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織田作之助「木の都」より


下駄屋の隣に薬屋があつた。薬屋の隣に風呂屋があつた。風呂屋の隣に床屋があつた。床屋の隣に仏壇屋があつた。仏壇屋の隣に桶屋があつた。桶屋の隣に標札屋があつた。標札屋の隣に……(と見て行つて、私はおやと思つた。)本屋はもうなかつたのである。


善書堂といふ本屋であつた。「少年倶楽部」や「蟻の塔」を愛読し、熱心なその投書家であつた私は、それらの雑誌の発売日が近づくと、私の応募した笑話が活字になつてゐるかどうかをたしかめるために、日に二度も三度もその本屋へ足を運んだものである。善書堂は古本や貸本も扱つてゐて、立川文庫もあつた。尋常六年生の私が国木田独歩の「正直者」や森田草平の「煤煙」や有島武郎の「カインの末裔」などを読み耽つて、危く中学校へ入り損ねたのも、ここの書棚を漁つたせゐであつた。


その善書堂が今はもうなくなつてゐるのである。主人は鼻の大きな人であつた。古本を売る時の私は、その鼻の大きさが随分気になつたものだと想ひ出しながら、今は「矢野名曲堂」といふ看板の掛つてゐるかつての善書堂の軒先に佇んでゐると、隣の標札屋の老人が、三十年一日の如く標札を書いてゐた手をやめて、じろりとこちらを見た。そのイボの多い顔に見覚えがある。私は挨拶しようと思つて近寄つて行つたが、その老人は私に気づかず、そして何思つたか眼鏡を外すと、すつと奥へひつこんでしまつた。私はすかされた想ひをもて余し、ふと矢野名曲堂へはいつて見ようと思つた。区役所へ出頭する時刻には、まだ少し間があつた。


(つづく)

4月12日(火)、大阪なんば千日前のワッハ上方レッスンルームでの「第26回桂吉弥のお仕事です。」 のこと、最終回です。


笑福亭銀瓶さんが「牛ほめ」で会場を大きく沸かせたあと、吉弥さん再登場。「第26回桂吉弥のお仕事です。」 (その1)に書きましたが、「たちぎれ線香」でのトチリを大きな笑いに変えて、「花筏」に入られました。

このネタも吉弥さんらしいテンポの良さでどんどん噺を展開していきます。

提灯屋の徳さんはひょんなことで大阪相撲の大関花筏の身代わりとなって、高砂への相撲興行を請け負うことから事件は始まります。

病気のため土俵入りだけやって、あとは飲んで食って、調子に乗って夜這いまでした提灯屋の徳さんの花筏が、千秋楽に全戦全勝の素人相撲取り 千鳥ヶ浜大五郎と一戦を交えることになってしまう。そのときの偽花筏の徳さんの苦悶と、素人千鳥ヶ浜の苦悶がうまく描かれていました。


この花筏という落語の設定は江戸時代ですが、いろいろ調べていると、大関花筏というのは実在の人物だったようですね。ただし大阪でなく、江戸で活躍したお相撲さんだったようです。


帰りエレベーターホールでお見送りしていただいた吉弥さんに、「それでも今日のたちぎれ線香、よかったよ」と声をかけたら、「もっとお稽古して、また良いところを聴いてもらいます」と言っておられました。

この落語会、本当にじっくり落語を聞ける良い会です。
次回「第27回桂吉弥のお仕事です。」は、6月14日(火)です。
(了)

4月12日(火)、大阪なんば千日前のワッハ上方レッスンルームでの「第26回桂吉弥のお仕事です。」 のことです。

吉弥さんの「立ち切れ線香」のあと、中入りになり、そのあと、これまた飛ぶ鳥を落とす勢いの笑福亭銀瓶さんの登場です。

マクラで銀瓶さんの奥さんが吉弥さんだけは大事にしておいてや、と熱望しているという話から。

というのは、NHK大河ドラマ「新選組」で、銀瓶さんは吉弥さんを期待して、銀瓶さんの奥さんはオダギリジョーを楽しみに観ていたそうですが、今、オダギリジョーに会える可能性は夫の銀瓶さんよりも吉弥さんの方にあるから、やそうです。

銀瓶さんも落語では吉朝一門を勉強のためよく利用しているという。

「七段目」についても、吉朝さんにつけてもらったそうですが、細かいところは、吉弥さん、そして吉坊にまでも聞いたとか。

JR立花のスナックで吉弥さんを飲ませたり、 一生懸命、吉弥には尽くしているが、吉弥さんがスマステに生出演した折り、吉弥さん本人からこれからスマステに出ますとメールが入り、番組終了後、銀瓶さんは番組の感想などを吉弥さんにメールしたら、なんと返事がない。後日聞けば、吉弥さんは香取くんと飲んでいた由。先輩と香取くんのどっちが大事やねん!とご立腹のまま、これは吉弥さんに教えてもらった話ではないと言いながら「牛ほめ」に。


銀瓶さんの「牛ほめ」も数年ぶりに聞きましたが、何回聞いても面白く聞かせてくれます。なんでなんでしょう。で、いつもメモを取ってしまうのです。そうそう、あの池田の叔父貴が普請したという家のディテールを。


「表が総一面の栂造(とがづくり)、内らへ入ると庭がちりめん漆喰(しっくい)、上框(あがりがまち)が桜の三間半、節無しの通門(とおりも)」

このくだり実に楽しいですね。

「こら言うだけやったらあかんで、手で二、三べん撫でときなはれ。」
「こらいうだけではあかんねんで、てでにさんべんなでときなはれ、と」
「いやいや、それは書かいでもよろし」
「いやいや、それはかかいでもよろし、と」
「そら違うがな」
「そらちがうがな、と」
「アホか?」
「あんたよりはましや」

ちゅうのが入って、

「それから、上へ上がると畳が備後表の寄縁(よりへり)、天井が薩摩杉の鶉目(うずらもく)。奥へ通って南天の床柱、萩の違い棚、黒樫の床框。こういう床を見ますると、京の金閣寺がはだしで逃げそな。」

「床の間に富士山の掛け軸が掛かってたらほめてきなはれ。・・・(中略)・・・蜀山人の狂歌が書いておます。唐人よここまでござれ天の原、三国一の富士が観たくば・・・」

それから「前栽にナツメ型の手水鉢が・・・」というこのくだり、実に楽しい。どんな立派な家なんやろう。日本建築の粋を尽くした普請・・・。

この「牛ほめ」、このあと良い牛の誉め言葉として、また覚えたくなるくだりがありますね。

天角地眼鹿頭耳小歯違(てんかく・ちがん・ろくとう・じしょう・はちごう)


日常生活でこれを覚えて活用したい衝動に駆られます。

にほんごであそぼではないですが、良いフレーズが落語の中にはたくさんありますね。


脱線しましたが、銀瓶さんの「牛ほめ」は、以前、牛が尻を見せて糞を飛ばすというように原典通りやってはりましたが、今回は、牛の肛門を見つけたにとどまり、「あ、ここにも秋葉さんのお札をはっときなはれ」とさらっとサゲに入る。現代的な演出で、良かったと思います。

(このつづきは、また明日・・・)

4月12日(火)小雨降る中、タクシーでなにわ筋から千日前へ。ワッハ上方レッスンルームでの「第26回桂吉弥のお仕事です。」 に出かけてきました。今回も良い落語会でした。開場入り口の下駄箱の上に綺麗な花が届いてました。

19:00、2番太鼓がなって、開演。出囃子「石段」に送られての開口一番は、この3月31日、桂吉朝師の内弟子が明けたばかりという桂佐ん吉くんの「商売根問」。ちょっと緊張気味だったのが新鮮で、とちりもご愛敬。

そして桂吉弥さん、登場。案内では「(お楽しみ)」としていましたが、なんと「立ち切れ線香」をかけられました。

マクラでは、佐ん吉くんが内弟子を明けたということから、吉朝師匠邸は狭いので、吉朝一門は米朝師匠のところで預かり弟子になるという話。米朝師匠ご自身はもう弟子はとらないということで、桂宗助さん以降、直の内弟子はないが、若い者の手もあった方が良かろうということで、吉朝一門は尼崎・武庫之荘での米朝師匠んちで内弟子生活を経験するということでした。

吉朝師匠のご自宅は(ここで書くとちょっと問題なので伏せますが)武庫之荘の○弥マンション、ここに自宅と稽古場2部屋あるという。吉弥という名前は、師匠の「吉」と○弥マンションの「弥」からとったのではないかと思い、がっくりしたこともあったと。

師匠の吉朝という名は、十日戎の日に弟子入りしたから、福笹を意味する「吉兆」の音に合わせて、「吉」と米朝の「朝」をあわせたということで、今度は吉朝一門は代々この「吉」をもらっていくことになります。吉弥さんの兄弟子で、吉朝師匠の一番弟子のあさ吉さんは、米朝師匠の「あさ」と吉朝一門の「吉」をもらい、八尾のあさ吉などもあって、気に入っていたが、吉朝師匠の家の猫の名が「あさ吉」だったということが判明し、先代あさ吉は猫だったということで、これまた愕然としたという・・・。

ということで、吉弥さんも米朝師匠の運転手なんかも経験し、祇園町へ同行することもあったということです。祇園のお茶屋「今村」で米朝師匠はゆっくり2時間ほどかけてお酒を飲まれる。あの唄はどやったかいな、この唄は・・・というと一流の芸妓さんが出てこられる。3人集めると200歳を超えるという大ベテランたちを前に、吉弥さんも「にいさん、若いなあ」などといわれ、どちらが楽しませているのかわからんような状態になることもあったそうです。

ま、そんなこんなのマクラがあって、昔の色町の線香にまつわるフリがあって、ぽーんと噺の中へ。


丁稚の定吉は丁稚らしく、また若旦さんは花登筺先生の「あかんたれ」に出てくる安ぼん(沢本忠雄さん)を彷彿するような、軽薄そうで派手な感じがよう出てました。「わて、乞食なんかいやや!!」というくだりなんか、もう、あかんたれの世界そのまま。

巧かったのは番頭。キセル煙草をゆっくり吸って若旦那を叱責する場面での、じっくり落ち着いた雰囲気。肝が据わっていて、どこからみても大店を預かっているというような風情が実によかったです。

話の運びも巧いし、じっくり聞けたのですが、クライマックス、仏壇の三味線が鳴る場面で、「あ、お仏壇の三味線が(鳴ってる)!」という朋輩衆のセリフを、「三味線のお仏壇が」と口走ってしまったところが残念でした。でも全体として、陰になりすぎず、しっとりとよく仕上がっていたと思います。

後の「花筏」のマクラで、このクライマックスでのとちりを笑いに変えて、カラカラとお客を笑わせたのはなんとも清々しかったです。この人、実に機転が効くな、失敗を巧く笑いに昇華させるな、とつくづく感心し、大いに勉強になりました。やはりこうでないとね。


このマクラが実におもしろかった。人間国宝桂米朝師匠も「猫の忠信」で、「あいつがおれか、おれがあいつか」というところを、「あれがおいつか、おいつがあれか」といったり、究極は桂小米朝さんの「たちぎれ線香」での大珍事。最後の最後、仏壇の三味線がピタッと鳴りやんで、若旦「なんでや」の問いに、おかみさんの「ちょうど仏壇の線香がたちきりました」の線香を、「ちょうど仏壇の三味線が・・・」と言ってしまった。で、「燃え尽きました。」って、えらいサゲになったという・・・。こんなことって、あるんですねえ。ほんま。やっぱりライブは面白いです。

新町の桜

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大阪厚生年金会館の南にある新町北公園の桜が咲き始めました。ぼんぼりもさがって、近所の人がたくさん花見に訪れていましたが、この公園の西の端に「新町九軒桜堤の跡」の碑を見つけました。

新町は江戸時代から京の島原、江戸の吉原とならぶ幕府公認の色町でしたが、桜の名所でもあったようで、夜桜見物などたいへんな賑わいだったそうです。

そういえば、NHKの大河ドラマ「新選組」でも、近藤勇のお妾さんになった深雪太夫(ドラマでは優香がやっていた)はこの新町の太夫さんでした。

マンションやビルの街に色町だった面影は見られませんが、桜のこの季節だけふと往時の華やかさが甦ってくるかのようです。


新町:大阪市西区新町。1615年(元和元年)に木村亦次郎という人が市内に散在していた遊女を集めて新たに遊女町を開き、「新町」と名付けたことが由来という。京の島原と江戸の吉原とならぶ大坂唯一の幕府公認の遊里であった。九軒の名は玉造の九軒茶屋を移したことに由来する。


新町北公園(西区新町1-15)へは、地下鉄四つ橋線本町駅下車、徒歩5分
「新町九軒桜堤の跡」の碑の横に江戸中期の女流俳人・加賀千代女の「だまされて来て誠なりはつ桜」の句碑がある。

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