おおさかはなし

ぬく〜ぅい大阪 ゆる〜ぅい大阪

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2005年03月

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(22分5秒)NHKについて

米朝「ぎょうさんの人間がおって、設備すごいもんやな。もう、あれ、土地を全部提供してもろたら。そら、すごい場所とってんねやもん。」「向こう(NHK)で生放送やるとなったら、準備大変やもん。もしもとちったら困るからね。やっぱりあれ、失敗許されないところだんな。NHKは。」

(23分57秒)米朝問題について

たかじん「新聞に米朝と載ることがあって、お師匠はん、どないしたんやろとびっくりすることがある。」

米朝「米朝決裂とかね。引き裂かれるんやないかと思てね。時々この名前が新聞の1面に載ることがある。この名前、実は私で三代目になる。米朝という名前は。みんな途中から他の名前、米團治とかに変わっていくけどね。米朝という名前で一番長いことおったん、私やろね。」

たかじん「ほかのお師匠はんは、六代目、三代目と付けるが、米朝師匠は三代目と付けないのは?」

米朝「それは、次の名前になる過渡期の名前やから。」

たかじん「ははあ。最後が米團治ですか?」

米朝「まあ、そうです。」

たかじん「米團治やったら、何代目になるんですか?」

米朝「米團治やったら、五代目になるなあ。」

たかじん「もう今更、米團治というのもねえ。」

米朝「もうねえ、もう今更、名前印刷するだけでも勿体ない。」

たかじん「今でも毎月落語でていらっしゃるんでしょ。」

米朝「もう、やれる限り出ますよ。注文があったら私しゃべります。」


この最後の米朝師匠の言葉がものすごく嬉しかったです。「注文があったら私しゃべります。」というお言葉の力強いこと。本当にいつまでもお元気なお姿を拝したいものです。

(16分3秒)襲名および七之助事件について

たかじん「こんな浮世離れした世界があってもいいやないかと思う。浮世離れしてなくて、芸というのはほんまに継承されるのか?」

米朝「ほんとにねえ、芸の世界、ことにこの噺家の世界というものは、まあ、ちょっと別やったんやけどな。みんな紳士になってしもたんでね。うーん。あんまり紳士になりすぎてもいかん。というて無茶苦茶やれというわけやないねんけども。やはりちょっと世間の常識と外れているところがみんなありましたよ。我々の先輩、同輩。」

たかじん「それを世間の常識から外れていない人が聞くから面白いのであって。」

米朝「そうそう。ほんまにねえ。え、噺家か?ほな、しゃあないということで許されていたこともあった世界やったんやけどね。」

たかじん「ご自身も息子さんが小米朝さんという。もういくつなてるんやろ。」

米朝「40・・・もう50・・・もう50に近いと思う。」

たかじん「小米朝という名前で高座に出てはりますけど、オペラとかね。いろんなことやったりしてはる。」

米朝「まあ、気の多いヤツでね。んー、何を考えてるかわからんようなところがありますわいな。」
たかじん「米朝という名跡は小米朝に継いでもらわな困ると、というのが一門の意見やと思うんですが。」

米朝「あ、さよか。ざこばが、俺が継ぐねんって、えらい頑張ってんねんけど。」

たかじん「それは、世間が許さない。ざこばはざこばというのが気に入ってるというてますよ。でも継いだときには、ぐちゅぐちゅいうてましたな。」

米朝「らしいね。わしにはいわんけどね。彼は、ざこばというのは、意味もしらなんだ。魚市場というね。」

(つづく)

(12分23秒)人間国宝について

たかじん「人間国宝になられてどれくらいになりますか?」

米朝「だいぶん前やからねえ。もう10年くらいになるんとちゃうかな。」

たかじん「(助成金)200万円というのはどういう感想ですか?」

米朝「300万もらってると思うんやけどな。」

たかじん「この助成金は生活費に使たらあかんという建前があるんですね。」

米朝「なんかね、そらそういうこと書いてあんねや。で、報告書ださんならん。」

たかじん「後継者を育てるという目的がある割に金額が少ないんではないか?」

米朝「それはね、(助成金を)貰っても貰わなくても後継者はずっと育ててきたしね。で、やはりだいたい私はもうこれ(上方落語の)ほんとどん底の時に噺家になったやつやからね。なんとかこれ(上方落語を)滅ぼしたくないという気持ちは初めからあるんですよ。」

たかじん「上方落語界を復興しようとしたということは、当時は落語の人気もなかった?」

米朝「もちろん。東京は隆々たる勢いやったけどね。こっちは、ほんままだあるのんか、というくらいやった。その時分はね。」

たかじん「こっちで落語家は、今、300人くらい?」

米朝「そんなおれへんおれへん。200人。200人になったということをきいて、えぇ、増えたんやなあ、思うたくらいで。」

たかじん「当時は何人くらいでしたか?」

米朝「もう古い人は10人ほどおってね。で、若いモンがそこへ7,8人入ってというような。」

たかじん「(落語というのは)口移し芸というような」

米朝「そこへね。もう、いろんな雑多な知識がいるんですよ。噺家ちゅうのはね。」

たかじん「それはお師匠はんがインテリすぎたちゅうのがあるんとちゃいます?」

米朝「いや・・・」

たかじん「本でもあんだけ書くし。落語家の方でそんなにいないでしょう。10冊、20冊?」

米朝「いや、そら、もっとある。」

(つづく)

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(9分20秒)桂文枝師死去について

たかじん「飲みに連れてってもらったこともあるが、割と温厚な方ですね。」

米朝「温厚な人でね。穏やかな人で、芸も穏やかな芸やったんやけどね。まあ、(文枝の死去で)そないにねえ、これで上方落語がどうなるか、とそんな心配はあまり関係ないと思いますね。向こう(文枝師)、ぎょうさん弟子育ててね。なかなか優秀な弟子がぎょうさんおるさかい、そんな心配はいらんと思うんですが。私は、まあ、もう次は私やからね。私の方が文枝くんより上やからね。もうこっちが先に片付かないかんところやねんけど。」

たかじん「四天王で残ってるのは米朝師匠と春團治師匠」

米朝「四天王て誰がほんなこと言い出したかしらんねんけど、三代目(春團治)は文枝くんと同い年。」

たかじん「六代目(松鶴)は早かったですからね。」

米朝「早かったというても、60いくつやったな」

たかじん「米朝一門としては、気分的には安心ですか?」

米朝「んなことない。いや、そりゃ、私はね、昭和22年、彼(文枝)とはもう一番どん底の時分の仲間やから、同士といいたいくらいでね。そやさかいそら寂しいし、けどまああれだけ弟子を育ててくれたし、それだけの功績は残したと思いますよ。」

たかじん「向こう(文枝一門)の方が弟子はしっかりしてると思います?」

米朝 「うちの弟子は、枝雀死んだしね。ま、あとは、ざこばやろ。」

たかじん「さこばのお兄さんもだいぶしっかり。」

米朝「そうそう。彼は彼で、ああいうキャラクターやからね。」

たかじん「穏和になってきたというか」

米朝「あ、そう。あれはそやね。そら、なんかあったらそこらのもん、つかむ方やったからね。」

(つづく)

(5分49秒)ワーストランキング大阪について

たかじん「お師匠はんが若い頃、道頓堀は(汚かったか)?」

米朝「汚かったな。あの時分から。もうそらね今と比べたら、ましかもわかれへんけどね。あの時分、道頓堀が汚いということがやかましいいわれてね。そらもう、あのとき大腸菌が死んだんやさかいね。汚いからちっとどないかせいと。そらもう何十年も前から汚い汚いといわれてた。」

たかじん「大阪というのは全部が下町みたいなイメージ」

米朝「そういうところはありますわな。そやさかいワーストワンなんて、もうほんなもん平気とちゃうかな。大阪人は。今更ほんなこと言うたってて感じかな。」「道頓堀川が汚いのは今更っていうことやし、あの、ひったくりかてね、 これも言われたことあったように思うな。ええとこはどこやいうたら探さんならんけど。」

た「大阪に良いところがあるとしたら?」

米朝「そらもう、人間やね。」

(つづく)

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