|
101才昇地三郎先生の授業を、 一度受けて見たいなぁ・・・・ 子どものころ、手作りを愉しんだ事は記憶にあり、 実際に作らないと何も玩具が買えなかった私には、 あのころの楽しみが確かにあったのに、 どうしてか、記憶から抜け落ちていた時期が長いのです。 父は手作りが木工系専門職でした。 母も和裁の専門職でした。 それでも、両親から私は手作りの本当の楽しさを学び損なってしまいました。 それは、厳しいという一言ではなく、 罵倒が入るからでした。 着物の着付けや和裁を学ぼうとすると、 言葉の暴力が次々と飛んできます。 木工関係の楽しみを持とうと思っても、 それは手伝いとか労働力の関係になり、 楽しみとしては認識できなくなっていました。 どれだけお手伝いをしても、 それは両親たちにとって、認識さえ今もされず、 私は手伝いを逃げ回っていた子どもとしてしか記憶にない事が、 親の話からはっきりと分かります。 私は嫌と言うほど、家の手伝いをした記憶があり、 嫌と言うほど、自分のためにも家族のためにも家事をした記憶があります。 それでも、家族の誰一人として、 私が努力したことの記憶がなされていない・・ それはとても悲しく淋しいことでした。 今も思い出すと涙がこぼれてきます。 でも! もうそれらは過去の出来事、 私が私として新たに生きることや、 これから体験することを選ぶこととは別です。 手作りの良さは分かるのですが、 こころのどこかで、まだ痛みが渦巻いているときがあります。 101才の先生のブログの影響で、 長年出来なくなっていた、手作りのものが少しずつできるようになりました。 今は、小さなネックウォーマーをかぎ針で作っていて、 玩具ではありませんが、 短時間で出来上がる楽しみを感じています。 「そうだ、そうだ、そうやって、また今ここから、やりなおしていこうね。」 って、自分に言ってあげるのです。 出来上がった薄水色のネックウォーマーは、 大切な家族にプレゼントしました。 わたしのとおそろいです。 私は仕事に行くとき、つけています。 今度はコールの腹巻?いえいえ、防寒具を。 そして別の家族とか、友達に作ろうかなと思っています。 私は小さいとき、竹とんぼや、手作り棚、米山京子先生の本を見ての人形作りを、 棄てるようなものを壊して作っていました。 材料費が無くて、親が棄てたようなものや、着れなくなった服を解体して、 また燃やしてしまうものを取っておいて作りました。 でも、 遊ぶ楽しみをあまりしりませんでした。 殆んど働いていたと思います。 お金を稼ぐため、もしくは、親族の家業の手伝いでした。 それでも、昭和の初期の方の生まれ育ちなどうかがうと、 もっともっと過酷だった人たちが大勢いることが分かりました。 過去は変えられませんし、記憶は記憶です。 でも、 今ここから、私はまた歩き出せると信じられるようになりました。 今は両親の良さを少しでも知りたいと思っています。 ほのぼのと暮らしてくれている両親から、 この世で生きているうちに、楽しい想い出を一緒に作りたいと思っています。 もちろん、わたしの兄弟姉妹とも、 想い出の更新をしていこうと思います。 手作りは素敵だって、もっともっと思いたいですね。 きっかけを下さった、三郎先生に感謝です`*:;,.★ 〜☆・:.,;* ※写真はハルリンドウという丈の小さい山の中に生える植物です。 青紫がとても奇麗です。 実家にたくさんあります。 花を愛でる両親が今はとても好きです。 ※トラックバック先の記事と全く関係ないような記事になってしまいましたが、 日系ブラジル人の方のことはもう少し勉強しないと何も書けませんでした。 ただ、近くにブラジル系ハーフの知り合いがいて、
たまに見かけるので、時間があったらもっと関わって見たいなと思えました。 先生のおかげです。 トラックバック先 http://blogs.yahoo.co.jp/shiinomi100/51203049.html 人の教育というサイト(先生のブログに参考として記載されていました) http://www.hito-kyoiku.com/ |

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用




