原子炉実験所の小出裕章助教が、今月末で定年退職する。強大な「原子力ムラ」と対決し、45年。そのあゆみは負け続けだったという。大学で教授のポストに就くことはなかったが、自らの思いには誠実に生きてきた。それは夭逝した愛息に教えられたことでもあったという。福島原発事故の終わりが見えない中、定年後も、自分にしかできない仕事を模索していきたいと語った。

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今月17日、大阪府熊取町の京大原子炉実験所にある小出助教の研究室。書棚にあった大量の本や資料などは、数えるほどになっていた。
「廊下や倉庫の書棚にあった分を含め、捨てました。どれも実験所の仕事にまつわるもの。定年と同時にその仕事はなくなります。これからの私にとっては意味のないもの」節目を迎える感慨についても「何もないです。定年は単なる社会的制度。雇用関係が切れるだけ」。
あっさりした言葉だが、簡単に語り尽くせない反省の裏返しのように聞こえた。

1949年8月、東京都台東区の下町で生まれた。進学校の開成中学・同高校時代は1日も休まない「良い子」。盛んに宣伝された「原子力の平和利用」という言葉に感化され、担い手となることを夢見た。都市化が進む東京を嫌って東北大へ。大学のある宮城県では、女川原発の建設計画が浮上していた。目にしたのは原発立地を都会ではなく、過疎地に押しつける差別の構図。大学3年の70年、小出助教は反原発の立場に転じた。

「原発に反対するのは私自身のため。騙された自分にオトシマエをつけるためです」。当人はこの姿勢を「徹底した個人主義」と名付けるが、独善とは一線を画す。
「地球上の命は全てかけがえのない存在と考えるのが、私の個人主義。
誰かの命を犠牲にし、差別を生む原子力は許せない」大学院修了を前に就職先として選んだのは原子力推進の研究機関、電力中央研究所だった。相手の土俵に乗り込み、原発をやめさせようとした。しかし、採用決定の寸前、女川原発の反対運動に参加していたことが伝わり、破断。その後、京大原子炉実験所に応募し、74年に入所した。

そこで出合ったのが「熊取六人組」の仲間たちだ。大阪・熊取の実験所に属しながら反原発を訴えた六人を指す。70年代にはじまった伊方原発訴訟で住民側の証人になったことから、彼らの存在が脚光を浴びるようになったという。
六人のうち、小出助教の先輩は瀬尾健氏ら4人、後輩は一つ下の今中哲二氏だ。「入所した当時から既に知っていた仲。皆、原子力に抵抗していたから」
六人組は週1回の会議のほか、自主ゼミや和歌山県日高町で毎年営む合宿などで常時議論を交わした。

「原子力は複合領域。私は自分の仕事の社会的な意義を捉えたかった。
そう考えたとき、六人組は大変なありがたい存在だった」
六人組は家族ぐるみで付き合うほど仲がよかったという。
小出助教も三人の息子に恵まれていた。

ただ、傷害がある状態で生まれた次男は、半年でこの世を去った。
「人間の運命が不条理で不公平であることを心深く感じた。人間はいつ死ぬか分からない。自分の思いに素直に生きるべきだと強く思った」


『私でなければできない仕事があれば、引き受けます。』 
 事故は進行中。福島、見続けなければ。
http://photozou.jp/photo/show/159841/220210761

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小出助教は、全共闘世代でもある。向き合ったのは、大学当局や機動隊だけではない。学問や科学のあるべき姿も問い直した。
「人間には、未知の領域を知りたいという抑えがたい欲求がある。研究者は国家や権力から独立し、審理の探求に専念すべきだ」

自身がたどり着いた真理は「原子力は危険で破滅的であり、犠牲を押しつける差別の問題でもある」だった。
だが、こうした考えは圧倒的に少数派だった。
「突き詰めれば原子力は軍事の問題。日本という国家は原子力を進め、核保有につなげたい。そのため、原子力研究は国家の思惑に左右される。研究者はこの状況を自覚して行動すべきだが、出世したい、給料を上げたいと考え、国家に抱え込まれていった」

熊取六人組は原子力の危うさを研究、公表し、原子力の利用に歯止めをかけようとしてきた。しかし2011年3月、福島原発事故が起きてしまった。
「緊急事態を理由に、汚染地域に住民が捨てられている。捨てられれば、生活者として放射能を忘れ、復興を考えるしかない。『放射能を口にするヤツは復興を妨げる。黙っていろ』というのが、福島の現状だ。

一方、故郷を追われた人たちも数多い。そして、事故から4年たった現在、国は早々に生活支援を打ち切ろうとしている。
「片や、加害者の方は、誰も責任を取ろうとしない。異常としか言いようがない」

反原発運動も一時の勢いを失ったように見える。「いまは福島が忘れ去られる過程にある」。どうしたらいいのか、という問いには「分かりません」とだけ答えた。後継者を育てる余力もなかった。「いまとなっては手遅れ。仕方がないと思っています」
小出助教は「負け続きだった」と語る。ただ、助教というポストについて「実験所で最下層の地位」と認めながらも「私には大変恵まれた立場。居心地がよかった」と話す。

実験所での仕事は、所内で出る放射性排水などの処理だった。
「自分の仕事をきちっとやる限り、上司は一切注文を付けず、自由にさせてくれた。私は最下層の職員なので、命令する人もおらず、自分がやるべきこと、やりたいことに集中できた。個性を重んじる京大の校風があったからこそで、反原発を訴え続けても最後の最後まで弾圧されることはなかった」


『仙人になります』
定年退職後、新たな定職には就かないという。がらんとした研究室で、小出助教は達観したように「仙人になります」と語った。
生まれ育った東京には戻らない。「信州で暮らします。暑いところが苦手ですし。妻と相談して、何年も前から決めていました」
しかし、俗世と距離を置くことは、そう簡単にできそうにない。
「福島原発事故は、敷地の中でも外でも進行中です。
完全に目をつぶることはできません」

実験所を離れれば、放射線関連の機器も使えなくなる。さらに自らの老いも実感している。しかし、坦々とこの先を見ている。
「定年なんて、本当の大したことじゃない。住むところは変えます。
自分の人生設計を考えるよい機会だとも思っています。年を考えると、仕事はだんだん減らざるを得ないですが、私でなければできない仕事があるのなら、引き受けようと思っています。ただ、半年先という範囲で、半年以上は、生きてるかどうか分かりませんので」


<デスクメモ>:「助教だから貧乏に違いないと同情する人が多くて。さらに酒好きも周知。薄給では酒も好きに飲めまいと、全国から銘酒が贈られてくる。助教の給料でも酒くらい買えます。でも、断りするのも何なので、ちゃっかりごちそうに・・・」。数年前、酒席でそう笑っておられた。ちゃめっ気は厳しい人に映える。



小出裕章さんスピーチ - バイバイ原発3.7きょうと

https://www.youtube.com/watch?v=y2_iWf21Zss

小出裕章・京大助教 講演
演題「福島第一原子力発電所事故から被害者と加害者が学んだ教訓」
2015年3月7日(土)、円山公園・円山野外音楽堂(京都市東山区)で開催された『
­バイバイ原発3.7きょうと』メイン集会での小出裕章さんのスピーチです。


京都大学 小出裕章助教の第10回インタビュー byホワイトフード

https://www.youtube.com/watch?v=nS-9xX-u3uE

インタビュー内での放射性ヨウ素の見解についての文字おこし
http://www.whitefood.co.jp/i-131/2402/




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