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早朝、葉山を出発して、東北新幹線で一路仙台へ。仙台からレンタカー(プリウス)に乗り換え、海岸線をたどって気仙沼を目指した。
仙台駅の周辺はにぎやかで、震災の影響なんか微塵も感じられないような活気あふれる雰囲気。車で海のほうへ近づくと、塩釜のあたりから、家が傾いたり、崩れかけていたりと、被災の様子がうかがわれるようになってきた。
やはり、地震そのものより、津波の影響のほうが大きな災害だったので、海辺に行くほどその様子がひどくなってくる。
塩釜から松島、東名、石巻、女川、北上川の河口付近、南三陸町、歌津、大谷海岸など、リアス式の美しい海岸線を辿ると、海に開けた漁港に出るたびに、建物がすべて破壊されがれき交じりの更地になった痛々しい風景が目に飛び込んでくる。
それでも人口の多かったエリアは、工事車両やがれき運びのトラックが入り人の気配はするものの、数十人単位の小さな漁港だったようなエリアには、まったく片づけの手も入っていず、道路わきにがれきが当時のまま散乱しているような生々しい状況だった。
海辺の道路が再開したのが最近のようで、ひび割れや路肩が落ちたりしてがたがたの、しかも、しょっちゅう工事で片側通行になるようなエリアで、まだまだ復興なんて遠い先の話。復興の前に、現地の片づけがすまなければ、何も始まらない。
たった1日、100kmほど海岸線を走っただけでも、今回の災害被害の大きさに改めてショックを受けてしまった。この膨大なエリアで破壊された人々の暮らしと失われたたくさんの大切な命。
このエリアから災害の痕跡を消すためには、想像もつかないようなたくさんのお金と、またたくさんの人のボランティアが必要なことは間違いない。
震災後7カ月。そろそろ放射能にみんなの関心が移って、津波被害のことは記憶が薄れつつあるかもしれないけど、これだけの震災被害を元に戻すためには、私たちみんなの力が必要だとしみじみ思った。
いろいろ写真を撮ってきたので、東北から戻ってから今回の旅の様子はまとめようと思っている。とりあえず、旅の最中はその日の簡単なレポートのみ。
気仙沼には暗くなって到着したので、気仙沼レポートは明日の予定。被災地の旅は、また明日・・・。
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片雲の風に誘われて・・・
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3.11の大震災以来、ずっと心の一部が地震や津波、そして放射能などの被害にあった人たちのことで占められていて、なんだか、もぞもぞとすわり心地の悪いイスに座っているような気分がする。
震災直後にわずかながら募金もしたし、支援物資も送った。それでも、被害もなく平穏で変わりない日々の暮らしの中に身を置いていると、時折、家を失った人たちのショックや、とっても大切な誰かを亡くした人たちの喪失感、また震災当時の恐怖がいかばかりだったかなど、想像力をたくましくして、なんとももぞもぞしてしまうのだ。
すぐにでも駆けつけて、そんな人たちの支えになりたいと思ったものの、そういう際に必要な特別な技術があるわけではなし、瓦礫撤去などの作業をするには腰に不安があるし・・・。そんなこんなでいつしか7ヶ月が経ってしまった。
もうかなりの瓦礫が片付けられ、ボランティアのニーズも第2ステージへと移り変わりつつある今日この頃。ちょうどダンナが仕事で宮城に行くことになったので、私も、もろもろのつじつまを合わせて、宮城まで同行し、現地別行動でボランティアをしてこようと準備を始めた。
ボランティアをやるにあたって、必ず加入しなければいけない「天災型ボランティア保険」に加入し、ボランティアで何度も現地へ行った町の福祉事務所の人に、今必要な持ち物を聞いて買い揃え、被災地で営業を再開したホテルに予約を入れ、なるだけ現地でお金を使おうと計画していた矢先に、ぎっくり腰になってしまった
それが先週の土曜日。被災地へ出発するのは明日の早朝。
その前からひざを痛めていて、注射を打ちながら治療をしていたところに、今度はぎっくり腰。もう大ショックで呆然。
よろよろしながら行きつけの整形外科に行き「ひざの調子はどうですか〜」なんてにこにこ診察する先生に、「あの〜、実は言いにくいんですけど・・・ぎっくり腰もやってしまいました・・・」。
先生「あらら、それは大変ですね。痛いでしょう」
私「ええ、痛いのも痛いんですけど、その、なんというか、実は出かける予定がありまして・・・」
先生「えっ・・・」(先生はかなり白い目・・・汗)
私「震災被災地に木曜日から出かけるんですけど、このままじゃ痛くて動けないんです。先生何とかなりませんか!」
先生「・・・・・・うーん、安静が一番いいんですけどね。ま、何とかできないこともありませんが・・・・・・」
私「えっ、何とかできるんですか!それじゃぁ、その何とかをやってください!!!」
というわけで、先生にはかなりあきれられたけど、腰に筋肉を柔らかくして痛みをあまり感じなくなる注射(処方箋には麻酔薬と書いてあった・・・)を4ヶ所ほど、ぶすぶすぶすと遠慮なく注射され(涙)、さらにひざにも注射。そして錠剤の痛みを感じなくなる薬、筋肉を柔くする薬などを処方された。
「1日3回、必ず飲んでくださいよ。これなら何とか動けるでしょう。コルセットをして、冷やさないように腹巻もしたほうがいいですよ。最近はおしゃれなのがあるでしょ」と先生。ああ、先生ありがとう!
で、その後、ほんとに動けるようになった。腰痛用のコルセットをして、薬をちゃんと飲み、かなりいい患者をしている私。痛みが消えたわけではないけど、腰が伸ばせて歩ける!家事もできる!刺すような痛みが、鈍い痛みに変わり、それも少し軽くなってきたような感じ。
ただボランティアができるほどよくなるかは現地に着いてみないとわからない。もともと腰が弱くて軽作業しかできないと思っていたので、そういう作業がないと参加できないし、現地のニーズが私の体力に合わない可能性もある。
避難所がどんどん閉鎖されて、仮設住宅に移る人が増えている。町ではお店や宿泊所などが再開し始めている。地域のお祭りや復興イベントなども盛んに行われているようだ。当初のボランティアとは違うニーズが求められているのも事実。この時期、どういうお手伝いが必要なのか、実際行ってみて様子をみてからじゃないと、ちょっと見当もつかない。
とにかく行ってみる。ボランティアできなくても、お金は使えるしね。
というわけで、明日から日曜日まで、被災地で様子を見てくるつもり。現地から報告ができそうだったら記事をアップするつもり。もしくは帰ってきてからまとめて報告となるかも。
腰の痛みが何とか引いて、何かお手伝いができればいいなー。
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昨年11月半ばに母と一緒にエジプト旅行をした。
ちょうど気候がよくなる時期で、旅行シーズンに突入したエジプト。折りしも日本のお正月とお盆を合わせたような「犠牲祭」というホリデーシーズンに当たって、なんだかエジプト中がお祭り気分。
町中に人があふれ、深夜まであちこちで休日を楽しむ人たちで賑わっていた。水が悪かったり、遺跡観光が多くて、砂漠へ出かけたり、歩くところが多かったり。けっこう疲れたり、体調を崩したりしたものの、人々は優しいし、景色はエキゾチックだし、本当に忘れられない旅となった。
帰国して1週間後にエジプトでは国会議員の選挙があった。そのとき政府は野党関係者を1200人も拘束したなどというニュースを見て、穏やかじゃないナーとちょっと悪い予感がした。
お正月が来て、私たちが最高級ホテルで夢見ごこちの一夜を過ごしたアレキサンドリアで、爆弾テロがあって死者が出た。それから、アフリカの周囲の国で政変が起こった影響を受けて、がたがたがたと、エジプトの治安が悪化してしまった。
昨日100万人行進が行われたカイロ中心部のタハリール広場。エジプト考古学博物館の前にある広場で、私が訪ねた時は、車や人が行きかう、どこにでもある広場だった。
エジプト考古学博物館に暴徒が進入し、ミイラを壊したと聞いてびっくり。このミイラ室は入場料とは別料金で入る特別室。そこに有名なファラオのミイラが8体ほど展示してあった。
どのファラオのミイラが壊されたんだろう。5000年の時を静かに身にまとってガラスケースの中で眠り続けるミイラたち。このときまで存在していたファラオが、こうした不測のごたごたで、消滅してしまったという取り返しのつかない事実。
その後、エジプト考古学博物館は心ある人々が取り囲み、人間のチェーンで守られていると聞いて、ちょっと安心。一時の激昂で、ふたつとない歴史の至宝が破壊されるという蛮行は、あまりにも悲しい。
昨日、この同じ広場を埋め尽くしたエジプトの多くの人々。
(朝日新聞掲載写真=撮影・越田省吾氏)
富や権力が偏って、ついに声をあげたたくさんの人々。旅をしていても、貧富の差の激しさにびっくりすることはしばしばだった。
そんなエジプトの、恵まれた側面の中だけを旅していた私たち。持つものと持たざるものの違いを肌身に感じながら、大名旅行をする先進国からの観光客。
さまざまな格差や差別。そんな中でも湧きあがる希望や夢。袖すりあったたくさんのエジプトの人たちのまぶしい笑顔。
みんなが、笑顔でいられますように、みんなの夢や希望がかないますように。この変革が、平和裏に進みますように。
エジプトのニュースを見るたびに、かの地に降り注ぐ日差しのまぶしさや、吹き抜ける乾いた風が、胸の奥でぐるぐると渦を巻いて湧き上がってくる。
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起きてテラスから外を見ると、ビーチの反対側の建物の上に朝日が昇り始めていた。エジプトで見る最後の朝日。
朝ごはんを食べに行くと、いつにもまして豪華なラインナップ。実は旅が始まってから、ずっとおなかの調子が悪かった。決定的におなかをこわしたりはしなかったけど、いつも胃が気持ち悪くて、食欲がなかった。
今考えると、王様のように酒池肉林の日々だったのに、本当に残念。でも、この日もパンを少しとトマトだけ。後は見ただけ。
食後にいよいよアレキサンドリアを出発し、一路カイロへ。朝の海は穏やかで、海岸に並んだテントやビーチチェアーが、気持ちよさそうに潮風に吹かれていた。
こんな海辺で数日のんびりできたらどんなにいいだろう、なんて遠くの海辺の町から旅に来てもやっぱり思ってしまう。
バスでカイロまで戻り、イスラーム地区のハン・ハリーリという大バザールに立ち寄った。ここは14世紀末からあるというバザールで、観光客は必ず立ち寄るところ。
周囲にはモスクや大学などの歴史的建物がたくさん集まっていて、歩いていても楽しい場所。
ここにも観光警察官がうようよ。私たちのグループにも専属の警察官がついて、なんか治安がいいんだか悪いんだかよくわからないけど、これじゃぁ、スリも商売上がったりだろうなーなんて思ったりして。
ここで香水瓶やTシャツ、大理石の置物など、母の欲しいものを交渉しながら買い物。この交渉が結構時間がかかる。なので、自分の欲しいものまで手が回らずに、私の欲しいお土産はあんまり買えなかった(涙)。ま、専属アテンドとしてはしょうがないところ。
ここでの買い物が終わると、いよいよカイロ国際空港へ。空港で現地ガイドさんとお別れ。今度は空港内でお世話をしてくれる別のスタッフがやってきて、常に誰かにお世話をされての旅。
楽チンだけど、なんか体がなまりそう(贅沢?)。チェックインして出国後、免税店で少しお買い物。私の分のお土産は空港で買い込んだ。
飛行機はビジネスなので、またまたゆったり楽チン。座席についたとたん、ドリンクのサービスが回ってきた。それからしばらくして離陸。エジプトよさようなら。体調は万全ではなかったけど、楽しかったよ〜。
母も疲れたけど楽しかったとの感想。よかったー。
日本に着くのが正午ぐらいなので、時間を逆算して映画を見てから睡眠。シートは寝返りが打てる広さ。これで時差ぼけなしで帰国できた。
成田にはダンナと娘が車で迎えに来てくれていた。スーツケースを受け取り、母の分だけ宅急便で送ろうとカウンターまで持っていくと、スーツケースの底が少し割れていた!
エジプトでは、スーツケースを放り投げていた。扱いが荒いナーと思っていたら、案の定破損。
さっそく手荷物のクレームカウンターに行き、エジプト航空の破損証明を取って、後日修理に出すことに。面倒だけどしょうがない。
スーツケースを預け、みんなでランチ。久しぶりに食べたおそばのおいしかったこと。そのまま家に帰るという母を羽田まで送っていった。
ちょうど夕日が沈むころ。私と母の旅も無事終了。
今度はどこに行こうかなー。
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この日のモーニングコールは夜中の3時半。それから荷物を出し、朝ごはんを食べて、5時にクルーズ船に別れを告げた。
これからルクソール空港に向かいカイロまで飛行機でひとっ飛び。カイロからはバスに乗り換えて、エジプトの最北、地中海に面したアレキサンドリアに向かう。
空港に着くと、けっこうたくさんの人が早朝の飛行機を待っていた。しばらく待合室をぶらぶらしていると、朝日が昇り始めた。エジプトの日の出だ!と写真を撮っていたら、係りの人に叱られた。この国では写真を撮ってはいけないエリアがある。空港もそのようだ。
約1時間の飛行でカイロに到着。今度は砂漠の中の高速道路で一路北へ。約4時間の旅でアレキサンドリアに到着。これまでの、砂漠の誇りっぽい町並みと違って、海辺のリゾート地はまたずいぶん違う雰囲気を持っていた。
とにかく、どこもかしこも人が多い。犠牲祭のお休みで、みんな休日を楽しんでいる様子。海辺も押すな押すなの人ごみ。
アレキサンドリアではアレキサンドリア博物館で海底からの発掘物やカタコンベ、カーイトゥベーイの要塞等を見学し、今夜の宿となるホテルへ。ヘルナン・パレスタインというモンタザ宮殿の庭園内に建つ、今回の旅で一番豪華なホテルに泊まる。全室地中海ビューという素敵なホテル。
ここのスイートルームに宿泊したけど、メインの部屋は親しくなった別の人が泊まることになり、私たちはスイートのサブの部屋。
スイートの、三方を地中海に囲まれたリビングでくつろぐのは至福の時間。どの窓からも地中海が見渡せる。まるでセレブになったかのような気分になってくる。
ここで公園の外のスーパーマーケットに親しくなった人たちと出かけた。ところが、宮殿の庭園は広くて、公園を出るのにずいぶん時間がかかった。ようやく外に出て通りを渡ろうと思ったけど、エジプトには横断歩道がない。ついでに信号もほとんどない。あっても飾りだとか。
車がびゅんびゅん行きかう道路を、エジプト人はひょいひょいと飛び出して渡って行く。どんなに見ていてもできそうな気がしない。そこで、ローカルの渡りそうな人についていく作戦を立てたけど、なかなかタイミングが合わない。
ええ、ままよと、飛び出して日本人だけで何とか横断成功。そんな私たちの様子を見ていた地元の人たちから拍手をもらって、ちょっといい気分。えへへ。
地元のスーパーは結構大きくてアメリカンスタイル。わりと裕福なエリアのスーパーなので、陳列も仕組みもわかりやすい。みんな大きなカートを転がして、1週間分ぐらいの買い物をしている様子。
ここの商品にはみんな値札が付いていた。それでほっと一安心。これまで買い物をしたところはみんな値段交渉が必要だった。それって時間もかかるし、エネルギーも消耗する。値札が付いているだけで、うれしくなってしまう。
ただ書かれているのがエジプト数字。実はこの数字、少し前にガイドさんに習ったばかり。それを一生懸命思い出して、カートに放り込む。何とか数字だけは読めるようになっていたのでよかった。
スーパーで量り売りのドライデーツ(ナツメヤシ)、ハイビスカスティー、サフランなどを購入。蜂蜜やエジプトのお菓子も買った。使えるのはエジプトポンドだけ。ここで両替した大半のエジプトポンドを使ってしまった。でも、お土産屋さんなどでは、ドルや円、ユーロなども使える。それは便利。
いろいろ買い込んで、また道路を渡って宿泊しているホテルまで帰らなければいけない。さぁ、道路を渡ろうと思ったけど、今度はどうしても飛び出すタイミングが見つからない。
何度もチャレンジしては引き返していたら、見かねた男の子が道の向こう側から渡ってきて、私たちを引き連れて公園側まで引率してくれた。さすがの余裕で、車を止めながら上手に道路を渡って行く。私たちも生きて道路を渡ることができて一安心。
お礼を言って公園のゲートへ行くと、門番が入場者チェック。入園チケットを買った人と宿泊者だけが入れる。ホテルのキーを見せるとフリーパス。
戻ってきたのは深夜の12時近く。それなのに、公園の中ではたくさんの家族連れが薄暗がりでピクニック中。小さな子どもも一緒に夜更かししている。エジプト人は宵っ張りが多い。
とにかく宮殿の庭園は広い。歩いても歩いてもホテルにたどり着かない。ピクニック中の人に何度も道を尋ねて、何とかたどり着いた。せっかく素敵なホテルなのに、外ばかり出歩いて、ホテル内を探検できなかったのが少し残念。
実はこの夜、母が体調を崩してベッドで休んでいた。私が戻った時はすでに夢の中。明日も体調が戻らなかったら病院かなーと心配しつつシャワーを浴びて、私もベッドへ。朝早くから深夜まで、存分に動き回って、エジプト最後の夜は更けていった。
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