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電車男――。 巨大掲示板集合体「2ちゃんねる」http://www.2ch.net/から生まれたとされるこの作品は書籍(「新潮社」http://www.shinchosha.co.jp/刊、2004年)、漫画(「小学館」http://www.shogakukan.co.jp/刊、2005年/「秋田書店」http://www.akitashoten.co.jp/index2.html刊、2005年)、ドラマ(「フジテレビ」http://www.fujitv.co.jp/index2.html系列放映、2005年)、映画(「電車男」http://www.nifty.com/denshaotoko/、2005年)と多様な展開を示し日本と言う国家にデジタルと妄想によって構築された新たな世界を提示した。昨年の流行に名を連ねた「萌え」等の用語が広範に知れ渡るようになったのもこの「電車男」の存在があったからである。この電車男に対しては賛否両論の意見が交錯している。電車男が「オタク」と呼ばれる人々の存在を世の中にある意味で肯定的に紹介したと評価する意見も多い一方で、ストーリーが極めて作為的であり、世間一般の人が持つオタクのイメージを拡大再生産する産物に過ぎないという否定的な意見もある。これは至極当然であるし、議論展開がなされるほどオタクが大きな存在として世の中に浮上してきたこともまた事実なのである。 しかし、「電車男」。それは余りに陳腐すぎる設定ではないだろうか? 構図は極めて明快。さえないオタクが美人のエルメスに見初められると言うだけだ。そこにはほんの少しばかりの勇敢さがある。これは以前からある物語の王道に適合した形だ。そして、この作品の本質的良さは「2ちゃんねる」という不特定多数が書き込む掲示板を内容そのままに出版物にする事が出来たと言う着想の良さにあった筈である。それは2ちゃんねるという閉鎖世界における特有の言語(アスキーアート)等によって複合的に構成された。映画描写でも主人公たる電車男の存在意義でもないのである。この点を勘案するならば、本作品を漫画や映画といった映像媒体へ落とし込むことは極めて難しい作業になるが、映画版にせよ、それらは失敗に喫している。映画版等、単なる「はぁ?」という程度の内容でしかない。ストーリーが平板でありすぎるが故である。 書籍の「電車男」は文学史上に新しい文学の形の発露として名を連ねるかも知れない。しかし、それ以外の漫画や映画は歴史の中に容易に埋没して行くであろう。社会全体がオタク化している現況においてはそれは尚更である。率直に言ってしまう事を許されるなら、電車男のようなオタクはまず世の中に存在しないのである。その意味で幻想と虚飾のオタクであると言えるかも知れない。 |

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