先日、完全地雷除去装置を造った信念の人・雨宮清さんについてのテレビ番組があり、深い感銘を受けたました。ブログで彼の事を書きたいと思った次第です。
彼は幼い頃から憧れていた海外でのビジネスを求めてカンボジアへ旅行。
対人地雷被害者との出会いに強い衝撃を受け、対人地雷除去機を作ることを決意しました。
今も手作業による地雷除去作業で亡くなったり大怪我をする人々が絶えません。
しかもロシア・アメリカ・中国などの大国は、たった200円で作れる地雷を海外に輸出し
利益を上げ、今でも地雷は次々と埋められ続けています。
1995年に対人地雷除去機材開発プロジェクトチームを設立し、
3年後の1998年に第1号機を完成しました。
平和ぼけと揶揄される日本。
それでも、その海の向こうに戦火や対人地雷に苦しむ人々が数多く存在することを
知らない人はいないでしょう。
現在、世界各国に埋設されている対人地雷は7000万個以上。
現在のペースで100%安全に撤去するには、1000年以上かかるといわれています。
そうした現実から目を背けず、果敢に対人地雷撤去へ取り組む日本人の活動が、
いま世界的に大きな反響を呼んでいます。
あくまで「本業を通して社会に貢献する」ことを旨とし、
時には命の危険にさらされながらも「仕事」を貫こうとする雨宮清さん、
その意志を支える原動力はいったいどこにあるのでしょうか。
初めて訪れたカンボジアで、雨宮さんは、いまだ続く戦争の爪痕を突きつけられました。
市場の周りには凄まじい数の避難民が集まっており、
その中で物乞いをするまだ幼い少女に目をとめると、
脇にはその母親であろう、顔に酷い火傷を負い、
膝から下を失った年老いた女性がうずくまっていました。
それが対人地雷によるものだと知り、戦争が終わった後もその数は
どんどん増えているという事を知ったのです。
雨宮さんは、幼い頃から母親が言っていた言葉を思い出しました。
陰日向のない人間になりなさい。人のためになるような人間になりなさい。
日本に戻った雨宮さんは、対人地雷についての勉強を始ました。
そして、数ヵ月後、社内に対人地雷除去機の開発プロジェクトを設置したのです
当時の社員はわずか60名。あまりに大きな夢と、それに比例した経営リスクに、
社員の中からは不安視する声も聞かれたといいます。
雨宮さんを始めとする6人の担当者が、営業時間外の早朝や深夜、
休日を使ってコツコツと開発に取り組みました。
そうしている内に雨宮さんはビジネスと言う言葉を忘れていきました。
カンボジアは生い茂る木や草の下に対人地雷が隠れています。
ショベルの先にブッシュカッターをつけて刈り込んだ上で、
対人地雷を爆発させて除去しなければなりません。
地雷爆発の際の温度は800度〜1000度にもなります。
その衝撃に耐えうるか、岩に対する耐磨耗性、切削性など、
クリアしなければならない基準は山のようにありました。
そうした課題と闘いながら、度重なる試作を繰り返し、待望の一号機「ロータリーカッタ式対人地雷除去機」が完成しました。プロジェクト立ち上げから3年以上もの月日が経っていました。
完成のめどが立ち、あとは商品化を待つばかりという時期になって大きな問題が起きました。
それは、国際支援に対しては積極的に支援するといいながらも、
完全地雷除去機は「武器輸出三原則」の「武器」に当たると輸出を認可しない政府の対応でした。
しかし雨宮さんは2年近くの間、原則外の適応を受けようと足しげく経済産業省に通い続け、
ついに「武器輸出三原則」から対人地雷除去機のみを外すという官房声明が発表されたのです。
1999年、カンボジアでの現地実験を経て改良を行い、翌年2000年、
日本政府の無償援助によって対人地雷除去機を2台カンボジアへ納入しました。
こうして雨宮さんの6年越しの思いが、ようやく小さな実を結びました。
現在は破壊力を高めるため鎖の先に分銅をつけ、さらに除去スピードを上げるため、
広範囲をいっぺんに対応する「プッシュ式フレール対人地雷除去機」を改良型対人地雷除去機として
新たに導入し、作業の効率を上げています。
しかしこの作業は危険を伴い、専門の技術も必要なので、雨宮さんは今でも自ら
地雷除去作業をしています。
今までに何度も大怪我をされ、片耳も難聴になってしまい不自由な思いをされていますが、
そんな事はものともせず、無数にある地雷と自ら向き合う毎日です。
カンボジア政府からも表彰され、日本での社会貢献賞の授与もされましたが、
世界80カ国以上、7000万個を超える数の地雷が今も埋設されていて、
年間2万5千人にも上る被害者を無くす為なのです。
雨宮さんの目的は単に対人地雷を除去するだけではありません。
まず、対人地雷除去機自体を現地の人々が活用し、仕事にできるよう教育すること。
そして、除去後の土地をどのように使うか。
地域の人々が自立の道を歩み始めるまで、そこまでを見届けることが最終目的なのです。
雨宮さんにより地雷が除去された大阪府の大きさの土地に学校が創られ、
子供達が安心して運動場で走り回って遊んでいる姿を見た時、彼は本当に嬉しかったそうです。
貧しく過酷な環境にいる子供達が、希望を持ち自分の力で必死に生きている。
一方、物質的にも恵まれ、望めば何でも叶う環境にいる筈の日本の子供達が、
「なんの為に生きているのかわからない」と言っている。
戦火や対人地雷で命を奪われる危険の中、必死に生き抜こうとする子どもたちがいる一方で、
日本では人の命を軽んじ、自ら命を断つ子どもたちも多数いる。
雨宮さんは次の世代に、自分たちの生き様を伝えること。そしてそこから学んだことを伝えることを通し、人の歴史の中に人として存在することの意義を子供達に伝える活動を始めたのです。
日本の中学校や高校を中心に、自らの体験を自らの言葉で話して廻っていらっしゃいます。
体験講演地は沖縄から北海道まで日本全国に及び、昨年1年間で60ヵ所以上にもなるそうです。
子供達は対人地雷埋没地の現状を知り、固唾を飲んで聞き入り、ポロポロと涙を流し、
自分に何ができるのかを考え始め、自分も人を助ける人になりたいと口々に言っているそうです。
雨宮清さんが一番に言いたいこと、それは【社会のために自分ができることに真剣に取り組むこと】これに尽きるのではないでしょうか。皆さまは、この記事を読まれてどのように思われましたか?
今、世界で支援活動をしている日本人は5000人以上いるそうです。
皆さま、長い記事を最後まで読んでいただいて、本当にありがとうございました。
子供や孫の世代になった時、地雷も戦争も核も飢餓も貧困も差別もない
平和な世界になりますように心から祈るばかりです。
ささやかでも、私も何かを始めたいと思っております。
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