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「教科書が読めない子どもたち」が問題になっている。
一応、文章も読むし、音読も出来るが、本人の頭の中には全く
「その内容」がイメージ出来ていない。 数行以上の文章を、意味をもって読み解くことが出来ない。 つまり字ヅラを追っているだけである。 テストで出る「この時の筆者の主張/心情を説明せよ」を現実世界で活用出来ないと、どうなるか?
本人も気づかぬうちに、いじめっ子になる。なにしろ相手の気持ちが、わからないのだから。 ここまで読んで、私たち大人は「だから最近の子供たちは……」と嘆く。 だが、大人達よ、ちょっと待て。それって子供だけだろうか?
大人もそうじゃないだろうか? しかも全世界的にだ。 SNSが普及して明らかになったことがある。 提示版をご覧になればわかる。役に立つ意見よりも、圧倒的に不愉快な意見が目に付く。
だが、そんな単純なことではない。 そもそも発信者の文章の、文脈的意味や表現意図を理解出来ない人が圧倒的に多いのだ。 ●SNSのコメント欄に痛烈な悪口を書き込む。 ●やりとりが全くかみ合わない。 ●見当違いな意見や罵倒を続ける。 ●文脈が読めない人が、不快な文章を書き並べる。 ●詳細を知らない人が、知ったかぶりして非難する。 ●どう読んだら、そういう解釈になる? ●記事の全体は読まず、話の論点も掴む気がさらさら無い。 どうしてこのようなことが起きるのか?
書かれていないその人の背景を想像して、その発言に至った過程を想像せずに決めつけて物事を言うからだ。 読解力の調査によると、全体の8割も基本的読解力に欠けていることがわかっている。
つまり読めていない。理解していない。わかっていない人がほとんどというわけだ。
だがそれも1割ほど高くなるだけで各国の酷い理解力から見て、 ややマシというだけだ。 語彙だけが貧しいならいいが、相手が何を言いたいのかすら理解出来ないのだ。
発信者の真の理解者は、実は、たったの1割という現実が悲しい。 そもそも分厚い本を楽しむ人は、人口比でどのくらいいるだろう。
子供だけでなく大人でも「長い文章が全く読解出来ない人」はたくさんいる。 読解能力をもたない人は、保険の約款を理解できない。
新聞記事の趣旨も分からない。 提言の要点をつかんだり、小説に込められた機微に心揺さぶられることもない。 こうなると、自分が生きている社会の構造を解釈し、把握することもできない。 だが、社会に不満なので社会に関わろうとする。
すると的外れな解釈と、偏った結論が社会に拡散される。 伝言ゲームではないが、最初の発信された言葉の趣旨とは、かなり異なったものが、真実を把握せぬままに、私たちを思い込みという混乱に巻き込む。 これを回避するにはどうしたらいいか?
感情だけで、批判記事に迎合しないことだ。
また、又聞きを拾った書き込みを信用しないことだ。 真摯な批判記事なら、深いリサーチと、その人なりの真実があるので、あなたに新しい視点をもたらし、不愉快な気分になることはない。 そもそも発信者の真実に肉薄している意見は、見つけることが難しいほど限られていると考えていい。
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