えばゆあぶろぐ

我が家は全員無事です。被災者の方々のご無事をお祈りするとともに、被災地や原発の危険地域で尽力されている方々に心から感謝します。

東日本大震災(東北関東大震災)

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2011年3月11日午後2時46分。

死者数は、16年前の阪神淡路大震災を大きく超え、
日本では戦後最悪の、世界的に見ても数百年に一度という自然災害が起こりました。


私自身や家族は無事でしたが、自身に被害がなかったぶん、
この書庫には、被災した方々にとっても、被災を免れた方々にとっても、
できるだけ有益かつ実用的な情報を載せていきたいと思っています。

ネットを通しての、デマや風評被害が問題になっていますが、
いたずらに不安を煽ることのないよう、情報を絞り、情報源を明確にするよう心がけています。
そのため、他の書庫の記事とは雰囲気が違いますが、ご了承くださいね★

今回の震災は、阪神淡路のときとはまた異なる種類の大災害で、
救出・支援活動や復興活動、ボランティア活動も難航しています。
地震から半月経ち、ようやく今回の災害の全体像が見えてきたように思いますが、
直接被災した方々にとってだけでなく、
多くの日本人にとって、この先、長い闘いになることは間違いありません。

でもいつか、皆に笑顔が戻ることを信じています。


『日本いのちの電話連盟』
毎月10日はフリーダイヤル 午前8時から翌日午前8時まで 0120-738-556

・岩手県 社会福祉法人 盛岡いのちの電話 019-654-7575 12:00〜21:00 日曜12:00〜18:00
・宮城県 社会福祉法人 仙台いのちの電話 022-718-4343 24時間
・福島県 社会福祉法人 福島いのちの電話 024-536-4343 10:00〜22:00
・茨城県 社会福祉法人 茨城いのちの電話 029-855-1000 24時間
・千葉県 社会福祉法人 千葉いのちの電話 043-227-3900 24時間
・東京都 社会福祉法人 東京いのちの電話 03-3264-4343 24時間FAX: 03-3264-8899
・神奈川県 社会福祉法人 横浜いのちの電話 045-335-4343 24時間 FAX: 045-332-5673
Spanish: 045-336-2477 Portuguese: 045-336-2488
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66年前の8月15日

お盆、そして終戦の日…
 
最近、すっかり記事を書くことから遠のいていましたが、
今日は書かなければと思いました。
 
 
3月11日以降、すべてがそれ以前とは違って見えるようになりました。
ただ、どの程度のインパクトをその人にもたらしたかについては、個人差が大きいことも事実で、
震災から5か月が過ぎ、時間の経過とともにその差は広がりつつあるようにも思います。
 
震災関連の報道に振り回されつつ、迎えた66回目の終戦の日。
66年前の今日の正午に、玉音放送が流れたんですね。
毎月11日の午後2時46分には、黙祷してきましたが、
今年の今日8月15日の正午には、いろいろと思うことがありました。
 
終戦の日にとある追悼式に行ったことはありますが、
だいぶ前の話で、何より、参加はしたものの実感がありませんでした。
今年は、まるで違います。
式に参加するわけじゃなく一人でも、戦争について、震災について、原発について、
そして今後の日本について考えていました。
 
何が正解という答えがあるわけではなくても、
考え続けることが大事なんだと思います。
日々の仕事に忙殺されているという方も、一度立ち止まって、
震災はあまりにも突然に起こったこととはいえ、
これを転換点にして、日本は変わっていかなければいけないこと、自分自身もその一人であることを、
心に留めてほしいです。
 
 

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今年の3月9日。
ベストハウスという番組で、
原爆投下後の様子の写真を撮った、米海兵軍の写真家ジョー・オダネルさんが取り上げられていました。
 
番組の雰囲気からして、そこまで重い感じじゃなく、
いくつかある話題の一つとして取り上げられていただけでしたが、
よくある思わせぶりなナレーションでCMに入り、CM明けに映った写真が、これでした。
 
記録係として現地入りした彼は、街中を見て回り、原爆の恐ろしさ、
自分たち米軍がやったことの悲惨さを目に焼き付けることになりました。
晩年、反核運動を行い、小さな写真展などを開いていたようです。
投下後すぐに現地入りしたこの方自身も、放射能により、甲状腺に異常をきたしていました。
 
…正直、もっと残酷で衝撃的な写真かと思っていたら、そういうわけじゃなくて、
でも、この写真がどういう状況を写したものなのかの解説を聞き、
この写真を、たとえ公開できなくても、43年ずっと大事にしまっていた
オダネルさんの気持ちが伝わってきました。
この写真を公開すれば、アメリカがしたことが間違いだったことが、国民に知れることになる。
認めざるをえなくなる。
政治的圧力を受けながらも、晩年まで、その葛藤と闘い続けていたそうです。
 
 
私が知らなかっただけで、ネットで探すと、過去にもこの方の特集番組はあったようです。
そちらでも詳しく紹介されています。
 
2008年8月7日(木) 午後8時〜8時49分 総合テレビ
09/2/11(水)19:00〜20:54
 
(一部抜粋)
ジョー・オダネルのコメント---------------------------------------------------------------
 
佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。しかも裸足です。少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか。白いマスクの男たちがおもむろに近づき、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…。
-----------------------------------------------------------------------------------------
 
この少年の背中の赤ん坊は、もう死んでしまっています。
少年は、この子の遺体を焼き場で焼いてもらうために、列に並んで待っていたそうです。
写真を撮られているということを、知っているわけではないのに、
こんなふうに背筋を伸ばして、しっかりと前を向いて。
 
 
なぜ今になってこんな話を…と思われるかもしれませんが、
私がこのカメラマンと、写真のことを知ったのは…そう、3月11日の2日前だったんです。
 
その頃も、不甲斐ない政治に辟易し、もう日本は駄目だ〜!!と思っていましたが、
この写真を見て、
戦後の焼け野原の中から、少しずつ努力を積み重ねて、
日本を立て直そうとした沢山の人たち…
おそらくもう、今では大半は亡くなっている先祖たちのことに思いをはせました。
 
なのに、今日本はこんなことになってしまっていて。
なんて情けないことだろう、と。
けれど、この少年のその時の思いを想像したら、
もうダメだと諦めて、投げ出してはいけない、どうでもいいなんて思っちゃいけない、と思いました。
この状況で頑張ってきた人たちに、申し訳が立たないと。
 
 
そして、偶然にも、そんなことを考えていた日の二日後に起こった歴史的な大震災。
多くの家屋が津波で流され、沿岸部で火の手が上がっているのをテレビで見て、
これは……本当に大変なことが起こってしまったんだと……そう直感的に感じました。
そのときはまだ、原発事故のニュースは流れていませんでしたが、
津波が押し流した瓦礫の山を見て、まるで、大戦後の日本の景色のようだと、すぐそういう連想が浮かびました。
その後、現地を訪れた人たちの中にも、まるで戦場のようだったと口にする人が少しずつ出てきました。
 
 
震災から4か月経った今でさえ、
津波というより、戦争があったのかと思うような景色が時々テレビに映ります。
 
テレビで一般に放送されたとはいえ、今回の震災が、震災前のある番組とリンクして見えたことは、
私の個人的な経験と言えるかもしれません。
でも、瓦礫の山を見るたび、この写真のことが思い浮かぶんです。
 
 
なかなか進まない復興、政治のもたつき、節電による経済的影響、
今後電力をどうまかっていくのか、エネルギー対策の議論、
報道の在り方についての議論、
低線量被曝について、国民の間でどのように一定の理解を共有し、了解を作っていくことができるのか…
 
問題は山積みで、考えなきゃいけないことも山積みです。
 
 
 
オダネルさんは、残念ながら、この少年との再会を果たすことなく、85歳で亡くなりました。
でもこの少年なら、オダネルさんなら、
今の日本の状況を、どう思うんでしょうね。
 
答えのない問いだと分かっていても、考えてしまいます。
世界で唯一の被爆国である日本で、こういう事故が起こってしまったということが、
いったい何を意味しているのかということを。
そして、敗戦後の日本を建て直そうと、何もかも失ったところから始めた、大勢の名もなき先祖たちの思いを。
 
 

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もう4か月。
 
あの日と同じように一人で家にいましたが、
冬だったのが、もう夏になりました。
東北地方は、今日が梅雨明けだそうです。
避難所の様子も、変わりましたね。
 
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4か月経ち、当初とは違う状況がいろいろ出てきました。
避難所の格差、被災者の生活水準の格差、
仮設住宅一つとっても、業者によって質が違い、水漏れなどの問題が起こっているところもあります。
 
瓦礫の撤去が進んでいる地域と、ほとんど4か月前と変わらない地域。
水産業などを再開できたところと、まったく見通しが立たないところ。
義援金の配布は始まりましたが、不公平感について不満の声も出てきています。
 
 
原発事故の収束の要となる汚染水の処理は、装置運転の支障が続き、
いまだにどうなるか分かりません。
7月5日には汚染水があふれ出す…という報道が2週間くらい前にあったと思うのですが、
今のところあふれずに済んでいるのかどうか…報道されていないので分かりませんね。
 
 
先週の金曜日に震災と原発についてのある講演会に行き、
改めて、今後どうしていくべきなのか考えさせられました。
私もだいぶ震災以前の生活に戻りつつありますが(節電対策とかそういうのは別として)、
3月11日に起こったことは、いずれは小学校の歴史の教科書にも載ることになる、歴史的な大災害、大事故。
唯一の被爆国である日本で起こってしまった、原発事故。
 
広島長崎の原爆や、チェルノブイリの事故のデータが学術的にはあまり当てにならない以上、
世界的に見ても未知の事態に、日本は手さぐりで対処していかなければならないです。
原発事故がどう収まり、日本がどう復興していけるかが、数十年後にも語られることになるんでしょう。
 
 
ささやかですが、午後2:46分、私も黙祷を捧げました。
あの日亡くなられた方々、避難先で亡くなられた方々のご冥福を、改めてお祈り申し上げます。
 
 
 
2011年7月11日現在 
■死亡 1万5,547人
■行方不明 5,344人    計 2万891人 
■避難生活を余儀なくされている人々 11万1000人余り
 
 
でも、笑顔を忘れずに。
前を向くことを忘れずに。
 
 
 

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今朝は地震で目が覚めました
起きてすぐテレビで確認しましたが、10㎝ほどの津波が来ただけで、
また大きな津波が来たりしなくてまだ良かったです。
 
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明日でもう4か月経つというのに…
3.11から一か月後にも、大きな余震が来たんですよね。
偶然でしょうが、何か周期があるような気がしてしまいます。
 
 
震源地は三陸町沖、M7.3、深さ34㎞で、神奈川でもかなり長い間揺れました。
大きな揺れではなかったですが、長かったなという印象です。
 
被災地の人たちが、また津波が来るのではないかという緊張状態に置かれたことが心配です。
津波や地震が収まっているときは、原発の状況により関心がいくんですが、
こうして地震がまた来たりすると、やっぱり、自然の脅威を感じずにいられません…
地震や津波が来てしまうことそのものは、人間にはどうしようもないんですよね。

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ベタ貼りで申し訳ないのですが、重要な問題だと思ったので載せることにしました。
こういう問題は、特に女性なら、事細かに説明されなくても、状況は想像がつくと思います。
今回の被災地の多くは地方都市だったため、男尊女卑の思想が強く残っているせいもあるかもしれませんが、
女性に対する配慮がここまで足りない、というのは、
先進国の中では、日本特有の(日本だけではありませんが)、問題かもしれません。
 
ちょっと長いですが、この週末は雨ですし、
時間のある方には、ぜひ読んでもらいたい記事です。
 
 
私自身、ちょっとしたストレスで免疫力が落ち、細菌感染しやすい体質なので、
避難所の女性たちが、下着を替えたりすることもままならないと聞いて、
それでは、どうしたって病気になる人が出てくるだろうと思っていました。
それはもう、男性には絶対に分かりえないことです。
月経や妊娠・出産の痛みの経験がないように、病気になりやすい、ということが経験的に皆無なわけですから…
 
特に思春期の若い女の子たちが、傷ついているのではないかと心配です。
そんなデリケートな時期に、大勢の男性と一緒に寝泊まりなんて、あまりにも可哀想すぎます。
ただでさえ、病気になっても、被害者になっても、誰にも言えない年頃です。
 同じ女性として、本当に何とかしてあげたいです。
 
 

ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子

 

 東日本大震災によって多くの尊い命が奪われ、地震・津波そして原発事故の影響でいまだに多くの方々が見通しの立たない避難生活を送っています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

 私たち人権NGOヒューマンライツ・ナウはこの間、被災地を訪ねて被災者の方々の実情、特に基本的な人権である衣食住の問題、災害弱者と言われる方々の実情についてお話をうかがってきました。また、私自身、弁護士として被災地における法律・生活相談をさせていただき、被災者の方々の切実な声に接しました。
 
 震災から二か月が経過するなか、避難者の方々の疲労・ストレスは深刻化しています。子ども、女性、障がい者、外国人、高齢者など、災害の影響を深刻に受けやすい人々の状況が特に懸念されます。このなかでも今日は女性たちの置かれた状況についてお話ししたいと思います。

 

 内閣府男女共同参画局は、3月16 日に、「女性や子育てのニーズを踏まえた災害対応について」と題する文書を取りまとめ、女性に配慮した避難所の運営として、
 
1.プライバシーを確保できる仕切りの工夫、
2.男性の目線が気にならない更衣室・授乳室、入浴設備、
3.安全な男女別トイレの設置、
さらに、
4.現場での女性のニーズの把握、
5.避難所の運営体制への女性の参加、
6.女性医師・女性相談員などによる悩み相談
 
などを行うことが必要だと訴えました。
 
 いずれも女性にとって切実な問題で、阪神淡路大震災など過去の災害が残した重要な教訓であり、その実現は大切なことです。しかし、問題はこうした政府の呼びかけ文書の内容が各避難所で実施されているかどうかです。
 
 避難所で女性が置かれた状況について、私たちヒューマンライツ・ナウがこの間、被災三県で調査を行
った結果、内閣府などの出している文書と現実の間には深刻なギャップがあることがわかりました。
 
・多くの避難所では、未だに世帯ごとの「間仕切り」がなく、プライバシーが保障されない環境にあること、
女性の更衣室や授乳室すらない避難所もあり、女性は困って布団のなかで着替えるしかないこと、
 
・トイレの環境も悪く、外に設置された仮設トイレには夜間照明もなく、
女性や少女が安全に利用できる状況にないこと、
 
・洗濯機が不足しているため、下着もろくに洗濯できず、
また女性の洗濯物を安全に干せるスペースもないため、下着を使い捨てにするしかない状況であること、
にも関わらず、女性用の下着が十分に供給されず、女性が大変困っていること
 
が明らかになりました。

 
多くの避難所は男性主導で運営されていて、運営に参加する女性は少ないのが現状です。そうしたなか、
・避難所を運営する男性たちの判断によって、避難所に間仕切りを設けることはコミュニティの団結上好ましくないとか、女性特有の物資、例えば化粧水や下着がほしいという要望は贅沢だ、などと、女性の切実な願いが否定されてしまう場面がしばしばあるといいます
・避難所の中には、自治体が食事の材料だけ提供し、避難者が自炊をしなければならないところもあります。そんななか、炊事当番が女性だけに強制的に割り当てられ、男性は当番をしなくてよいということがルール化し、被災した女性が仕事や子育てもあるのに、朝から晩まで調理に追われて疲れ果てている避難所もあります。
・こうした女性たちが悩みを相談できる場所も十分ではありません。女性のための相談場所が設置されている避難所は少なく、民間団体が女性相談をやりましょうと申し出ても避難所で「そんなことをやっている場合ではない」と言われて拒絶されたケースや、女性のための民間の電話相談を案内するチラシの配布すら拒絶される避難所も少なくありません。阪神淡路大震災や海外の自然災害の後、女性に対する暴力が増加した、と報告されています。しかし、今回の震災後、女性に対する暴力を防止したり被害者を保護するための対策は全く不十分です
 
 家や家族を失った女性たちは、避難所での人間関係が悪くなるのを怖れて、不満があっても沈黙を強いられています。しかし、当事者が言い出しにくい、言えずに我慢しているからと言って、そこに要望がないわけではありません。外から支援する側で女性たちの要望をくみ取り、声をあげて状況を改善していくことが必要です。
 せっかく出した通知が、絵に描いた餅にならないよう、政府・自治体が現場の被災女性に密着して改善をしていくべきです。
 
 内閣府も避難所の実態把握を行っており、最近では5月2日付のものが公表されています。その調査結果のなかでも、例えば、替えの下着がないか、あっても洗濯できず下着が不足している避難所は182か所、間仕切りなどが全くない避難所は108か所とされ、不十分さが明らかになっています。しかし、内閣府の調査で実態が把握された避難所は全体の55.5%、内訳は岩手県92.6%、宮城県35.2%、福島県28.6%に過ぎません。回答をしない避難所の実態は把握されていないのです。
 例えば、この実態把握は、多くの避難所で食事が改善している、としていますが、現地で支援にあたるNPO・ボランティアは、栄養価の低い食事が続いて、妊婦や子ども、病弱な人達が危機的状態にある避難所がある、と切実に訴えています。政府の認識と現実にはギャップがあります
 
 政府・県は、すべての避難所での十分な実態把握とニーズの調査などを行い、被災者の保護に欠ける現場ではその場で改善する、自治体への公務員の応援派遣を増員して支援を強化するなど、迅速な対応をとる必要があります。特に、女性など、声を挙げられない立場に置かれている被災者については、ていねいに要望を聴き取り、現状を改善する取組みが求められています
 
 そして、根本的には、一刻も早く、仮設住宅や民間住宅の借り上げなど、安心して生活できる住居を提供することが必要です。避難所では、仮設住宅に申し込みたくても申し込めないという方々にたくさんあいました。多くは高齢な女性でしたが、仮設住宅に移れば、誰も食糧・物資を支援してくれなくなるので、生きていけないというのです。被害が甚大で、復興の目途がたたないことを考えれば、避難所から仮設住宅に移る人々にも、食糧供給などの基礎的支援を続けていくことが必要です。
 阪神淡路大震災では、仮設住宅での高齢の被災者の孤独死など、災害関連死があとをたたず、人権の保障に大きな課題を残しました。そうしたことを二度と繰り返さない対応が求められています。
 
 復興計画立案にあたっては、復興構想会議のような学識経験者や財界人の議論だけでは十分でありません。最も被害に苦しむ人々、声を上げにくい人々の声を聴く参加のプロセスを十分に保障する必要があります。そして、地域で生活者として重要な役割をこれからも担っていく女性たちが、復興プロセスに参加すること、その視点が十分に生かされることが必要です
                                                 投稿者:管理人 | 投稿時間:09:16
 

追加
4月3日(日)16時5分配信
 
「被災者たちを助けたい」と、すぐに行動を起こしたものの、その行為を取りまとめる国や公的機関の心ない対応に憤りを感じた人たちがいる。都内を拠点に活動する女性社長・A子さんもそのひとりだ。

 大震災発生から2日後の3月13日深夜、A子さんは、支社と実家がある仙台へとマイクロバスを走らせた。積んだ物資は、粉ミルクやオムツ、ナプキン、女性用長靴、靴下など赤ちゃんや女性用のものが中心だ。しかし、現地でA子さんを迎えたのは、“そんな要望はないんだよな”という心ない言葉だった。

 そう判断されたのは、ボランティアをまとめる立場に男性が多いことが理由のひとつとしてあげられる。被災地の避難所でボランティア活動をする女性はいう。

「送られてきた物資を受け取る担当は、中年の男性が多いんです。この前は、ムートンのブーツが支援物資として送られてきたんですが、ムートンを知らなかったらしく、“そんなものは、いらない”と返してしまっていました。ムートンは、温かくて長靴より重宝するのに…。ほかの避難所では、女性用の下着ですら受け取らないところがあるとさえ聞きました」

 ボランティア活動に女性の視点を入れることの大切さを説く専門家も多いのが現状だ。

 A子さんが支援に訪れたのは、実家や支社がある仙台市だけではない。いまでは原発問題で一部自主避難要請地域となっている福島・いわき市、津波で町民の半数が避難した宮城・南三陸町、2100人以上が亡くなった石巻市など。そのいずれの場所でも、“行政の壁”を感じたとA子さんは話す。

「100個の物資を持っていっても、その避難所に101人の人がいたら受け取ってもらえない。それは、ひとつのポテトチップスを3人で分け合っているような避難所でもそう。行政は公平が前提なんです」

 逼迫している人たちを前にしても、杓子定規な決まり事を守ろうとする行政。A子さんの言葉には、憤りを通り越した無念の思いがにじんでいた。

※女性セブン2011年4月14日号

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