ロゴスの庭園

見る人の 心ごころに任せおきて 高嶺に澄める 秋の夜の月

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ブログ引っ越し中です!

ロゴスの庭園
https://ameblo.jp/pteron31/

アメーバブログにしました。
よかったらお越しください。
お茶くらいはお出ししますよ。

こちらのブログは日記みたいなもので、
ほとんど閉じたものでしたが、
これからはオープンでやっていくつもりです。

一応テーマは「幸わいの言の葉紡ぐ庭園」
って感じなんですが、、相変わらず
思いついたこと書いただけの
ブログになってる気がします。。
いったい誰が読むんだっていう。。

兎にも角にも、猫にも翼にも、
ここのブログももうじき閉店ですからね。

サービス終了までに使えそうな記事を、
移動させたいと思っています。
イメージ 1



君が歩んできた道のりはすべて正しい



なぜなら



この世界にもともと意味などなくて、



人生の意味は自分自身で決めるものだから



意味付けをする今の君さえ前を向いて



そう思いさえすれば



君が歩んできた道のりはすべて正しい



すべての足跡に君が色の花は咲く




人生の意味は君自身が決めていい



君の人生の意味は君にしかないのだから。



むしろ他人に決めさせていいのか?



君のことを一番よく知っている君が



決めずに誰が決める





今の君の認識がすべてで、



例え人生に停滞や後退があったとしても



今の君が顔を上げて前を向けているのならば



それらは君にとって意味のあるものとなる



その経験は君だけの貴重な財産となる




世界に固有の意味などない



しかし逆に言えばそれは



自分の意味は自分が決めてしまっていいということだ



君が顔を上げさえすれば



人生に失敗はない



君は堂々と胸を張って



前進していけばいいだけなのだ




君が歩んで来た道のりはすべて正しい



今の君自身もすべて正しい



君が歩んでいく道のりもすべて正しい



イメージ 2

生物のいない宇宙

イメージ 1


生物のいない宇宙。

生物のいない宇宙は存在するのだろうか?

否!

生物のいない宇宙は存在しない。

宇宙は生物の存在なしには表象されえないから。


世界とは諸物と認識主体との「関係」のことである。

生命の表象なしに、宇宙は想定(関係)されえない。

あなたは自分が持っているイメージや音、色なしに
宇宙を想定できるだろうか?
(さらに我々人間の場合、自我の「判断」が世界を断定(限定)する)


もう一度言うと、
そもそも世界とは諸物と認識主体との「関係」のこと。

人間の場合、その関係の仕組みが「時空間」なわけで。

生物が表象するから、宇宙は存在する。

私がいるから宇宙は存在する。


イメージ 2



__


私が関係しないと、世界はいまだ確定しない。
不確定性原理を持ち出すまでもない話。
私が関係することで世界は確定する。


五感で感じ(限定し)イデア抽出しないと
世界は無いのと同じである。
無の世界。
そこに世界を創り出しているのは
紛れもなくあなた。あなたである。

目を閉じてそっと心を静かにすれば、
何もないことに気が付かないだろうか。
すべて独自の五蘊による仕業だ。

イッツ、ユアイマジネーション。
「気のせい」という言葉の英訳になるが、
そう、気のせい。あなたの『気のまとめよう』のせい。

世界に関して言えば、イッツ、ユアクリエイション。
仏教的に言えば、ユア五蘊。

世界はあなたによる気のまとめ方、

あなたによる限定なのである。
充足理由律。

昔それなりに考えたのだが、
単に当たり前のことを言っているようで、
何が問題なのかよくわからなかった。

「あれだろ…。哲学者が何でもない事柄をさも
難しい問題のようにありがたがってる、あれだ。。」

と、「あのぶどうは酸っぱい」的に放っぽって
気にしないことにしていたのだが。

最近、物事を因果関係で捉えようとするのは、
時間という形式で存在している人間の性(さが)のような
気もしてきた。

人は、人間の認識の型に当てはめて、
世界を把握しているわけだから、と。


「クオリアと幻肢痛」というトピックで一考してみた
のだが、幻肢痛も、過去想起による喜怒哀楽も、
同じようなもんなんじゃないか、という考えが浮かぶ。

時間があるってのが幻想で、今この瞬間以外は
妄想であるならば、過去想起や、未来想定による
喜怒哀楽は、それもファントムペイン、ファントムジョイ
なわけである。

まあ、肉体維持のために蓄えた「危険インデックス」から
危機を知らせる機能は、生きていくうえで適応的で、
あってしかるべきなわけだが。

存在形式をメタ的に眺めるのは骨が折れる。
我々は常に既に、すべてを知りえている(捉えている)
という方法でしか、存在していないのではないか、
という問い。

我々は何かを知った時、「わかった」と
過去形を使うわけだが、表面意識の働く範囲は、
意外と、というかだいぶだいぶ小さいのではないか、と。

ほとんど他力。
存在している上で、ほとんどのことは既に与えられている。
(その上にペルソナが乗る)

…と、言葉上でいうのは簡単だが、
絶対他力の状態まで、それを確信するには覚悟もいる。
我々はほとんど受動的に生きているのに、
一人前の顔をしている。諸法無我に違いないのに。

絶対他力。
単純な念仏思想を昔は舐めていたのだが、
やはり親鸞・法然上人はすごいと思うわ。
この思想は初級から上級まで間口が広い。
(その分偏重もされやすい)

覚悟は悟りなのか。
私にはお二人が他力の海へ断崖から
ダイブしているようにさえ見える。
私にはね。
当然、確信の度合い(覚悟)が天地ほど違うわけだが。

上人たちにとっての永遠の汝は阿弥陀仏。
ルターにとってのそれは恵みの神。(恩寵義認)

私にとってのそれは、ルターからヒントを得て、
やっぱり自然世界かな。
もっと地球に親密さを感じて、寄り添う心持ちを
得られれば、完璧な宇宙を感じられるかもしれない。

夢の中で入選

〇 銀賞

我が人生

絶えず歩んだこの道も

ふと振り返れば

一人ではない


__


俳句か何かの発表会場にいて、
ん?
私が入選している?!
しかもよくわからないのだが、
みんな葉書に詩を書いて応募しているのに、
私だけ、「青いネクタイ」で応募している。

は?

しかも、そのネクタイなのだが、
肝心の詩が書いていない!?
what? なんで入賞?

先生は会場の通路を歩きながら
入選した詩を紹介し、みんなと吟味している。
あわわ。俺の詩どうなってんの。。

私はそのネクタイを見ながら思い出す。
何だっけ何だっけ…。

で、思い出したのが上の句。

ほー。
こんな感じですか。

しかし先生、これであってますか?
これで入選でしょうか?

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