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教員になる覚悟ができたと前回のブログに載せました。
きっかけは何か。
今まで、心配と不安で心満たしていました。
臨時教員をしながら、
この未熟者のわたしが、今、目の前にいる、子どもたちを導くことができるのか、
私の発する言葉一つ一つの影響力、全てのことが子どもたちの未来に影響する、
そう考えると、一生の仕事にすることが、
とても怖かったのです。
それとは反対に、子どもたちと関われば関わるほど、
学校にいればいるほど、
わたし自身が、この場所をどんなに大好きかということにも
気づきます。
生き生きと働いている自分を感じれます。
人生を80年としたら、すでに1/3は通り過ぎています。
60歳で退職となると、あと30年間しか、
勤められません。
1年間365日中、約200日間は学校だとすると、6000日です。
年数にすると、16,7年です。
わたしが生きてる年数の約半分くらいです。
たったこれだけの時間しかありません。
大好きな場所で、大好きな人たちと過ごすことができるのであれば、
こんな幸せなことはないと思います。
なぜ、このように考えるか。
今から、3年前、父が急死しました。
人の死があっけないということを知りました。
それと同時に、人の生についても考えます。
この世に、奇跡的な確率で、生を与えられたのです。
あっという間に、逝ってしまった父を目の前に、
それまでの自分を振り返り、
何と浅はかな生き方だったのか、
父と生きたわたしは、何か一つでも、父のためにしたことはあるのか、
なんで、あの時、「ありがとう」を言わなかったのか…など、
大小様々な後悔の念で、いっぱいでした。
そんなとき、
「最後だとわかっていたなら」
という題の本に出会いました。
ちょうど、「千の風になって」の曲が話題になっていたころでしょうか。
どちらも人の死についての詩です。
後悔するより、1日1日を大切に生きよう。
そう心に決めました。
過去も未来も、すべては「今」がつくりだすものであるなら、
「今」を懸命に生きることが、
父の供養になる、父の生きてきた証になる、
そう思いました。
それからは、毎日を丁寧に生きてきたと思います。
これからも、そうします。
そう決めたとき、上記のように、
自分の人生について考えました。
教員になる覚悟ができたというより、
時間がもったいない
と思い始めたんだと思います。
とりとめなくなってきました。
また、あらためます。
今日はここまで。
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