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男女の愛し方において、ドラマなどではキスはすごく純愛的な風に表現されるが、ペッティングに
なると途端にエロい表現になる。SEXとなると、場合によってはエロかったり、映画などでの重要な 表現となる場合もある。まして、生出しともなると完全にAVでの表現だが、これが結果として妊娠と 言う事になると、途端に子どもを宿した聖なる状態と様変わりする。みんな、男女の営みにおける過程の 一つ一つに過ぎないのに・・。 女性の裸体についても、おかしな事が起きる。最近は特に、民放で女性の裸は深夜でもなかなか 出ないのだが、NHKの美術系番組やファッション番組では、たまに裸体が見られる。女性の裸体の彫像 も、教科書や街中でも見られる。フィクションと言う意味では、アニメに出てくる女性とどう違うのか? 基本的に、女性の裸が規制されるのは明らかに男性目線だが、女性目線やゲイの人目線からすると男性 の裸もかなりエロティックなはずなのに、それへの規制は全然ない・・。男の裸を見て興奮する輩は、 全国に3千万人位はいても不思議じゃないはず。 ちょっと違うかもしれないが、赤ちゃんの写真を持っててもみんな微笑ましく思うが、ちょっと歳を とった幼児の写真になると、途端に変態扱いされる。また違うかもしれないけど、覗きや公然ワイセツに おいて、1階の室内で窓を開けて真っ裸になった人は公然ワイセツに、全開の窓から見た人は覗きの罪に なるのだろうか? ワイセツと言う概念自体もかなり曖昧なものなのだが、最後に大島渚監督の『愛のコリーダ』事件裁判
を、ウィキから紹介しよう。 「この作品の脚本と宣伝用スチル写真等を掲載した同題名の書籍が発行されたが、その一部がわいせつ 文書図画に当たるとして、わいせつ物頒布罪で監督と出版社社長が検挙起訴された。対する被告人側は 「刑法175条は憲法違反である」と主張し憲法判断を求めた。しかし、一審二審とも従来の判例を基本的 に維持しながらも「当該書籍はわいせつ物に当たらない」として無罪とした」 「国際的名声を不動にしたのは、阿部定事件を題材に社会の底辺にすむ男女の性的執着と究極の愛を
描いた1976年の『愛のコリーダ』であった。大島の闘いは必然的に、社会的な疎外感や屈辱感をもっとも 鮮明に内包している人々の心理的探究へ移り、彼らを主要人物とした作品の制作へと向かうことになる。 日本映画史上に前例のない作品を示そうという意気込みと、黒澤明流のヒューマニズムと、さらには検閲 制度に対する激しい批判精神からハードコア・ポルノグラフィー表現へと傾斜した大島は、公権力の干渉 を避けるため日仏合作という形を取り、撮影済みのフィルムをフランスへ直送して現像と編集の作業を 行なった。日本公開では、映倫の介入によって作品が意味をなさないほどの大幅な修正を受けることに なった。『愛のコリーダ』は2000年にリバイバル上映されたが、修正個所は大幅に減ったものの、ボカシ が入り現在でも日本ではオリジナルを観ることはできない」 |

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