RAKKAN

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昔の私

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ホルモン注射

大学受験に失敗して、浪人生活に突入。。。
予備校に毎日通い、一生懸命に勉強した。そして、再度大学チャレンジ!!!
しかし、見事にすべて落ちた(−−)

どうしようか考えてたけど、やはり大学は行きたいと親にいい
2浪生活にはいった。

しかし、2浪目は予備校に行かず通信教育だけで、
あとはバイトすることにした。

そして、バイトの給与がはじめた入った4月末に
タウンページを開いて、美容整形や産婦人科の病院に電話を100件くらいかけまくりました。

変態よばわりをされたりもいっぱい(;;)
でも、なんとか探せてホルモン注射ができました。

最初は怖かった。
なんか自分とは違うものが体内に入り込んだ気がした。
でも、そのすぐ中毒か?って感じで安心感を得られるようになった。

はじめの注射で、胸がむずむず・・・気のせいかと思うくらいの乳腺のふくらみ
2回目の注射で、乳腺がむくみ始めたのが確信に変わった。
そして、3ヶ月も経つと、明らかに胸になっていた。
半年経つと、体のラインの変化に自分でも気がついた。そして男と一緒に違和感が・・・
で、段々と小さくなったのがわかった。

筋肉注射ですごい痛いけど、体が女らしくなっていくのがすごく嬉しかったですね。

高校時代

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高校生になった頃には、体もすっかり男になっていました。
そして、母への告白もしないようにしていました。

そんなある日、私は友達とトイレが一緒になりました。
友達が私のオチンチンを覗き込み(ーー)
「おまえの小さいな」と言いました。
私は、「本当?そんなことないよ」って口では言いましたが、
他の人より小さいと思えたのが嬉しかった。

そして、高校生くらいになると、周りの殆どの男の子は彼女をつくり始めました。
私は、別に彼女を欲しいとは思いませんでしたが、文化祭で話がもりあがった子が
お祭の独特な雰囲気で盛り上がったのか、私に告白してきました。
周りの友達にもはやし立てられ、なんとなく付き合うことになってしまいました。

そんな無気力での付き合いがスタートし、やる気のなさが出ていたのか・・・
というか、それが原因で(^^;
数回デートに行きましたが、すぐにふられました。
これがはじめての付き合いでした。

高校生活の中で非常に頑張ったのが、テニスです。
私の学校のテニス部は、完全実力主義で、
対外試合にでれるレギュラー8人、そして、その補助のサブレギュラー8人。
それ以外は、"一般"というように。3部制を導入していました。
(部員は、だいたい50人以上)

そして、レギュラーなどの座を勝ち取るには、年数回行われる部内のリーグ戦を勝ち抜く必要がありました。
私は、毎日一生懸命練習し、最短でレギュラーになりました。

そこまでテニスに打ち込んだのは、なんとなく人生に例えることができると考えたからです。

それは例えば・・・
試合で自分が苦しいときは、相手も苦しいのです。

非常に当たり前のようにも感じますが、夏の暑い盛りに試合をして当事者になってしまうと
ついついそのことを忘れ、自分の苦しさばかりを考えてしまうものなのです。

でも、そこで相手も苦しいのは一緒だと思い出すのです。
そこで自分に勝ち、頑張れるかが勝負を決することが多くあるのです。
特に実力がさほど変わらない相手の場合にはなおさら重要です。
また、試合では、それぞれの性格が本当にでます。
とりあえず、相手に合わせるだけの人
ややたら気が短くて強打して自滅する人など様々です。
その醍醐味を知ってしまったので、自分の成長のためにも打ち込みました。

その成果は、県の個人戦でベスト32(約3000人くらいが参加)、団体戦で市3位、県でベスト8という結果を得られました。(今は筋肉がすべて落ち、現役を離れてしまったので全然ですが・・・)

しかし、それが勉強に活かせず、浪人生活に突入してしまいました(><)
小学生のときの大病で、とりあえず女になりたいという気持ちを封印してきたのですが、
その気持ちを抑えるのに非常に葛藤した時期が中学生でした。

あいかわらず、学校や周りには悟られないよう普通の男の子として過ごしていましたが・・・
中学1年のとき
初めて女装しました。

家に母がいないときに、母のスカートをはいて鏡の前でポーズをとっていました。
スカートをはくと、すごく落ち着きました。
しかし、ある日を境にオチンチンがスカートに合わない!!
そして、とても邪魔な存在に感じました(ーー)

また、服のうえからでもあるのが気になって仕方なくなってしまい、
スカートはやめ、ジーンズなどオチンチンが上からみてわからなくなる服を選択するようになりました。そのとき、私は、どうしたらオチンチンが小さくなっていくか、あてもなく考えていたのを覚えています。

中学2年生のとき
とうとう第2次性徴がはじまりました。
自分の体が明らかに女性とは違っていくのを自覚したのが葛藤のはじまりでした。
すね毛が生え、声変わりがはじまり、なんともいえない嫌悪感がはしりました><

そして、学校の体育での着替えが嫌でたまらくなったのです!
なんか、自分の体を見られるのが恥ずかしくなってきたし・・・
また、周りの男の子の着替えをみるのも恥ずかしかったです(**)

でも、体は、周りの男の子と一緒の発育でした(当たり前なのですが)
だけど本当に嫌で嫌で・・・ネガティブなことばかり考えていました。

そんなある日、カルーセル麻紀さんのことを知りました。
彼女は、モロッコで性転換手術を受けて、体を女性のように変えていたのです。
私は、それを知り希望をもちました。自分もこうなれるかもしれないと。

そして、この悩みを母に告白して、女に早くならないと男に染まりきってしまう恐怖から逃れたかった。
だが、家にはいつも誰かしらいるので、長男の私が弟の前で女になりたいとは言えず・・・いつもチャンスを伺っていました。
そして、ある日誰もいない日がきました。
私は、言いたくて言いたく仕方なかったのですが、そんな告白のチャンスを伺っているとは夢にも思っていない母は、なかなかスキがありませんでした。
母が家族5人分の洗濯物を何度も往復中。
だからベランダ付近にいて、何度が母に話かけたのですが、どうしても言葉がでませんでした。
母を悲しませる告白になる(++)
その思いが、話しかける度に脳裏を駆け巡ってチャンスを逸していました。

結局、母に言えないでどんどん時間が過ぎ、弟の一人が帰宅しました。
告白は失敗に終わりました。。。><

まぁ〜うちの親の性格を考えると言わないで正解だったかな?って今は思います。

女の子になりたいという気持ちが本当に強く、そして自分でも自覚するようになったのは、小学1年のときです。

ある日、授業中に「家にある箱をなんでもいいから持ってきてください」と先生が言いました。
私は、家に帰り、母に言う前に、母の化粧台にあった化粧品の入っていた箱を見つけました。
化粧品の入っていた箱は、非常に良いにおいがして、化粧品に更なる興味を持ちました。

ただ、私もこの頃には、男と女の境界線があるのは知っていましたので、
化粧をするのは女性だけで、男の私には入れない聖域であると自覚していました。
ですから、化粧をしてみたいという気持ちを抑えなくてはいけないと自分に言い聞かせました。
その気持ちを隠し、私は母に学校の授業で箱をもっていく必要があるから化粧品の箱を持っていっていいか母に聞き、化粧品の箱をもって行きました。

そして、化粧品の箱を授業へもっていくと、
先生はその箱に書いてあるメーカー名と値段をみて、
「高級化粧品をお母さんは使っているんだね。お母さんは、どうりであんなにきれいなはずだ」と言いました。
私は、先生がどういう意図で、そのような言葉を言ったのかわかりませんが、
お化粧をするとやっぱりきれいになれるんだ!と思い、
私もお化粧をして母のようにきれいになりたい!と非常に強く思いました。

でも・・・それを行動にはできませんでした。(++)

その頃、生まれたばかりの3番目の弟がいたし、すぐ下にも3歳下にももう弟がいたの大きかったかも。
「お兄ちゃんなのだから、弟のお手本になるようにするんだよ」と常日頃から言われていたのです。

その冬、私は腹膜炎になりました。
最初、学校からの帰り道にお腹が痛くなったのが始まりです。
2週間くらい我慢をしていたのですが、どうしても夜も寝れなくなったので夜中に母に言いました。
母は、あわてて父を起こし、病院に連れていってくれました。病院にいくと、先生はお腹を触診し、看護婦さんに何かいいました。
そして、訳がわからない私は、なぜか浣腸をされて、とりあえず家に帰りました。

ですが、朝になってもお腹の痛みは全くよくならず、それどころか、大便が逆流し、口から吐き出しました。

さすがに、それをみた母は、父にもう一度病院に車で行きたいから、連れていって欲しいことを言ったらしいのです。
しかし、父は仕事へ行かないとダメと言い相手にしなかったとのことです。
父と母の会話は、私は後々に聞いたので、そのときは知りませんでしたが、
とりあえず、母がうずくまっている私をおぶって病院に行くことになりました。

当時、私の住んでいたアパートは、山の上に建っている場所で、バス停までは約15分くらいの下り坂でした。
その坂道を母が私をおぶって一歩踏み出すと坂道で反動がくるのです。
私は、母が一歩踏み出す毎に、「うっ、うっ」と痛みからでるうめき声をあげてしまいました。
母は、非常に優しく、「大丈夫?」、「もう少しでバス停だから」と、何度も私を励ましてくれました。今でも鮮明に覚えています。

病院につくと、緊急手術です。
(母は先生に怒られたと後に私に言いました。ここまで放置しておくなんて・・・と)

手術が終わり、先生が私に気分を聞きにきてくれたとき、「あと数時間遅れていたら大変だったよ!お母さんに感謝しなさい。」と言いました。
このとき、私は、母に感謝すると共に、母を悲しませることはできないし
絶対にやってはならないと決心しました。

それがきっかけで、私は、女になりたいということを母には隠し通すことと決心したのでした。

幼稚園まで

誕生は横浜の反町ですが、
物心がついたときの記憶にあるのは、横浜でも田畑や森が非常に多い港北区です。

幼稚園に入るまでは、近所にいる年上の女の子とよく遊んでいました。
どんな遊びをしていたのかはよく覚えていません。
後々、母から聞かされたのは、オママゴトをよくしていたとのことです。
しかも、その子は結構強いタイプの女の子で、私の小便の姿勢まで指示を出していたとのこと。
お陰で、幼稚園に入るチョット前まで私はいつも座ってオシコッコをしてたらしいです。

でも、ホント何も覚えていないのですが、なぜかとても楽しかった印象をもっています。
アッ、座ってのオシッコは、幼稚園に入ったらまずいと思った母が注意してなおしたらしいです。

幼稚園に入ってからは、同じ年の男の子が近所にいたので、
その子とその子の両親、そして私の母親の4人で幼稚園までの通園を徒歩でしていました。
(当時は、幼稚園バスは私の近所の方まで来ていなかった)

ちなみに、行き帰りの道は、本当に野道でした。
雨が降るとドロ水の水溜りがあちらこちらにできるような道です。
しかも、車なんて全く通れない幅で、夏になると草はボウボウ。
どちかというと獣道にちかい感じの道でした。
そこを、片道約30分くらいをかけて通園してました。
(幼稚園に入る前まで良く遊んでいた年上の女の子は、どっかに引っ越してしまった)
私は、意外とその道は大好きで今でも光景を思い出します。
その道には、きれいな花がたくさんあり、毎日がハイキングのようでした。

肝心の幼稚園ですが、日常の保育時間中などの思い出は殆どありません。
覚えているのは、お寺の幼稚園だったので、和尚さんの園長先生の話が好きだったのを覚えています。
あと、うれしい印象として残っているのは、お遊戯会でお化粧を初めてしてもらったときです。
お遊戯会はある意味舞台なので、舞台用にお化粧をしたのです。
で、口紅をつけてもらったのが嬉しくて。
で、タイツを穿かされて自分のオチンチンの部分がタイツの圧力で平らになったのが
とても嬉しかったのを覚えています。

今思うと、そのときから女性にあこがれていたのかもしれません。
かもじゃなく、間違いなくそうですね(^^)

でも、そんな私ですが、擦り傷などのケガが絶えない子で、
近所のお兄ちゃんとカブトムシなどを取りに行ったりして意外と活発だと思ってます。
とにかく、落ち着きがなく、一箇所にじっとしてるのが苦手な子でした。

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