無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

大給城

イメージ 3
イメージ 2
イメージ 1
久しぶりの更新です。
愛知県豊田市の松平郷にある、大給城(おぎゅうじょう)に行きました。
以前、夏の雨の日に行った時に、もみじの木が多いと感じていたので、会社の上司を誘って向かいました。
予想どおり本丸付近にはもみじが真っ赤に染まっていました。
人もあまりいないので、ゆっくりと紅葉狩りを堪能出来ました。
この城跡は、徳川家康の先祖代々から継がれてきたお城で、近くには、松平東照宮があり、家康の産湯の井戸とされる場所もありました。
しかも松平東照宮も紅葉が綺麗で、徳川家の誰かがもみじを植えたのではと、勝手に想像してます。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

兼山城に行って来ました。

駐車場が2箇所あり、近い方と、遠い方。

なぜか会社の先輩は、遠い方に車を停め、登り始める。

しばらく登る。

途中には何も無く近い駐車場を横切る。

会社の先輩に失敗だった事を気遣い、無言で通りすぎる。

しばらくすると石垣がちらほらと現れる。

お〜!こっちも石垣っすよ〜!

会社の先輩を盛り上げながら本丸にたどり着く。

なんやかんやで、麓の資料館へ

そこに興味深いものが。

本能寺の変の時に、本能寺に突撃した明智側の、どちらかと言うと位の低い武士、
の書いた書物が発見された。とのこと。

会社の先輩が、空腹になられて、じっくり読めず、帰ってネットで調べました。

以下の通りです。


現代文訳:守天働児(引用)

明智光秀が謀反を起こし、織田信長様に腹を召させた時、本能寺に私たちより先に入ったと言う人がいたら、それは嘘です。
まさか、信長様に腹を召させるとは夢とも知りませんでした。

その時は、太閤秀吉様が備中で毛利輝元様と対峙していたので、明智さまが援軍を申しつけられたのです。
京都の山崎の方へ行くと思っていたら、逆の京都市内の方へ行けと命じられましたので、、

討つ相手は徳川家康様であるとばかり思っていました。
また、本能寺というところも知りませんでした。

進軍の途中、軍勢の中から馬に乗った二人の武将が前に出てきたので、誰かと思ったところ、
斉藤内蔵助殿の子息で小姓を二人連れていました。

本能寺へ向かう間、我々はその後ろについて行きました。
片原町に入った時、子息殿は北の方へ行き、我々は南の堀に沿って東に向いて進んだところ、本能寺に入る道に出ました。

橋の側に門番がいたので私たちは殺して首を取りました。
そこから本能寺内に入ろうとしたところ、門は簡単に開いて、中は、ネズミ一匹いないほど静かでした。

門番の首を持っていたところ、北側から入ってきた三宅弥平次殿と伝令将校の二人がやってきて、
「首は討ち捨てろ。」と言われましたので、堂の下に投げ入れました。

本堂の表から中に入ったところ、広間には誰もいなくて、蚊帳が吊ってあるだけでした。
寺の台所の方を探索したところ、白い着物を着た女を一人、捕らえましたが、侍は誰もいませんでした。

捕らえた女は「上様は白い着物を着ておられます。」と言ったのですが、
その時は、その女が言った「上様」が「信長殿」とは分かりませんでした。

この女は斉藤内蔵助殿のもとに連れて行きました。
旗本衆の二、三人が肩衣に袴の裾をたくし上げた姿で堂の奥に入って行き、そこで首を一つ取りました。

一人の男が、奥の間から、麻の単衣(寝間着)を着て、帯もしないで、刀を抜いて出てきたので、
私は蚊帳の陰に入り、その者が通り過ぎるのを待って、背後から切って首を取りました。

その頃には建物の中には我が軍の多くが入っていました。
この襲撃時には、以上のとおり、敵の首を二つ取りました。

褒美として、槍を貰ったので、野々口西太郎殿に伝えます。

                       以上


なんか難しいですが、今まで聞いていた本能寺の話と、だいぶ様子が違いますよね。

面白いと思うのは僕だけでしょうか。


兼山城の場所は、岐阜県可児市兼山秋葉台

犬山城 木造天守閣

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

犬山城は木造の天守閣で解体修理はされましたが、
日本最古とも言われていた様です。

到着するとお土産屋とか食べ物屋とかが並び、
観光地になってて、にぎやかでした。

そして、いざ天守閣へ・・・・!

急な階段が続き、廊下の床や手すりは、磨り減ってテカテカ・・・。

2階・3階と内部も当時のままっぽくて、想像力をかき立てられます。

なんやかんやで天守に到着。

木造のおかげで足元はギシギシ・・気のせいかゆれてる様な・・・。

コンクリートの城には無い、リアル天守閣・・・!!

人とすれ違う事すら恐怖・・・。

昔の殿様も、ちょっと怖かったんちゃうん!

とか想像しながら、しばらく景色を眺めてました。


下のお土産屋さんの中に「犬山城CG映像」と言うのがあって、
操作が難しくて手惑いましたが、
なかなか見ごたえありました。
当時の城郭から城下町までをCGで再現されていました。


場所は愛知県犬山市犬山北古券

岩村城 女城主の城

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

女城主で有名な岩村城です。

遠山景任の妻(織田信長の叔母にあたる通称お直の方)で景任が急死ののち城主に。

のちに敵将武田方家臣の秋山信友と再婚

当然、信長にとっては「裏切り」と言うことに・・。

長篠の合戦後、信長の長男の信忠に攻め入られ、信友夫妻ら5名が長良川河川敷で逆さ磔となり処刑された。

まさに悲劇の女城主・・・。

岩村城は、近世城郭の中で日本三大山城(高取城・備中松山城)のひとつに数えられる城
(標高721m)です。

歴史資料館の駐車場から石畳の階段(藤坂)をひたすら登ります。

途中には石垣がたくさん見れます。

ここの石垣は「野面積み」「打込ハギ」「切り込みハギ」と言う三世代の石垣が混在していて、

石垣の芸術を観てるようでした。

ようやく本丸にたどり着き、ここで起こった悲劇の出来事を思い浮かべ、

歴史を感じていると、一台の車が・・ぶぶ〜っ・・

ファミリーが車から降りて来て「わいわいがやがや・・・」

何んと!

車で登れるんだ!!

しかしそれでは途中にあった石垣やらは見れません・・。

やはり自分の足で登って当時の武士がいかにして攻め入ったのか、城で生活していたのか、

を実感し想像して行く所が醍醐味だと思います。

決して車で登る人を悪く言ってるのではありません。



場所は、岐阜県恵那市岩村町城山

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

岐阜城に行って来ました!

天守閣のあるお城は初めてです。

まず麓の駐車場に車を停め、山の上にある岐阜城を見上げる。

あそこまで登るんですか・・!?

天守閣がなんと小さく見えることか・・。

ロープウェイもありますが、やはり当時どのようにして攻め入ったのかを実感し確かめねば!

上級コースと初心者コースの分かれ道・・。

当然・・上級コースへ!

意気揚々と登り始める。

後から思えばかなり前半で心が折れる・・。

しかもロッククライミングでもしてるかの様な岩壁が・・。

踏み外せば転がり落ちてゆく・・・。

なんやかんやで頂上へ。

30分くらいベンチで死ぬ。

当時の武士は大変だっただろうな〜 

と難攻不落といわれた岐阜城を身を持って体感して来ました。

その後、戦国もののドラマや映画で、岐阜城攻めのシーンを見ると、

あ〜知ってる・・あそこ大変なんだわ〜 と知ったような事をつぶやいてます・・。


天守閣からの眺めは想像以上によかったです!

秋の空気が澄んでる時にもう一度登りたいと思います!

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事