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この植物!グミであることは間違いない。 ただ、一口に「グミ」といっても、食用に栽培される甘い物から 野生の実が小さく甘みが少ないものまで、沢山の種類がある。 上の写真は、ある山中に自生していたもので、すでに果実をつけている。 苗代グミの仲間か? でも、葉の形が違うような、はっきりしない。 私の故郷ではそんな多くのグミをすべてまとめて「しゃしゃぶ」とよんでいた。 食べられないグミは、イヌしゃしゃぶと呼ばれていた。 此れは、そのイヌしゃしゃぶになるのだろう。 墨のほうに写っている毛虫は愛嬌として許してほしい。
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徒然なるままに
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何時も車で通り過ぎる道端も、の〜んびり歩いて見ると いろんな花が咲いているものです。 皆さんも、時間が有る時には車を止めて、ゆっくり歩いてみると、 そんな草花とめぐり合えますよ。 写りは悪いのですが、道端で見つけたスミレです。 白いスミレも咲いていました。 |
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ここ、筆影山は山桜も多く、若葉と花のコラボも楽しめる。 今日は、次男と妻の3人で三原市の南に聳える山(筆影山)へ 桜見物とシャレて見た。 車で上がっても、狭い駐車場しか無いと思い、沼田川沿いのスーパーミチエーに 無断で車を止めさせて頂き、完全徒歩での挑戦です。 メタボ真っ盛りの親父が、午前10時に出発して頂上にたどり着いたのが11時30分 帰りは、写真を撮影しながらぼちぼち下山、13時に出発地点に到着した。 明日か、明後日訪れるであろう筋肉痛を心配しながら、今日の成果写真を アップします。 竜王山別れ3差路駐車場付近はほぼ満開状態、駐車スペースも満車状態! ここの芝生で花見をする人たちも居た。 どこかの職場の集まりだろうか?お酒も入って結構賑やかにやっている。 山頂駐車場!ここも満車状態、桜も満開。 ここからは全員徒歩で200メートルの坂道を登ってゆく。 山頂展望台より、瀬戸内海を臨む、花曇かそれとも黄砂のなごりか すごくかすんでいた。 この場所取りおじさん、仲間が来るまでふて寝状態。 しかし、狭い山頂でこんなに広いが所を!少しは遠慮ろよ! 頂上は8部咲き程度か!しかし 桜の古木の傷みがひどい(台風か雪で折れたのか)為、また 新しく植樹された桜が未だ、幼木の為以前ほどの賑やかさ(花の)は 無く、少し残念であった。 ps
明日も筆影山の桜をアップの予定です。 |
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夕食後、メタボ解消を兼ねて夜桜見物に! カメラを提げていても、やましい事はしていません。 真っ暗な土手で、ストロボ炊いて 通行人が何をしているのか? と覗き込む、手早く20枚ほど夜桜の写真を撮影して来ました。 ここ!広島県の備後は、ソメイヨシノがチラホラ咲き始めた。 私は、この位の桜が一番好きです、お花見には物足りませんが。 真っ暗な中で、ストロボ撮影の為、アップ写真ばかりですが お酒はご持参くださって、ゆっくり、花見をしてください。 |
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潮待ちとは、 むかあ〜し、そう、物の流通を牛馬や、風や人力を動力とした船に頼っていた頃の 話である。 自然の力や、人力を利用した船の造船技術が発達して 多くの荷物を一度に運ぶ海運が盛んに行われていました。 だだ、当時の船は当然木造船、荒海の外洋(太平洋や日本海)を航海するには 大きな危険と隣り合わせであった。 海運の安全の為、波の静かな瀬戸内海を航行する必要があった。 ただ、瀬戸内海はその地形上 満ち潮のときは九州方面と、大阪方面から一気に潮(海水)が流れ込んできて 瀬戸内海の中央付近の、岡山や広島あたりでぶつかり合う。 また、引き潮の時にはこの地方からそれぞれ外洋に向かって 潮(海水)が流れ出すのである。 この潮の流れに逆らって航行することは、当時の船では困難であった。 さらに海底の地形が複雑な為、潮(海水)の流れが早く、複雑で 瀬戸内海を航行する船は、何回もこの潮(海水)の流れが変わる迄 待つ必要があった。 この、潮(海水)の流れが変わるまで待つための港が、潮待ち港と呼ばれた。 当然潮待ち港には、船員やお客さんが集まり、それを持て成す町が発達してくる。 今は珍らしい木造3階建ての旅館(旅籠)や酒屋 遊興施設(遊郭等)が立ち並び賑やかになる。 ここ! 大崎上島の木の江も、そんな潮待ちで栄えた町である。 木の江の路地に足を踏み入れると、当時を思わせる雰囲気を 漂わせる。 だだ、行政が文化遺産として積極的に保存していないようで あちこちに、住む人も無く、廃屋寸前と化した古民家が点在している 残念では有るが、すでに倒壊した家屋も見かけた。 つい、最近まで旅館として営業していたここも 今後廃屋となってしまうのか、と思うと寂しくなる。 中には、手入れをされ大崎上島のパンフレットに載っているこんな 家屋もある。 古い家屋は維持や補修に莫大な費用が必要であり それを個人や、自治体で負担するのは無理がある 国ですべて(日本中)の古民家を維持するのも、無理なことは承知しているが 探せば結構たくさんある木の江町の木造建築物のような遺産を 倒壊させてしまうのは残念なことだと、私は思うのだが 皆さんはどう思いますか? <追加> この記事は友人の玉葱名人と訪れた際、友人との会話も情報源となっています。 玉葱名人もこの日のことを、違った角度から記事にされています。 興味のある方は/ 友人のブログの記事(島の産業)も読んでみてください。
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