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製造、流通システムを通過するすべての材料のうち、販売から六ヶ月後に製品としてまだ使われるモノの割合をご存じだろうか?
50パーセント?20パーセント?
まったく違う。1パーセントなのです。
その上、破棄するのは無駄なモノの半分にすぎない。あとは買ってみたけれど、ほとんど、あるいは一度も使わないもの。
買ってみたけれど一度も使わなかったモノを思い浮かべてみよう。 ○一度も袖を通さなかった服。
○読まない本 ○箱から出しもしなかった電気機器 ○他にもあなたの頭に浮かんだモノありますよね? 「買ったモノと使うものの差が、すなわちムダ」――時間のムダ、お金のムダ、放置されて埃をかぶっているということで、ただのゴミという意味でもムダなモノたち。
倉庫には何が詰め込んであるのだろう? ○キャンプの道具 ○パン焼き器 ○雑誌のバックナンバー ○ローラースケート ○PCモニター ○昔のソファ ○引っ越しのときにようやく捨てるモノ 挙げればきりがない。
家には起きたくない、散らかる邪魔な「ただのモノ」だ。 そもそもわたし達は、モノを買うために必死に働いた。 ようやく手に入れたはずの念願のモノ。それらはただちに不要品となる。 なのにわたし達はこのゴミ?がどこから来るかより、ゴミをどこに葬るかばかりを考えている。 なにか変だ。よけい重荷が増えて、楽しくないのだ。
『現代の物質主義は、わたし達の欲望をあおることによって成り立っている――決して満たされることのない欲望によって』 わたし達は豊かになり過剰消費に走ったが、自殺率は上がり囚人は4倍になり、うつ、不眠、心臓病、肥満などが急増したという。
こんなにたくさんのモノに囲まれているのに、幸せと思えないのはどうしてだろう?
わたし達は何故モノを買うのか? ハイパー消費を支えているのが四つの巨大な力だという。 「説得力」「後追い文化」「商品寿命」「あとひとつ的心理」だ。 モノを売るには「気持ちよく」「力強く」「セクシー」になりたいという欲望に
うまく訴求できれば、どんなモノでも売ることができる。
つまりなりたい自分を想像させることで、石けんからベーコン、ウオール街の株式まで買わせることが出来るのだ。
消費社会は豊かで幸せだと讃えられてきた。今たくさんのモノが溢れている。でも、それらは幻影になりつつある。 ショッピングモールの膨大なモノたちは、必死に買われることを願い続け、何か得体の知れぬ脅迫的な色彩を帯びている。
では、手に入れられないと不幸せになるだろうか? 買ったとたんにモノからの輝くオーラは消えて、ただの邪魔なゴミに見えてくるのはどうしてだろう?
本当に大切で必要なモノは何十年たっても、わたし達の傍にある。 「愛する」ということは、なにも人間だけが対象ではない。
今手に入れようとしているモノを「末永く愛せるか?」もういちどモノに問いかけてみたい。 欲望のままに手に入れて必要ないと感じたらポイッと捨てる行為は悲しい。 人間でもペットでもモノでも対象は関係ない。 「丁寧」「大切」「吟味」をする。
それはわたし達のこころの問題かもしれない。つまり 利他的な愛があるかどうか?モノに対してさえ、最終的にはこの考えにいきつく。 ※2011年の記事の再掲載です。 |

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こんばんは。
しばらく途切れていたので健康を損ねたかしらと
案じておりました。
よかったわ
寒い日が続いてます
インフルも猛威
お互いきをつけましょうね。
流石に最近は食品は毎日の事なので買うけれど
偶に買いすぎてしまうこともあるけれど
モノは買うのを控えようと思ってます。
買ったとたんにモノのからオーラが消滅
そうなのよねぇー@@
2019/1/24(木) 午後 5:15
> arielさん
昨年末から 少し体調を崩しまして ・・
というと 大げさになりますが ・・・
数日おきに 異常に血圧が下がるという状況が続いていましたが
最近は少し落ち着いてきたようで
もうしばらくは様子見という状況です
そんなこんなで このところ あまり気分が乗らず
切り紙に関しては 只今 冬眠中という状態です (^^ゞ
昨年ひいた風邪は ようやく収まったようでほっとしています
この辺りも周囲にはインフルエンザがかなり広まっているようです
気をつけなくては ・・・ですね (^0_0^)
・・・というところで 最近は ネットショッピングで
あれこれと 小物を手に入れていますが 便利になりすぎて
つい要らないものまで買ってしまっているという自戒も込めての
この記事の転載となりました
2019/1/26(土) 午前 7:06