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桂文枝/立ち切れ線香

平成17年3月27日(日)午前8時すぎからNHKで桂文枝師匠の追悼番組が放送されました。(全くの不意打ちで録画してませんでした)

この中でNHK大阪ホールで演じられた「立ち切れ線香」が放送されました。

若旦さんが100日の蔵住まいを明け、小糸の家を訪ねるクライマックス、実にしっとり描かれていました。母親が若旦さんに小糸の最後を、どこか悔しさや悲しさを内包しながら話すところは、胸に染みました。

仏壇に供えた三味線が鳴り、若旦さんが「すまなんだ。こんなことになってるということやったら蔵を破っても会いに来たのに」と手をついて謝るところも、もの悲しい。

それにしても一途な小糸の気持ちが、なんとも切ない噺です。

クライマックスに流れる地唄「ゆき」も、とても美しかった。

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織田作之助「木の都」より

口繩(くちなは)とは大阪で蛇のことである。といへば、はや察せられるやうに、口繩坂はまことに蛇の如くくねくねと木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といつてしまへば打ちこはしになるところを、くちなは坂とよんだところに情調もをかし味もうかがはれ、この名のゆゑに大阪では一番さきに頭に泛ぶ坂なのだが、しかし年少の頃の私は口繩坂といふ名称のもつ趣きには注意が向かず、むしろその坂を登り詰めた高台が夕陽丘とよばれ、その界隈の町が夕陽丘であることの方に、淡い青春の想ひが傾いた。

夕陽丘とは古くからある名であらう。昔この高台からはるかに西を望めば、浪華の海に夕陽の落ちるのが眺められたのであらう。藤原家隆卿であらうか「ちぎりあれば難波の里にやどり来て波の入日ををがみつるかな」とこの高台で歌つた頃には、もう夕陽丘の名は約束されてゐたかと思はれる。しかし、再び年少の頃の私は、そのやうな故事来歴は与り知らず、ただ口繩坂の中腹に夕陽丘女学校があることに、年少多感の胸をひそかに燃やしてゐたのである。夕暮わけもなく坂の上に佇んでゐた私の顔が、坂を上つて来る制服のひとをみて、夕陽を浴びたやうにぱつと赧くなつたことも、今はなつかしい想ひ出である。


写真は口縄坂
(つづく・・・これもほんまにつづくんやろか)

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