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新幹線撮影も好きでしたが、定年過ぎの爺さんは未だにワクワクしながら IT・サイエンス情報を追っかけています。

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 たまたま動画を開いたら。この比較、設定が大変だったでしょうね。


【E956】360km/hと320km/hを比較してみた。【E5】

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 有楽町とか新橋、よくレンガ造りが今も支えているなあと。しかもあれだけの交通量。自分が若い頃、有楽町のガード下にパチンコ屋もあった。頭上を確か新幹線がガタンゴトンと。今もあるのだろうか。
 このサイト、先日には次のタイトルも
山手線 令和の時代に「明治の土」が鉄道を支えている理由


山手線を支える「レンガ」「ラーメン橋」の秘密

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有楽町のガード下。「レンガ造りの高架橋」は開業当時のままだ(時事通信フォト)

 2020年春開業の新駅「高輪ゲートウェイ」。駅舎のデザインは新国立競技場も手掛けた隈研吾によるもので、鉄骨と木材のフレームに半透明の膜がかけられた明るく開放的なデザインが特徴だ。だが、山手線で注目すべき建築物は“新しいもの”ばかりに限らない。早稲田大学鉄道研究会が「いま見るべき山手線の鉄道遺産」を紹介する。

 * * *
 東京の顔ともいえる「山手線」。池袋〜新宿〜渋谷〜品川は、主に土手の上や掘割の底、地上を走っているが、新橋辺りから東京・上野方面に向かうと一変し、線路は高架区間に入る。ここではぜひ、列車を降りて「高架橋」の観察をお勧めしたい。

 新橋〜東京間の地上部分は山手線、京浜東北線、東海道線、新幹線が並走しているため、多種多様な高架橋が並走している。その中で、有楽町の“ガード下”で有名なレンガ造りの高架橋がある。

 この区間は明治33年(1900)に工事が始まり、42年(1909)に開通した。当時は鉄筋コンクリートによる高架橋建設技術はなく、レンガによって高架橋が建設されることになった。今年で110年目となるが、レンガ高架橋は今も変わらず電車を支えている。

 現在は耐震改良工事が各所で進み、レンガ高架橋の姿も変容しつつある。昔の姿をとどめていた新橋駅も駅改良工事によって近代的な駅に変化しつつある。明治の設備が平成・令和の姿に変わる前に、ぜひ足を運んでみてほしい。

明治の開業当時の有楽町駅。特徴的なレンガ造りのアーチと架道橋は今も現役だ(『写真集 山手線』より)

 山手線内回り電車に乗って東京を出ると、また高架が続く。東京〜神田間の高架橋はちょうど100年前の大正8年(1919)の建設である。この時代になると鉄筋コンクリートが実用化され、最新鋭の建築方法となっていた。そして、政府肝いりで建設された同区間にもこの工法が採用された。

 しかし、実際の高架橋を見るとレンガ模様である。実は、鉄筋コンクリート造りの上にレンガ模様の装飾を施しているのだ。これは、既存の新橋〜有楽町間の高架橋に意匠を合わせたからだと言われている。

 同じ構造は、大正元年(1912)開業の旧万世橋駅(中央線)にも見られる。現在、旧万世橋駅跡は商業施設となっており、外からレンガ模様を見るだけでなく、高架下に入ってむき出しの柱や梁を見ることができる。外見は由緒正しいレンガ造りでも、その実は鉄筋コンクリート造りであることがわかるだろう。しかし、こちらも建設されてからはや100年。当初は“レトロ調”だった高架橋も、もはや本物のレトロ高架橋になっている。

 神田を出てから上野に至るまでも山手線は高架が続く。ここはラーメン橋(橋桁と橋脚が一体構造の橋。ドイツ語で骨組みを意味するRahmenに由来)と呼ばれる、現在一般的によく見られる構造の鉄筋コンクリート高架橋である。これも歴史を持った橋で、大正9〜14年(1920〜1925)に日本初のRCラーメン橋が建設されたのがこの区間である。

 現在、同区間には「2k540」という文化施設が建設され、構造を間近で見られるようになっている。御年94歳、そうは見えないが、大正時代の橋が令和の鉄道を支えている。

 上野を出た山手線内回り電車は、本郷台地のヘリを添うようにして田端まで進む。この区間は明治16年(1883)の日本鉄道の開通に始まり、現在は山手、京浜東北、宇都宮、高崎、常磐の各線に新幹線が並走している。そのため時代ごとに改良が加えられているものの、鶯谷駅周辺の石壁などに当時の痕跡を見ることができる。電線を支える架線柱の形態も豊富なので、注目してみると面白いかもしれない。

 そして電車は田端から本郷台地に割って入り、池袋まで行く。ここは明治37年(1904)に「豊島線」として開通した区間である。掘割の壁は表面こそ土砂崩れ防止などの目的で擁壁に覆われているが、基本的な姿は開業時から変化していない。一部は擁壁もなく、未だに土が露出している。この区間は、本郷台地を削るようにしてつくられた。当時は重機などもなかったため、人の手で掘られたと考えられる。

 山手線を一周してみると、ほぼ全ての区間が明治・大正の遺構であったことがわかる。今度、山手線に乗る時は先人の遺産に思いを馳せてはいかがだろうか。

●取材・文/コリン堂(早稲田大学鉄道研究会)

●参考文献/電気車研究会編『国鉄電車発達史』(鉄道図書刊行会)、東京鉄道局編『省線電車史綱要』、贄田秀世・鈴木博人・成嶋健一「バックルプレート桁の歴史と形態的特徴について」(土木学会年次学術講演会講演概要集第4部54巻)、松本嘉司『鉄筋コンクリートの歴史・鉄道構造物』(土木学会論文集第426号)、鹿島建設ホームページほか

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 海外進出、海外進出って言われるがどこへ


時速360キロ超の新型新幹線N700S 海外進出の可能性は

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6月6日の終電後に、N700Sの速度向上試験が報道陣にむけて実施された

 新幹線が童謡で「時速250キロ」と歌われたのは、開業の翌々年1967年のこと。2020年に導入予定の、最高時速360キロメートルを超える新型新幹線N700Sに試乗したライターの小川裕夫氏が、その乗り心地をリポートし、今後の展望を解説する。

 * * *
 6月6日、JR東海は2020年のデビューを目指して開発を進める新型新幹線N700S系の速度向上試験を報道陣に公開した。

 現在、日本の大動脈でもある東海道新幹線は最高時速285キロメートルで営業運転している。

 対して、N700Sの最高速度は時速360キロメートルとされている。しかし、これまでの走行実験では時速330キロメートルまでの運転にとどまっていた。今回の速度向上試験では、それを30キロメートルも上回る時速360キロメートルに挑戦した。

 東海道新幹線の最終電車を見送った23時41分、N700Sは米原駅をゆっくりと出発。わずか4分後、報道陣を乗せたN700Sは時速300キロメートルに到達した。

 そして、近江八幡市と野洲市の市境で時速360メートルへとスピードアップ。通常時の時速285キロメートルと比べても、特に振動や騒音は気にならなかった。それだけ、騒音や振動が低減されているということなのだろう。

 N700Sは約4キロメートル、時間にして約1分間を時速360キロメートルで走行。一瞬ではあったが、362キロメートルを記録する場面もあった。つまり、N700Sはさらなるスピードアップする可能性を秘めている。

 速度向上試験後に京都駅ホームで実施されたカコミ取材で、JR東海新幹線鉄道事業本部の上野雅之副本部長は改めて2020年の東京五輪開幕までにN700Sの営業運転を開始すると力を込めた。そして、過去の試験走行では「時速363キロメートルまで出したことがある」(同)という最高速度にも言及した。

 しかし、2020年にN700Sが登場しても、すぐに東京駅―新大阪駅間の所要時間が短縮されるわけではない。「N700Sが運行を始めても、営業運転は最高時速285キロメートルのまま」(同)だと言う。

 時速360キロメートルを出せるN700Sにも関わらず、最高時速が据え置きのままになる理由は、旧型車両のN700とN700Aの存在がある。

 N700Sがデビューし、仮に時速360キロメートルで運転することが可能であったとしても、前を走るN700やN700Aは時速285キロメートルで走っている。

 N700Sが時速360キロメートルで走れば、前を走るN700やN700Aに追いついてしまい、列車が“渋滞”してしまう。一本だけ速い列車が設定されてしまうと列車ダイヤは窮屈になり、一時間あたりに運転できる列車の本数はかえって減る。JR東海にとって、それは避けたい。そうした事情もあり、JR東海は時速360キロメートルを封印。これまでの新幹線と同じく、N700Sは時速285キロメートルで運行される。

 せっかく時速360キロメートルで走行できるのに、全力疾走できなければ何の意味があるのか?

 JR東海がN700Sの時速360キロメートルにこだわる理由は、国内市場ではなく海外進出を視野に入れていることが大きい。

 国内では、東海道新幹線の信頼性や性能は十分に知れ渡っている。その一方、JR東海の海外実績は2007年に開業した台湾新幹線が真っ先に思いつくものの、海外での知名度はそれほど広まっていない。

 今回の速度向上試験は、時速300キロメートル以上のスピードで走行可能なN700Sという高性能車両を海外へPRする目的がある。

 そして、スピードばかり注目されがちだが、N700Sの最大ウリは柔軟な編成ができる点にある。東海道新幹線は16両が基本編成。多くの需要がある東京駅―新大阪駅間だったら、常に16両編成で運行しても問題は生じない。しかし、山陽新幹線や九州新幹線では時間帯によっては8両編成で運行されることもある。

 国土の広い諸外国では、短時間で移動可能な高速鉄道を望む声は高い。しかし、東京駅―新大阪駅間のように多くの乗客が頻繁に利用するわけではない。海外で新幹線を運行する場合、16両編成では供給過多になってしまう可能性が高い。

 そんな事情に合わせて、N700Sは16両編成や8両編成だけではなく、12両編成といった具合に柔軟な編成が可能な仕様になっている。

 2020年の東京五輪開催は、日本がさらなる国際化に踏み出す節目の年になるだろう。JR東海にとっても、N700Sを武器にして海外進出を加速させるターニングポイントになるかもしれない。

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 タイトルにつられて飛ばし読みしてみた。箱根ヶ崎。どこにあるんだ。地図で見る。八高線、近くには、えっ、横田基地があるじゃないか。
 それにしても、東京って930駅もあるのか。JR、私鉄、地下鉄、モノレールもか、ゆりかもめみたいなのもあるな…
 羽村市動物公園、みずほエコパーク… 息子に教えるかな。

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東京の930駅の中で、最も検索数の少ない駅に降りてみた


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 夜中にパソコン開いたら、動画の案内通知が。凄い轟音。田植えの終わった田圃にこのライトって何だろう。運転台の様子は、これが昼だったら外の景色の飛び方で自分に全く経験のない360が伝わるんでしょうけれど。

N700S新幹線360km/h試運転 沿線通過シーン集


N700S新幹線360km/h運転台の様子(米原〜京都)


JR東海N700S、速度向上試験で362km/h - 米原〜京都間を18分で走行

JR東海は6日深夜、N700S確認試験車による速度向上試験を報道関係者向けに公開した。報道関係者らを乗せて東海道新幹線米原〜京都間を走り、360km/h以上での走行も実施。この日の報道公開では最高速度362km/hを記録した。

N700S確認試験車は2018年3月から走行試験を開始し、同年7月に米原〜京都間で最高速度330km/hを記録。これまでに16両編成での基本性能試験、バッテリ自走システムによる走行試験、さまざまな編成両数に変更可能な「標準車両」の特徴を生かした8両編成での走行試験などを行い、必要な性能を有することを確認してきた。

速度向上試験はN700Sのポテンシャルを高い次元で確認することを目的に、米原〜京都間の下り線にて実施。5月24日から試験を開始し、同日夜間に営業車仕様の車両として過去最高速度となる360km/hを記録している。今回、5回目となる速度向上試験の様子が報道公開され、その後も6月中旬まで数回程度の試験を予定しているという。

N700S確認試験車は22時14分頃、京都方面から姿を現し、米原駅13番線ホームに入線。報道公開ではJR東海新幹線鉄道事業本部副本部長の上野雅之氏が挨拶し、「通常、16両編成のうち14両にモーターを搭載していますが、(速度向上試験では)残り2両にもモーターを付け、16両すべてに搭載することで、出力が約15%向上しています。昨年の330km/hをさらに上回る、360km/hの走行試験を開始したところです」と説明。過去4回の速度向上試験を経て、「非常に良好な結果が得られています」と述べた。

報道関係者らを乗せたN700S確認試験車の車内には前方モニターが置かれ、車内テロップにて走行中の速度が表示された。23時41分頃に米原駅を発車した後、東海道新幹線の下り線を走行しながら徐々に速度を上げ、発車4分後に営業運転最高速度285km/hを上回った。その後しばらく296〜297km/hで走行し、23時47分頃に300km/hを突破。さらに加速を続け、昨年記録した最高速度330km/hも超え、23時49分頃、360km/hに到達した。23時50分頃に362km/hを記録し、これが今回の最高速度となった。

360km/h台の走行は約40秒間、滋賀県近江八幡市・野洲市の約4kmの区間で行われた。過去4回の速度向上試験において、最高速度363km/hを表示したこともあったという。最高速度に達するまで、揺れなどを感じたこともあり、車内は緊張感に包まれたが、やがて減速が始まり、通常の営業運転の速度に戻ると、どことなく安心した様子が伝わってきた。N700S確認試験車は23時59分頃、京都駅14番線ホームに到着。米原〜京都間の通常の所要時間は約20分だが、この日は同区間を約18分で走行した。

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