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突然、やる気が出てきました。
ずっとずっと、ありそうでなかった「目標」ができたんです。
私はいつも、コンサートで「夢は生きるために必要だ」と言い続けてきました。
それは、私が夢を失ったあと、進む道を見失い、生きること自体が難しくなった経験があること。そして、再び「夢」を持ったときから、自分の中に「生きよう」というエネルギーが湧いてきたこと。そんな経験から、「夢を持って生きることが、幸せに生きることなんだと」信じているのです。
そう言い続ける私に、数人の人が同じことを聞いてきました。
「夢が叶った今、どんな夢を持っていますか?」
最初に聞かれたのは5年ほど前。
神奈川での講演会終了後の質疑応答での質問です。
私は答えにつまりました。
夢が叶ったことで、すっかり満足している自分がそこにいました。
自分にとっての「今の夢」ってなんなんだろう?
帰りの新幹線の中で、数時間、ずっと考えていました。
そのときの私には、夢どころか、目標も見当たりませんでした。
あれから5年ほど、自分のすすむ道をずっと考えてきました。
でも、長い間、漠然としたものだったのです。
こうなればいいな、ああなればいいな・・
そんな思いがいったりきたり・・。
やりたいことはたくさんあるけれど、どこから始めればよいのか、さっぱりわからない状態で「今、しなくてはいけないこと」を、きっちりすることで精一杯でした。
今年になってから、時間を作って、自分のこれからについて考えはじめました。
たくさんの人にも相談にのってもらいました。
いただいたアドバイスは適格なものばかりです。
ひとつずつ、前にすすめば、何かが変わってくるだろうと思えるものでした。
だけど、なかなか前に進みません。
私は毎日毎日、自分の次なるステップを探し続けました。
そして、先日、そのステップが見つかったんです。
そのステップを上った先は、きっと輝いていると思います。
もちろん「今」の私には難しいことです。
だけど、チャレンジすることで、今よりはずっと輝けるはず。
そう思うと、やる気がいっぱい出てきたのです。
からだの中からエネルギーを感じます。
不思議ですね。
一つステップが見つかると、次々と見つかりはじめました。
自分がイキイキしているのがわかります。
目標に向かってがんばれるって幸せだなぁと思います。
私がコンサートで言ってきたことは、間違いじゃなかったな・・と思う毎日です。
・・・・・・・
どんな夢かって?
それは叶ってからお話しします(笑)
・・・・・・・
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勇気を出して
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苦しいとき、悲しいとき、辛いとき、悔しいとき・・これまでの人生にたくさんありました。
そんなとき「ことば」に救われることもあるんですね。
そんなとき「ことば」に救われることもあるんですね。
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先日、病院に検査に行ってきました。 脂肪肝の疑いがあるとかで、念のための超音波検査でした。久しぶりの検査でしたが、体調も良く、脂肪肝のことも主治医と「たぶん違うだろう」と話していたので、それほど心配したり緊張したりすることはありませんでした。 検査を待つ時間、まわりを見渡してみました。 私と同じように検査を待つ人。 入院中だと思われるパジャマ姿の人。 看護師さんに車椅子を押されて移動中の人。 私の前を行き交う人の表情は、みな暗い表情でした。 笑っている人はひとりもいません。 顔色は悪く、目線は下を向き、肩は下がり、どの人からも生きるエネルギーを感じませんでした。 「どんな病気なんだろう?」 「どうして病気になったんだろう?」 ふと、そんなことを考えてしまいました。 そして、「体からのサイン」はなかったのかな?と思いました。 私の病気は、生まれつき遺伝子の並び方が普通ではないと聞いています。病気の因子を持って生まれてきて、それが何某かのストレスが引き金になって発病すると言われています。 ですが、今から思えば「体からのサイン」はありました。 小さい頃から、人と比べるとおなかが弱かったこと。でも、それを自分では「普通」だと思っていたこと。そこで最初のサインを見逃していたこと。次のサインは大学時代。腹痛を感じたり、下痢をすることが多くなっていたけれど、毎日のことになってくると、またそれを「普通」だと思ってしまったこと。それが続くと、体中から「SOS」のサインが出ていても気付かなくなっていました。 もっと早く「サイン」に気付いていれば、何か変わっていたかもしれません。 私と同じように「体からのサイン」を気付きながら、気付かないふりをしている人は、きっとたくさんいると思います。仕事が忙しいとか、受験があるとか・・。私も発病してからも、まだまだ頑張り、走り続けてしまいました。 「どうしてもしなくてはいけないことがある」 そういって、主治医を困らせていました。 私と同じように思う人は少なくないと思います。 ですが、それは「本当にどうしてもしなくてはいけないことなのか?」と、先日、検査室の前で思ったのです。 『自分の体のサインに気付くこと。』 『調子の悪いところがあれば、とことん悪くなる前に治療を受けること。』 病気によっては、自分がどれだけ注意していても良くならないことがあります。 でも、病気によっては、自分が注意することで良くなることがあります。 この二つのことを気をつければ、自分のからだへのダメージを最小限にできるのです。 からだを休めることで、お薬を飲まなくても治ったり 適切な薬を使うことで、手術をしなくてもよくなったり 早い治療を受けることで、他の新たな病気を併発することがなかったり・・ 私をよく知っている人からは「自分のことを棚に上げて」と言われそうですね。 『無理はしても無茶はするな』と、よく人に言ってきました。自分が無茶苦茶するので、人のことはよくわかるのです。ここで、もう一つ、自分を客観的に見て思うことがありました。 無茶をしているとき、誰かに心配をかけていませんか? ****** 私はたくさんの人に心配をかけていたと思います。 心あたりのある人は、この機会に『今、何が大切なのか』『今、何ができるのか』を見つめなおしてほしいと思います。 検査室前で、そんなことをふっと思ったのは、最近の夫の努力を見ているからです。 そのことは次の記事で。 ******
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今までにたくさんのアルバイトをしました。 ウェイトレス 雑貨屋さん 服屋さん 旅行のパンフレット配り デモンストレーター などなど。 いえ・・まだまだあるかもしれません。 覚えているのがこれくらいです。 ウェイトレスの経験はこの記事とこの記事に書きました。 大学2年生になったころから、大学の方が忙しくなり、なかなか長期のバイトができなくなりました。 旅行のパンフレット配りというのは、駅前でツアーのパンフレットを配っていますよね。 朝7時に大阪の地下鉄駅前で集合。 その後2時間パンフレットを配り、終了。 時給1000円です。 終わってから大学に行っても、一時限目に間に合うので、朝、早かったけれど、楽しいバイトでした。 デモンストレーターというのは、スーパーや百貨店で試食販売とか店頭販売をしていますよね。 あのアルバイトは日給1万円くらいで、土日のみの仕事が多いんです。 登録して各地へ派遣されます。研修なんてほとんどありません。 ・ケーキをデコレーションして、ホイップクリームを売る ・新発売のシャンプーの宣伝と販売 ・果物売り場の応援(パイナップルの皮むき) ・100円均一の缶詰の売り出し ・3個100円のアイスクリーム販売 ・バレンタインのチョコレート販売 etc. 一番辛かったのはパイナップルの皮むきでした。 慣れないのと、パイナップルの果汁で手が荒れて痛くて大変でした。 この仕事をしたころから、自分に変化があったような気がします。 当日、指定されたお店へ行くまで、だいたいのことしか知らされていません。 ですが、そこで一日、働かなくてはいけないのです。 人見知りとか、自信がないとか悩む時間もありません。 それに、売れないまま、ぼーっと立っている一日はとても長いんです。 小さな声で「ホイップクリームいかがですか?」と言っても、誰にも聞こえません。 少しずつ大きな声を出していくと、お客さんがいろいろと質問をしてきます。 「このクリームおいしいの?」 「この缶詰おいしいの?」 「このシャンプー、使ってみた?」 答えにうろうろしていると、すぐに帰ってしまいます。 これではいけないと、商品の説明を熟読し、笑顔で対応すると、どんどん売れていきます。 そのうち、そのお店の店長さんに「君、ここで働かない?」と言われるようになりました。 大学3年生になると、演奏の仕事が増えてきて、アルバイトはやめてしまいましたが、このときの経験は今も生きていると思います。不安はいっぱいあるけれど、前を見て、笑顔で、正直に、自分を信じてがんばれば、どんなことだって出来るんだっていう自信がついたアルバイト経験です。 ****** 自信を持つことって、とても大切だと思います。 この後、病気をして、どんどん自信を失っていく私は、どんどん下を向いて歩くようになりました。 一度、自信を失うと、不安ばかりの人生になってしまいます。 今の私も、それほど自信があるわけではありませんが、多少の自信を取り戻せました。 それは、ある患者さんのことばのおかげです。 そのお話は次の月曜日に。 ******
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医療機関が、ひとりの患者の状態を連携して診療する「連携医療」が自分の身の周りで実現しています。 患者にとっては夢のようなことです。 大学病院や総合病院では、主治医が替わることもたびたびあり、その都度、患者は不安を感じます。 また、病気の種類によっては、専門に研究している病院があり、そこでは日々、最新の治療が行われています。その病院に移るには、主治医に紹介状を書いてもらう必要があり、患者にとって、これが一つのハードルになっています。そして、紹介状を書いてもらい、専門医の治療を受けることができたとしても、その病院が遠方で通えない場合が多々あります。そのときに、また元の主治医に診てもらうことに、患者はとても気を遣ってしまいます。 医療機関が連携して診てくれることは、患者の不安を減らし、生きる希望に繋がります。 私の22年間の闘病生活の間にも、何度もこのような経験があります。 この記事は『先生、あなたはどう思いますか?』の続きです。 東京で手術を受けたい。 そう気持ちが固まっても、なかなか主治医には言い出せませんでした。 今までお世話になった主治医に「他の病院で手術を受けたい」とは言えないものです。 それに、家族も「先生になんて言うの!」と東京行きに反対でした。 悩んでも悩んでも、名案は浮かびません。 ため息ばかりの日が続きました。 そんなある日、私のベッドサイドに、病棟の師長さんはじめ、5人の看護師さんがやってきました。 どうしたのかしら?と思う私に向って、師長さんが笑顔でこう言いました。 ・・・ 東京に行きたいって聞きました。 先生に言えなくて悩んでるって聞きました。 東京に行ってきなさい。 自分のからだですよ。 自分の人生ですよ。 東京に行って、後悔のない治療をしてもらってきなさい。 先生には私たちから言いますよ。 レントゲンとか必要なものがあれば、全部準備しましょう。 東京に行きなさい。 ・・・ 涙がこぼれました。 私に東京行きをすすめてくれた友だちが、看護師さんたちに話してくれたようです。 私のことをみんなで話し合い、どうすることが私にとって良いのか、そして、自分たちに何ができるのかを考えてくれたのです。 東京へ行きたい私の背中をポンっと押してくれました。 でも、まだ不安がありました。 東京で手術をして、神戸に戻ってきたら、先生は診てくれるかしら・・ 師長さんは、優しい笑顔でその不安に答えてくれました。 ・・・ 先生は、そんなに心の狭い人ではありませんよ。 大丈夫。 ・・・ この言葉で、全ての不安が消えました。 東京へ行こう! 東京へ行けば何かが変わる! その日の夕方、主治医がベッドサイドへやってきました。 ・・・ ちゃんとした手術をしてもらってこい。 ちゃんと治って帰ってくるんだぞ。 中途半端な治療をして帰ってきたら、診てやらないぞ。 ・・・ そう言って、少し微笑んでくれました。 この後、私は東京へ行きました。 症例をたくさん診ている医師は、手術法を決め、それから2週間後に手術を受け、術後2週間で神戸に戻ってきました。 このときの出来事がなければ、今の私はいません。 このときの出来事のおかげで、未来を見る勇気が持てました。 友だちに 看護師さんに 主治医に 心から感謝を。 ***** コンサート活動をするようになって8年。昨年6月に、看護協会さんの研究会に呼んでもらい、このときにお世話になっていた看護師さんに再会することができました。 少しの勇気が未来を変えるんですね。 生きていてよかった。 頑張っていてよかった。 あなたに会えて本当によかった。 *****
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先日、もう一つのブログ「夫婦珍道中」で希望いっぱい夢いっぱいという記事で、夢にまで見ていた連携医療が自分の身の回りで実現していることを書きました。 『日本全国どこでも同じ治療が受けられること』 私の夢の一つです。 22年に及ぶクローン病との闘病生活の中で、生まれてきた夢です。 原因がわからない病気 治療法がない病気 一生治らない病気 死ぬことのない病気 難病と呼ばれる病気 クローン病。 今までに何回・・何十回の入院をしてきました。 手術をすることもたびたびありました。 自分の受ける治療について、悩むこともありました。 そのたびに、大きな励ましと、大きな理解がありました。 そのときの思い出を、少しずつ書いていきたいと思います。 ・クローン病発病 ・絶食治療の入院が何度か続く ・合併症の瘻孔などによる手術 ・繰り返す腸閉塞による腸管破裂〜緊急手術 ・5年後、再発 風邪をひき、高熱が三日ほど続いたあと、皮膚に孔が開いていることがわかりました。 腸管が狭窄(狭く細くなること)し、そこでの通過障害が原因となって、腸から皮膚へ向って「道」を作ってしまったのです。(これも合併症のひとつ)二度目の開腹手術をしなくてはいけなくなりました。 今回は、そのときの出来事です。 一度目の緊急手術から5年間、夢も希望もなく生きてきました。 誰も信じられなくなり、自暴自棄になっていた頃の再発です。 そして、その再発は、手術をしなくては治らないことがはっきりしていました。 とても現状を受け入れる精神力はなく、私は毎日毎日泣いていました。 ある日、同じ病気のお友だちが、お見舞いに来てくれました。 同じ病気の人は、同じ痛みを理解してくれます。 私のことを慰めに来てくれたと思っていました。 ですが、その友だちは私にこう言いました。 『自分のからだやで』 『自分で治そうをしなければ、治らへんよ』 『自分の人生やろ、自分の力で生きんとあかんで』 慰めてくれるどころか、怒られてしまいました。 そして 『今度の手術、東京の病院に相談してみたら?』 『症例をたくさん診ている医師に相談するのが一番やと思う』 と、言って帰りました。 実は、私の通っている病院では、私の症例は初めてのことで、手術について、何度もカンファレンスで話し合われたようですが、良い方法はわからず、主治医からはこう言われました。 ・・・ 一度(おなかを)開けてみないとわからないと。 そして、おなかの状態を診てから考えたいと。 二度にわたる手術になるかもしれないと。 ・・・ おそらく、友だちはそのことを聞いて、私のところへ来てくれたんだと思います。 専門医の治療を受けろと。 東京にひとりで行く勇気はありません。 東京でひとりで手術を受ける勇気はありません。 でも、気になります。 友だちが来てからは、いろいろなことを考えるようになりました。 思えば、泣かなくなったのは、このころだと思います。 ・・・ 私は「手術」のことを考えるようになりました。 私は「自分のからだ」のことを考えるようになりました。 私は「自分のこれから」のことを考えるようになりました。 東京の治療はどんな治療なんだろう 東京へ行ったら何が変わるのだろう 東京へ行かなければ後悔するかしら 東京には希望があるかもしれない ・・・ 日に日に気持ちが東京へ傾いていきます。 東京にひとりで行くことも、ひとりで手術を受けることも、できそうな気がしてきます。 でも、最後まで気に掛かることがありました。 大きな大きなハードルです。 主治医になんて話そうか・・ 今まで何年も私を診てきてくれた先生 どんなときも毎日顔を見せてくれた先生 優しくて、心から信頼できる、大好きな先生 東京へ行きたいって言ったら、どう思いますか? ****** 皆さんが、私の立場だったらどう思いますか? 皆さんが、私の主治医の立場だったらどう思いますか? この続きは木曜日に記事にする予定です。 ******
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