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投票日は近いのに

 やれやれ、もうすぐ日曜日じゃないか。「こんな人たち」に入れる気もないし、かといって
 この県では選挙区ではもうどうしたって最初から当選者は決まっている。さて、孫子の時代に。若い人達は特に、しらけてる場合じゃない。年寄りの国じゃないんだ。


【参院選】全選挙区・全候補の「当落予測」生データを公開


反安倍リベラルの正体:「民主党的なもの」との決別を

高山 貴男

他人より優位に立ちたいだけ
国政選挙が近くなるとまたぞろ「保守」「リベラル」の論争が盛んになる。2017年の衆議院議員選挙の際には「保守」について語られたが、今回はどちらかと言えば「リベラル」について語られている。

特に「反安倍」を標榜するリベラルは「何故、リベラルが支持されないのか」と自問自答しており、それについてはこのアゴラでも取り上げられた。

参照:彼らも僕らも悩んでいる『なぜリベラルは敗け続けるのか』

では何故、リベラルが世論から支持されず安倍政権に国政選挙で敗北し続けているのだろうか。その答えは簡単だ。リベラルではないからだ。「反安倍」リベラルの正体はリベラル用語を振りかざして他人を攻撃する「こんな人たち」に過ぎない。

彼(女)らにとってリベラル用語は他人より優位に立つための道具であり、俗っぽく言えば「水戸黄門の印籠」である。

時代が時代ならば、例えば1930年代の日本やドイツに「こんな人たち」がいたならば、彼(女)らは「国体」や「人種」について熱弁していたに違いない。

現代の「こんな人たち」は自らが優位に立つために物事を「被害者/加害者」「弱者/強者」の二項対立の図式にあてはめ彼(女)らが考える「被害者」「弱者」への同調を強制する。

同調を強制するのだから「こんな人たち」が唱えるリベラルな社会では個人の意見は尊重されない。常に「こんな人たち」を意識して生活しなくてはならない。

「こんな人たち」が唱えるリベラルな社会とは個性豊かな社会ではなく「リベラルであること」が強制される画一的な社会であり、そこに自由などない。

悲しいことに今「こんな人たち」が跋扈できる環境が整っている。

SNSの爆発的発展によって最悪な意味での「類は友を呼ぶ」現象が成立し自己抑制に課題がある者同士が交流できるようになった。

控えめに言って彼(女)らは少数派だが行動力があり、また、SNSを通じて多数を動員し特定個人をピンポイントで攻撃する。

リベラル用語を振り回す「こんな人たち」はともすれば日本の自由・民主主義社会をあらぬ方向に導く恐れがある。

「こんな人たち」という絶妙な表現
周知のとおり「こんな人たち」とは2017年の都議会選挙の応援演説の際に安倍首相が演説妨害者に対して放った言葉である。

演説全体を聞けば侮蔑を意図して発言したわけではないことは明らかだが、反安倍、特に朝日新聞は得意になってこの言葉を引用して安倍首相による「国民の分断」とか「政権党の度量」云々を強調している。


完全なるミスリード、フェイクニュースの類だが朝日新聞は「利用できる」と思ったのだろう。そして得意になって引用している朝日新聞もまた「こんな人たち」と言わざるを得ない。もう報道機関であることを辞めたのだろう。

この朝日新聞による安倍批判の一環としての「こんな人たち」の強調がどれほど効果があるのかわからないが、筆者は「反安倍」リベラルを現す言葉として「こんな人たち」は絶妙な表現だと考える。

演説妨害者に対して放たれた「こんな人たち」だが真面目に考えれば彼(女)らの活動は犯罪であり、何よりも反民主的行為に他ならず「日本版突撃隊」とか「全体主義者」と批判する方が適切である。しかし、どうだろうか。仮に安倍首相が演説妨害者に対して「日本版突撃隊」とか「全体主義者」と批判したら、演説妨害者は案外、気分を良くして舞い上がってしまうのではないか。

これは不良少年が「お前はヤクザみたいだ」と批判されたら「自分はヤクザと同じくらい強くて恐れられている」と勘違いし増長してしまう心理と同じである。

「こんな人たち」はリベラルを自称しているがリベラルな社会を建設する能力などなく「リベラルの敵」と対決することで自らのリベラル性を証明する。

だから「リベラルの敵」たる安倍首相当人から批判されることは彼(女)らにとって自らがリベラルであることの最高級の証明に他ならない。ましてや歴史的存在に例えられて批判されれば、それはもはや「活力」である。

しかし、安倍首相の口から出てきた言葉は「こんな人たち」であり、そこに品性はなくだからと言って下品でもない。平凡さに滑稽さが加わったような言葉であり「反安倍」リベラルから放たれる嫌悪感とくだらなさを一言で絶妙に表現していると言えないか。

「民主党的なもの」との決別を
今「こんな人たち」が野党の周辺を衛星のように回り、機会をうかがい野党を跳躍台にして国政に介入しようしていることは否定できまい。

野党は「こんな人たち」の跳躍台の役割を果たすことがないことを証明するためにも安倍首相に対する演説妨害に対して非難声明を出すとか、思い切って与野党共同の非難声明を発表することも提言すべきではないか。この場合、野党第一党の立憲民主党の責任は大きい。

しかし、残念なことにそれは期待できない。立憲民主党の枝野代表は、安倍首相を意識して「『こんな人たち』に集まっていただいています」と演説したほどだし(参照:日刊スポーツ)、選挙妨害も積極的に非難していない。

立憲民主党の「こんな人たち」への奇妙な態度・姿勢は同党の党是である「立憲主義の回復」に疑念を抱かせるものである。

立憲民主党が政権与党になり「立憲主義が回復される」と「こんな人たち」が我が物顔で闊歩する社会がやってくるのではないか。

枝野代表を批判すればたちどころに朝日新聞を始めとしたリベラル系メディアの記者が予告なし自宅や職場に大挙して押し寄せて「取材」の名目で威圧してきて親族・友人関係が破壊されてしまう、あるいは地域社会から孤立してしまうのではないかと不安を抱いてしまうのが筆者の噓偽りなき本音である。

さて、立憲民主党だが、よく見れば菅直人内閣の主要メンバーで運営されており、民主党左派と言ったほうが正確である。そして「民主党」と表現出来る限り立憲民主党にも「こんな人たち」と同様の滑稽さがある。まさか「民主党は滑稽な存在ではない」という者はいないだろう。

要するに立憲民主党と「こんな人たち」は同根・同類であり活動場所が国会の「内と外」の違いに過ぎない。そしてこの両者をまとめて表現するならば「民主党的なもの」である。

もはや民主党は存在しないが「民主党的なもの」は存在している。立憲民主党と「こんな人たち」がそれであり、両者は隙あらば日本の民主主義を混乱させようとしている。

この「民主党的なもの」がある限り日本の民主主義は動揺し、外交・安全保障・内政の全ての政策分野で膨大な時間を浪費されるだけである。だから日本の未来は「民主党的なもの」から離脱した先にある。

2019年は民主党政権誕生から10年を迎える。数字として切りも良く、民主党政権を思い出すのにちょうど良い。そこで民主党政権時代、安倍首相の言葉を借りるならば「悪夢」を思い出しながら参議院議員選挙を通じて「民主党的なもの」との決別を図るべきである。


「真実」政府ひた隠し 実質賃金の伸び率、年金財政 参院選

西日本新聞

 参院選では、消費税増税や年金など社会保障制度の在り方が大きな焦点となっている。ところが、政府はその現状や将来予測を示す実質賃金(参考値)の伸び率や公的年金の「財政検証」を公表せずに選挙戦に突入した。有権者は政策の是非を判断する「事実」を知らされぬまま1票を投じることになるため、識者からは政府の姿勢を問題視する声が上がっている。

 厚生労働省の毎月勤労統計で伸び率が異常に上振れして注目されたのが、上振れ要因を取り除き、実勢に近いとされる実質賃金伸び率の「参考値」だ。

 野党は2018年の伸び率を前年比マイナス0・3%と独自に試算し「公式値」(0・2%増)との隔たりを指摘して、今年の初めから厚労省に正式な試算を要求。ところが、同省が設置した有識者検討会が難色を示して公表しておらず、実質賃金が伸びているか否かはあやふやなままだ。

 実質賃金が下がっているのに、消費税引き上げで物価が上昇すれば、生活を直撃する。「まさに泣き面に蜂。アベノミクスの失敗という『不都合な真実』がばれるのが嫌だから出さない」。安倍政権の経済政策「アベノミクス」を検証した著書のある明石順平弁護士は、そう指摘する。

 「実質賃金の真実は、消費税増税の是非に直接関わる。正しい情報を出さないのは有権者にとって大きな不利益だ」と批判する。

 公的年金の健全性を5年に1度、チェックする厚労省の財政検証も、6月に公表される見通しだったが、参院選後に先送りされた。

 財政検証は将来の人口や経済状況など変化予測を踏まえ、おおむね100年間の年金給付を試算し、制度が維持できるかを調べる。結果次第で保険料や給付水準を見直すことになる。

 老後資金2千万円問題で不安が高まる中、有権者の関心が高いテーマ。少子高齢化で将来の給付水準の低下が見込まれるため、選挙への悪影響を避けた形だ。

 元総務相で早稲田大大学院の片山善博教授は「判断材料を示さなければ、有権者が誤った判断をしかねない」と指摘。安倍政権が公文書改ざんなどによる「隠蔽(いんぺい)体質」を批判されながら高支持率を維持する現状を踏まえ、「隠しても支持率は下がらず、やり過ごせると高をくくっている」と分析する。

 片山氏は、野党の追及力不足や相次ぐ不祥事に有権者の鈍感さが増していることも背景にあるとした上で「権力側が情報公開しなければ、民主主義は成り立たない。今、民主主義が崩れる過程にある。それを正せるのは選挙しかない」と警鐘を鳴らす。


具体策を示さず「反権力」叫び続ける野党に疑問… 枝野氏や志位氏、世界のリーダーとどんな話しが出来るのか 

 昨日タイトルに目が行った。共産党 ? 共産党に傾くことはまずないな。が、今の与党にトップにもの申せる者は居ないのか。首相の応援演説にヤジを飛ばすと警官に包囲される。なんか、香港のミニチュアだ。


自民党離れする保守層と共産党との関係

このままでいいのか、今の日本。参院前に保守主義者・作家 適菜 収が語る!

■自民党離れする保守層
 先日「安倍疲れ」という言葉が頭の中に浮かんだ。ネットで検索すると、すでに存在する言葉でいくつかヒットした。そこで「国民の安倍疲れ。この言葉に尽きると思います」とツイートしたら、共感のコメント、リツイートをたくさんいただいた。本当に国民は疲れているのだと思う。「もういいよ」「疲れたよ」「ぐったりだよ」と。

 私は「ああ、この言葉が今の世相にしっくりくるんだな」と思った。皆、疲れて、いらいらしているのだ。ウソや不正を告発したところで、確信犯的にウソを積み重ねている連中が相手では暖簾に腕押し。不満はたまっていても、声を上げ続けるのはしんどい。そしていつしか口をつぐむことになる。いや、連中は口をつぐむ人間が増えていくのを待っているのだろう。

 安倍関連メディアは「民主党時代に戻るのか」「安倍さんを降ろしてその先はどうするのか」といった情弱向けのテンプレートを社会に投下し続ける。

 野党がだらしない?

 政権に対する批判の受け皿がない?

 寝言は寝てから言え。

 そろそろ目を覚まして現実を直視すべきだ。

 今回の参院選では、受け皿がありすぎて、困るくらいなのだ。

 前回の選挙との一番の違いは、この30年の失政をなんとかしようという動きがでてきたことだ。

 つまり、日本人が正気を取り戻し、立ち上がり始めた。

 特に保守層や改憲派(ビジネス保守・愛国カルト・ネトウヨは除く)が遅きに失したとはいえ、安倍一味の正体に気付き始めたのは大きい。

 西尾幹二も晩年の西部邁も安倍を批判したが、先日は改憲派の代表的論者慶應大学名誉教授の小林節が共産党支持を打ち出した。

 右翼団体の一水会も「今こそ、対米従属・自民党幕府の売国、腐敗を断罪する救国維新派の『処士横議』が重要だ」とツイート。

 大阪では自民党支持層の一部が共産党のたつみコータロー候補支持に流れている。自民党大阪府連が官邸の意向に屈し、大阪市解体の住民投票実施賛成に寝返ったので当然だろう

 野党は32の1人区すべてに統一候補を擁立した。保守層や改憲派の票が野党に集まれば、世の中は今よりははるかにマシになる。 

 「れいわ新選組」は安倍政権の売国政策(TPP、水道法、カジノ法、漁業法、入管法、特定秘密保護法、国家戦略特別区域法など)の一括見直し・廃止を唱えている。ここまで明確に反構造改革を打ち出しただけでも、高く評価しなければならない。

 この流れは大きい。


日本共産党とは相いれない部分も多い。
私は、共産主義も新自由主義と同様、近代が生み出した病の一環であると考えているからだ。
日本共産党が政権を取る日は来るのか?
本書で述べるようにいくつかの条件をクリアしない限り、国民の信頼を集めるのは難しいと思う。
そこで、私の失礼な質問にも、やさしく、面白く、かつ的確に応えてくれる
衆議院議員で日本共産党大阪府委員会副委員長の清水忠史さんと
わが国の現状とその打開策について語った。
――――保守主義者・作家 適菜 収

作家・適菜収氏との対談は刺激的であった。
保守的な論壇人としてのイメージが強く、共産主義に対して辛辣な意見を包み隠さず発信してきた方だけに、本当に対談が成り立つのだろうか、ともすればお互いの主張のみをぶつけ合うだけのすれ違いの議論に終始してしまうのではないかと身構えたのだが、それは杞憂に終わった。

 安倍は移民政策を採用しないと言いながら、移民政策を推進。日本はすでに世界第四位の移民大国になっている。二〇一四年のダボス会議では、徹底的に日本の権益を破壊すると宣言。電力市場の完全自由化、医療の産業化、コメの減反の廃止、法人税率の引き下げ、雇用市場の改革、外国人労働者の受け入れ、会社法の改正などを並べ立て、「そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう」と言い放った。

 典型的な〝ファミコン脳〟だが、これらの工作はほぼ完了したとみていい。日本の景色はすでに一変している。

 安倍はTPPを推進し、水道事業の民営化や放送局の外資規制の撤廃も目論んできた。入管法改定に関しては法務省がデータをごまかしていたことが明らかになったが、森友事件における財務省の公文書改竄、南スーダンPKOにおける防衛省の日報隠蔽、裁量労働制における厚生労働省のデータ捏造など、すでにわが国は常識が通用しない三流国になっている。これらはいずれも安倍案件だ。

 こうした中、「国益を守れ」「社会を守れ」「地域を守れ」と主張する日本共産党に国民が関心を持つようになったのは、当然なのかもしれない。急進的に国の形を変えようとする連中に比べ、旧態依然とした共産党の主張は「保守的」に見えなくもない。

 しかし、日本共産党とは相いれない部分も多い。私は共産主義も新自由主義と同様、近代が生み出した病の一環であると考えているからだ。

 日本共産党は本気で政権を取る気があるのか?

 そこで衆議院議員で日本共産党大阪府委員会副委員長の清水忠史氏にまとめて話を聞き、『日本共産党政権奪取の条件』(KKベストセラーズ刊)として参院選前に世に問うことにした。特に第三章、第四章では、党名、暴力革命、コミンテルン、唯物史観、自衛隊と憲法9条、ソ連・中国の暴走、日米安保、皇室に対する態度についてなど、かなり踏み込んだ議論ができた。

 要するに、多くの日本人が持っている共産主義に対する負のイメージに対し、今の日本共産党がどのように考えているか問い詰めた。

 必要なのは、まずは議論の足場をつくることだ。そして現実に対応することだ。

「宇宙人が地球に攻めてきているときに、米ソ対立もないだろう」と清水氏は言う。

 今は右左、保守革新、イデオロギーで対立している時間の余裕はない。国の破壊・解体、全方位売国を続けている勢力から、日本を守らなければならない。

 清水氏は「あとがき」でこう述べる。

「安倍政権は、外国人材を無秩序に受け入れる入管法を規制緩和。TPPやEPAにより日本の伝統的農業を海外に欧米に売り渡す亡国の政治を繰り返してきた。さらに、水道事業まで水メジャーの利益に差し出す民営化法まで成し遂げた。年金支給額は物価の上昇に遠く及ばず、むしろ下がった。米国のいいなりに兵器を爆買いする様には防衛省の元幹部でさえ首を傾げている。その上、消費税率の引き上げを企てる」

「『日本を取り戻す』との掛け声のもと、安倍政治が進めてきたのは結局、国民生活を破壊し、米国やロシアに屈服し、日本の文化と歴史を破壊する売国の政治に過ぎなかった」

 われわれのスタート地点は「常識」だった。

 「常識」の通用しない集団、嘘をつい国民を騙してき集団には退場していただかなくてはならない。

 もう時間はない。

 安倍一味から早急に日本を取り戻すべきだ。

 これは週刊朝日か、朝日新聞は絶対に読まないが。でも、同じようなことを感じている。ホンマ民主主義か


田原総一朗「“反民主的”安倍内閣と自民党の国民軽視は看過できず」


田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数 (c)朝日新聞社
田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年生まれ。ジャーナリスト。東京12チャンネルを経て77年にフリーに。司会を務める「朝まで生テレビ!」は放送30年を超えた。『トランプ大統領で「戦後」は終わる』(角川新書)など著書多数 (c)朝日新聞社


 ジャーナリストの田原総一朗氏は、現在の“自民党の大問題”を指摘する。

*  *  *
 7月21日は参議院選挙の投票日だ。

安倍自民党は2012年12月の衆議院選挙を含めて、5回の国政選挙を行って、いずれも勝っている。


世界の先進国で、これほど安定している国はない。

だが、率直に言って、森友・加計疑惑以後、安倍内閣の、野党、そして国民を軽んじる態度が目立つようになっている。

森友学園に対する国有地の売却価格がなぜ8億2千万円も安くなったのか。もしも、昭恵夫人の関わりがないというのならば、その理由を国民が納得できるまで究明すべきである。決裁文書の改ざんについても、誰も責任を取っていない。

外国人労働者を拡充するための、出入国管理法改正についても、衆参両院とも、国会審議を極端に短くした。まともに審議すれば、問題が次々に生じて収拾がつかなくなる、と自民党は捉えていたからである。何人もの自民党幹部が、そう語っている。それに、安倍首相は、外国人労働者を拡充しても、それは移民ではないと言っている。だが、「移民」と「移民ではない」との違いについては、まったく説明がない。

おそらく、日本会議など、安倍首相支持団体の多くが、「移民」に反対しているためだろう。

さらに、厚生労働省の毎月勤労統計に重大な不正があったことが露呈した。500人以上の従業員を抱えている企業はすべて調査することになっているのに、04年以降、東京都については調査を3分の1に減らしていたのである。どうやら、統計にかかわる職員が4割以下に減ったためのようだが、それならば、なぜ調査の対象を3分の1に減らすと明らかにしなかったのか。

厚労省の何人かの局長に問うと、減らしたこと自体を知らなかったということで、こうした不正を犯すことが現在の省庁では当たり前のようになっているようだ。さらに、厚労省の勤労統計では、15年以降、官邸の意向で、アベノミクスの成果が上がっていると見せかけるために、統計の取り方を変えた、という疑惑が生じたが、なぜか野党もマスメディアも途中で追及をやめている。


 そして、6月には麻生太郎金融担当相が金融庁に諮問した、65歳の夫と60歳の妻が30年生きると2千万円が必要になるという高齢者の資産形成についての報告書のデータに関して、国会で野党に追及され、「報告書に問題があり、受け取りを拒否する」と宣言した。だが、この報告書では、別のページに、このケースでは夫婦は約2500万円の貯蓄がある、と明記されているのである。

麻生氏は、おそらく報告書をまったく読まないで、「受け取りを拒否する」と言ってしまったのだろう。私が、自民党の幹部数人に、「麻生氏はまったく間違っている。撤回させたほうがいいのではないか」と言うと、誰もが「田原さんの言うとおりだが、担当大臣に発言を撤回せよ、とは現状ではとても言えない」と答えた。

これが、現在の自民党の大問題で、森友・加計問題あり、厚労省の統計不正問題ありと、少なからぬ自民党議員たちが思っているはずだが、それが言えなくなっているのだ。

自民党は、自由で民主的な党ではなくなりつつある。だから、野党、そして国民を軽んじる安倍内閣の態度に議員たちは何も言えない。となると、私たち国民が言うべきことを声を大にして言わなくてはなるまい。

※週刊朝日  2019年7月26日号

 なんともまあ、情けない党になりさがったな。これが21世紀の選挙か


自民「冊子」に酷似 野党新人“中傷ビラ”激戦区乱舞の異様

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 今回の参院選は、特に1人区で中傷ビラが乱舞している。ターゲットは野党統一の新人候補。たとえば福島選挙区では、野党統一の新人候補の水野さちこを誹謗するビラがバラまかれた。

「『政策なし!実績なし!』『実績のない人に一日も早い福島県の復興はまかせられません!』と記されていました。ご丁寧にも候補本人のイラスト入りで『天才バカボン』のようにホッペに渦巻き。髪は乱れ、ベロを出すなど、いかにもマヌケ顔。悪意に満ちています」(水野陣営関係者)

大分選挙区でも連合推薦の新人候補、安達澄の経験不足をコキおろすビラが県内全域に投げ込まれた。こちらも候補をおちょくるイラスト入り。ボロボロのヨロイ姿の安達が描かれていた。

いずれも差出人は不明だが、福島と大分は共に自民党本部が「激戦区」に指定。大量のビラの印刷費だってバカにならない。

 少なくとも自民候補を勝たせたい何者かが莫大なカネを費やして配布したに違いない。

その手口は自民党本部が選挙直前、所属議員に配布した「フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識」なる冊子とソックリ。野党への誹謗・中傷と安倍首相礼賛に終始した冊子には、だらしなくヨダレを垂らす立憲民主の枝野代表など野党幹部をバカにしたイラストが添えられていた。

「とにかく手段を選ばぬ現政権を象徴しているかのようです。首相自身、街頭演説で『民主党の枝野さん』と呼ぶ言い間違いをわざと繰り返し、立憲民主が反発すると『怒るのなら名前をコロコロ変えないでもらいたい』と逆ギレ。率先して、野党の誹謗・中傷に精を出すありさまです。『安倍1強』とも言われるほど盤石ならば“横綱相撲”が当然なのに、それができない狭量さにはアキれます。何が何でも悲願の改憲発議に必要な与党3分の2議席を維持したくて死にもの狂いなのでしょう」(政治評論家・本澤二郎氏)

あまりにも異様な選挙戦だ。

 えっ、五輪後の使用の目途がが立ってないのか。あんぐり
 この国は過去、年金の積立金からグリーンピアというワケの分からんモノをいっぱい造り破綻させたからな。消えた年金4000億円だそうだ。

やっちまったな、新国立競技場。五輪後改修せずで、負の遺産化懸念

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 いよいよ完成が間近に迫ってきた新国立競技場だが、五輪終了後の「後利用」問題を巡っては迷走状態が続いているようだ。2017年には「五輪終了後は球技専用に改修する」と決まっていたのだが、先日、一転して「陸上トラックを残すことになった」と報じられたのだ。


公開された、完成間近の新国立競技場の内部 しかも、その最大の理由は「陸上競技振興のため」とかでなく、「改修費がかかりすぎるから」というのだ。まったく理念のかけらも感じられない論議が続いている。

1500億円超という巨費を投じて建設される新国立競技場。完成後は維持費だけでも毎年20億円以上がかかると言われている。

シンプルな構造の旧国立競技場に比べて、構造が複雑な巨大スタジアムは維持費も跳ね上がるのだ。従って、採算が取れる見通しもまったく立っていないのが現状だ(もちろん、あの「ザハ・ハディド案」に比べれば建築費も維持費もかなり縮小されてはいるのだが……)。

最大の問題は、東京五輪終了後にあの巨大なスタジアムを何のために使っていくのかが、まったく決まっていないことだ。

スタジアムとして活用できたうえで赤字になってしまったのなら、「日本のスポーツのためのコスト」と考えて納得することもできるが、十分に活用できずに毎年巨額の維持費だけがかかるというのでは、納税者としてとうてい理解できることではない。

まさに「負の遺産」と言わざるを得ない。

「陸上トラックを残す」というのだから、陸上競技に使うつもりなのだろうか。

たしかに、サニブラウン・ハキームや桐生祥秀といったスター選手の登場で、陸上競技は活況を呈している。しかし、陸上競技の大会で新国立競技場の大きなスタンドが埋まるとは思えない。それなら、陸上競技連盟が高い使用料を払ってまで新国立競技場で大会を開く理由はない。

もちろん、世界陸上でも開催すれば大観衆が集まるだろうが、それは数十年に一度のこと。しかも、サブトラックのない(東京体育館横の200mのトラックしかない)新国立競技場で世界陸上を開くことはかなり難しいことだろう。

 一方、球技専用に改装したとしても採算が取れる見通しは立たない。

明治神宮外苑には、数年後には秩父宮に代わる新ラグビー場が建設される予定になっているから、「球技」といっても新国立競技場の使用が想定されるのはサッカーということになる。

しかし、今後、Jリーグではパナソニックスタジアム吹田のようなサッカー専用の手頃な大きさのスタジアムが主流になっていくはずだから、新国立競技場はJリーグクラブの本拠地としては使いづらい。巨大すぎるし、使用料もかさみ、しかも陸上トラックを撤去したとしても試合が見にくいことに変わりないからだ。

陸上トラックを撤去してそこに観客席を設ければ、たしかに観客席の最前列はピッチに近くなる。だが、メインスタンドやバックスタンドからピッチまでの距離は陸上競技場の時と同じなのだから、試合が見やすくなるはずがない。

陸上競技場からサッカー場に転用されて成功した例としては、イングランドのマンチェスターにあるエティハド・スタジアムがある。もともと、2002年のコモンウェルスゲームズ(英連邦大会)のメイン会場として建設された陸上競技場だったのだが、同大会終了後に改装されて2003年以降はプレミアリーグ王者マンチェスター・シティのホームスタジアムとなっている。

このスタジアムの改修が成功したのは、設計段階から後利用計画(サッカー場への転用)が決まっていたからだ。

たとえば、サイドスタンドはスタンドをサッカー用にあらかじめピッチに近いところから建設しておき、その後スタンドの下部分とピッチを埋めて、その上に陸上トラックを設けたのだ。英連邦大会終了後はトラックを撤去して埋めた分を掘り下げてサッカー場に改装したから、スタンドからはゴール前の迫力あるシーンを間近に見ることができるようになった。ピッチを掘り下げてサッカー場に改修したおかげで、英連邦大会の時(陸上競技場時代)に収容力3万8000人だったスタンドは5万5000人規模に拡大された。


 新国立競技場でも、「後利用」を決めてから設計しておけば、エティハド・スタジアムのようにサッカー場に改修することもできたし、アトランタ五輪(1996年)のメインスタジアムのように野球場(アトランタ・ブレーブスの本拠地)に転用することもできた。あるいは、大会後にダウンサイジングして3万人収容程度の陸上競技専用スタジアムにして、空いたスペースにサブトラックを作ることも可能だったはずだ。

しかし、すでに完成に近づいてしまったスタジアムを改装することは、容易なことではない。

コンサート会場として使用すれば、採算は取れるのかもしれないが、巨大なアリーナを埋めることができるアーティストはそれほど多くないだろう。

どうしても「後利用」のアイデアが見つからなかったら、いっそのこと「取り壊し」も視野に入れるべきだろう。もちろん取り壊すにしても数百億円の費用はかかるが、これから数十年も巨額の維持費を負担し続けるよりはマシだ。

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