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北方領土問題

昭和25年3月8日、立憲養正會の浦口鉄男委員の質問に対して政府委員として答弁した外務省の島津久大氏は、「ヤルタ協定の千島の意味でございますが、いわゆる南千島、北千島を含めたものを言つておると考えるのです。ただ北海道と近接しておりますハボマイ、シコタンは千島に含んでいないと考えます。」と発言しています。
政府委員とは大臣の補佐ですので、島津政府委員の発言は政府の見解だということです。
当時の政府の認識は、日本に帰属する島は歯舞と色丹の2島であり、国後と択捉の領有権は放棄しているというものだったのです。
しかし、昭和30年にこの認識は覆されます。


昭和30年12月07日 衆議院 - 予算委員会 
○鳩山国務大臣
「・・・そこで戦争中に生じた日本固有の領土の占領等は、当然に解決しなければならない問題になりますし、なお戦争によって生じた未帰還の人々の抑留をも、できるだけ早く帰さなくちゃならぬ、これらの問題が国交調整の材料になることは言うまでもないことであります。それらの問題を解決して、平和条約を結んで国際関係を正常化したい。これは最初も今日も同じなのであります。歯舞、色丹でもって満足しますということを私言った覚えはありません。とにかく、領土問題についても解決しなくてはならない問題の中に入るということだけは言ったことはあるのですが、その要求する島は歯舞、色丹だけだということはかって言ったことはないのであります。・・・」


鳩山一郎氏は、国後と択捉の領有権は日本にあると発言しています。
ですから、日本は1956年のソ連との交渉で4島の返還を求めたのですが、結果的には歯舞と色丹の返還で妥結せざるを得ませんでした。
しかし、日本国内にはこの妥協案を良しとしない意見があったために、交渉は行き詰まってしまったのです。
よく、交渉に行き詰まった原因はダレスの恫喝があったからだと言う人がいます。確かに、アメリカは日本とソ連の接近を阻みたかったわけですが、4島返還は自民党結党時の党議だったのです。
当時の自民党には旧自由党系の議員がおり、彼らはソ連との国交回復には反対でしたから2島返還の妥協案を受け入れる筈もなかったのです。

ソ連との平和条約の締結は日米安保条約の根拠を揺るがすものだったのです。
ソ連の脅威を維持するためには、4島の一括返還を主張し続けるしかなかったということです。
そもそも、日本政府は国後と択捉の領有権を放棄していたわけですから、北方領土問題は昭和30年には解決できたのです。
また、歯舞と色丹の返還で妥結していれば、少なくとも昭和31年には平和条約を締結していた筈です。
北方領土問題が解決しなかった背景には、日ソの接近を阻もうとするアメリカの力もありましたが、独自外交を否定して日米安保条約を守ろうとする旧自由党の所謂吉田派の力が大きかったということです。
現在の自民党は対米従属一辺倒ですが、結党時の自民党にはアメリカの保護国となることを嫌い、独自外交を目指す勢力が存在していたのです。



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