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4〜5年ぐらい前かな、
幼稚園年長さんだった息子と所の河原で遊んでたんだけど、
飽きてきたらしく、「ぱぱ、ドライブしよう」ということで、
奥多摩方面へ。そしたら、青梅あたりですごい土砂降り。
「帰ろうか?」といったら、「外ででなければいいじゃない?」というのでそのまま続行して
小河内ダムを経由して奥多摩周回道路へ。
雨もあがってきたし、運転も疲れたので、休憩ができる駐車所に車を入れた。
外に出てみたら、なんと、眼下全体が「雲」。
標高が高いから、そこがちょうど雨雲の上だったみたい。
ものすごくきれいで、息子も言葉をなくしていた。
先週の土曜日(7月9日)、息子が「パパまた、あの雲みたい」と言い出す。
「え? あの何年も前のこと覚えてたの?」
「うん」。
ご存じのように、その日は猛暑。いい天気。
「見れないと思うけど、行ってみるか」と、車を走らせた。
小河内ダムに着いた時は、日差しが強くて、暑くて、うだるほど。
だけど、遠くの山では曇っているみたい。
どんどんと走って、また、例の駐車所について外出てみたら、この前ほどではないにしろ
下の方に雲が在りました。
あのときほどではないにしろ、
遠方の山には雲がかっかて
絶景でした。
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おもいつくまま日記
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ボールド
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ネギの芽もすっかり 枯れてしまった。 今年の猛暑は、昨年以上。 |
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今年、植え付けたジャガイモの収穫
先週の6月27日(土曜日)と
本日、7月2日(土曜日)の2回に分けて収穫してきた。
植え付けは5月の連休明けだったのだけど
キタアカリと男爵、生育スピード違うんだね。
先週は「キタアカリ」の最盛期。
今週は「男爵」。
キタアカリは皮が薄くて、たんぱくなおいしさ。
男爵はふかすとほくほくの濃厚な味。
同僚が借りている畑(埼玉県坂戸市)が広すぎるということで、
今年、5㍍ほどの畝を2本かりて、作付けました。
私の自宅から行くのに40分ほどかかります。
日頃の管理は、地元に住む同僚に任せきり。
結局、私が携わったのは、土作り(堆肥施用と畝立て)、植え付け、雑草刈り(1日)、収穫だけ。
隣の畝には、ひょろひょろと茎が立って、白いジャガイモの花が咲いていました。
花を咲かせてしまうと、徐々にイモの養分が吸われるので
イモ自体にしわがよったりするそうです。
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入間市には
新田義貞が建立した神社が
鎌倉幕府を打倒するため、上野国(現・群馬県)の武将・新田義貞は元弘3年(1333年)5月8日に挙兵、出陣した。
鎌倉街道を南下し現在の埼玉県所沢市の一帯で、壮絶な戦いが北条軍と繰り広げられた。その史跡が「小手指ヶ原古戦場跡」として言い伝えられている。 また、国道463号バイパスには「誓詞橋」という地名があり、ここで勝利を祈願したとも伝えられている。
入間市下藤沢にある熊野神社には、樹齢約600年以上とされる大杉が、どっしりと直立し見事な枝振りを見せている。
「義貞が鎌倉攻めのため、ちょうど下藤沢明けの沢を通りかかった時、南方から一羽のカラスが飛来し、義貞の旗上に止まった。義貞は、日本一霊験あらたかな紀州熊野宮(和歌山県)の飛竜の助けであると喜んだ。ついに鎌倉攻めに勝利を得、帰途立ち寄ってここに“飛竜神社”を建立した。その後、村の中央に移して、今の熊野神社になったという」と記されて
カラスが大杉から
一羽、飛び立った
今日の午前10時ごろに、ちょっと立ち寄ってみたのだけれど、嘘みたいな話だけど。大杉の葉陰から、“カーア”と一鳴きして、大きなカラスが羽ばたいて飛んでいった。吉兆だといいけれど、カラスはあまりいいイメージないからなあ。
この写真を撮影し後に、カラスが飛び立ったので、どこかに潜んでいるのは確か。よく目をこらすと、カラス「飛龍」がいるかもしれません。
モノクロにしたのは、ケータイで撮影した画像で、発色がよくなかったから、グレースケールにしてみた。
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一時は、家に帰れないだろうと、あきらめた時もあった。
徒歩とバスを使って何とか戻れたので、ホッとしたところ。
今見ているNHKの地震報道では、国内観測史上最大 マグニチュード8.8。
死亡300人以上、不明500人以上。
地震による家や土砂の倒壊等で、そして大きな津波によって
たいへん多くの方がなくなられたようだ。
なんてことだ!
テレビ画像を見て、愕然
日本はどうなるんだ?
関東地方、特に首都圏でもJR線、地下鉄、私鉄が運行を停止
帰宅出来ない会社員や学生などがたくさんいる。
今日は、さいたま市で外勤。
午前中で仕事を終えて、東京・千代田区の職場に戻ろうと、JR東北線に乗車。
14時半頃、赤羽駅を過ぎたときに、突然電車が急停車。
まもなく、上からの突き上げと、激しく横に揺さぶられるような振動。
「電車が止まってるはずなのに、おかしい」
後ろを振り向いて車窓を見ると、線路の向こう側の電信柱が抜けてしまうのではないか? と思われるほどの揺れ、電線が波打っていた。
「地震だ!」−−本当に予想もしていないときは、思考回路が停滞してしまうようだ。
赤羽駅と東十条駅の間、線路上に停車。
運転手も車掌も情報把握していないせいか、車内放送は
「
パンタグラフをおろします。電気が使えなくなります」という放送。 「ああこれで、かなり止まっちゃうな」と目の前のサラリーマン。
でも、みな意外と冷静。
どのくらい時間が経過しただろうか? 30〜40分程度か? 長かったような、でも実際はそんなに長い時間ではなかったような不思議な時の経過。
そうこうしていると、「列車外に誘導します」という車内放送。
私も、車掌の誘導で線路に飛び降り、最寄りの東十条駅まで行列つくって線路の上をとぼとぼ歩いた。
東十条駅では、ただ「列車の再会は未定です」だけ。
地震の被害状況の情報も何も取得出来ない。
東十条駅で列車の再会を待っていてもどうにもならない。
しかも、夕方になり冷たい強い風が吹いてきた。
ここは寒い、「帰宅のために最善を尽くそう」。そう思い、とにかく歩こうと決心。
しかし、地理的にどっちへ行けば自宅方面、でなくても西武池袋方面に出るには・・・
わからない。
仕方ない、東十条駅より大きい赤羽駅へ向かおう。
そこならバス便も多いはず。
ようやく30分近く歩いて赤羽駅に徒歩で出た。
駅構内のテレビモニターを見てびっくり
ちょうど大船渡市の画像で、壊滅状態、唖然。黙って見ている人たちも声にならない。
被害のすごさがようやく分かった。
赤羽駅では乗客などが帰る方法などを駅員に聞いているけど、少ない人数なので対応できない状況。
タクシー乗り場は大行列、バスも同じ。
そうこうしてると、赤羽駅で、先ほどまで一緒だった代理店の人とばったり会った。
飲食店に入って情報収集とほとぼりをさます目的で2時間ほど待機。
午後9時になると店を閉めるというので、外に。
代理店の人は、家族と連絡がとれて迎えに来てくれるという。
帰宅方面が異なる私は、彼と別れて
練馬駅行きのバス亭に行く。
待ちに待ってようやく乗車。
午後11頃にようやく練馬駅に到着。駅改札方面から多くの人が流れ出てきた。
男性の一人に聞いたら「西武線は再開しました」とのこと。
そのときまで、西武鉄道が再会した情報がなかったので、うれしい誤算。
運転再開。
翌、午前1時過ぎ、家に到着。
つかれた、ほんとにつかれた。
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