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兼山城に行って来ました。
駐車場が2箇所あり、近い方と、遠い方。
なぜか会社の先輩は、遠い方に車を停め、登り始める。
しばらく登る。
途中には何も無く近い駐車場を横切る。
会社の先輩に失敗だった事を気遣い、無言で通りすぎる。
しばらくすると石垣がちらほらと現れる。
お〜!こっちも石垣っすよ〜!
会社の先輩を盛り上げながら本丸にたどり着く。
なんやかんやで、麓の資料館へ
そこに興味深いものが。
本能寺の変の時に、本能寺に突撃した明智側の、どちらかと言うと位の低い武士、
の書いた書物が発見された。とのこと。
会社の先輩が、空腹になられて、じっくり読めず、帰ってネットで調べました。
以下の通りです。
現代文訳:守天働児(引用)
明智光秀が謀反を起こし、織田信長様に腹を召させた時、本能寺に私たちより先に入ったと言う人がいたら、それは嘘です。
まさか、信長様に腹を召させるとは夢とも知りませんでした。
その時は、太閤秀吉様が備中で毛利輝元様と対峙していたので、明智さまが援軍を申しつけられたのです。
京都の山崎の方へ行くと思っていたら、逆の京都市内の方へ行けと命じられましたので、、
討つ相手は徳川家康様であるとばかり思っていました。
また、本能寺というところも知りませんでした。
進軍の途中、軍勢の中から馬に乗った二人の武将が前に出てきたので、誰かと思ったところ、
斉藤内蔵助殿の子息で小姓を二人連れていました。
本能寺へ向かう間、我々はその後ろについて行きました。
片原町に入った時、子息殿は北の方へ行き、我々は南の堀に沿って東に向いて進んだところ、本能寺に入る道に出ました。
橋の側に門番がいたので私たちは殺して首を取りました。
そこから本能寺内に入ろうとしたところ、門は簡単に開いて、中は、ネズミ一匹いないほど静かでした。
門番の首を持っていたところ、北側から入ってきた三宅弥平次殿と伝令将校の二人がやってきて、
「首は討ち捨てろ。」と言われましたので、堂の下に投げ入れました。
本堂の表から中に入ったところ、広間には誰もいなくて、蚊帳が吊ってあるだけでした。
寺の台所の方を探索したところ、白い着物を着た女を一人、捕らえましたが、侍は誰もいませんでした。
捕らえた女は「上様は白い着物を着ておられます。」と言ったのですが、
その時は、その女が言った「上様」が「信長殿」とは分かりませんでした。
この女は斉藤内蔵助殿のもとに連れて行きました。
旗本衆の二、三人が肩衣に袴の裾をたくし上げた姿で堂の奥に入って行き、そこで首を一つ取りました。
一人の男が、奥の間から、麻の単衣(寝間着)を着て、帯もしないで、刀を抜いて出てきたので、
私は蚊帳の陰に入り、その者が通り過ぎるのを待って、背後から切って首を取りました。
その頃には建物の中には我が軍の多くが入っていました。
この襲撃時には、以上のとおり、敵の首を二つ取りました。
褒美として、槍を貰ったので、野々口西太郎殿に伝えます。
以上
なんか難しいですが、今まで聞いていた本能寺の話と、だいぶ様子が違いますよね。
面白いと思うのは僕だけでしょうか。
兼山城の場所は、岐阜県可児市兼山秋葉台
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兼山城行きたいなー♪
2009/8/8(土) 午後 6:36 [ shonan sky ]
是非、東海へ来て下さい!
たくさん城跡がありますよ!
2009/8/8(土) 午後 6:42 [ おいしい牛乳 ]
はじめまして。ランダムから来ました。
興味深く拝見させて頂きました。
戦国好きなので、このブログを見つけてラッキーでした。
また遊びに来ます。
2009/8/8(土) 午後 6:49
ありがとうございます!
また遊びに来てください!待ってます!
2009/8/8(土) 午後 6:55 [ おいしい牛乳 ]
兼山城跡に行こうと思って色々検索してたら、こちらに来ました。本能寺の変の話、、面白いですね。是非私も歴史資料館行ってみます。
2010/10/2(土) 午後 9:52 [ カピ ]
行くチャンスいっぱい有ったのに行った事無い。
絶対行ってみます。
2011/4/9(土) 午後 4:13 [ danboo48 ]