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追悼文 大串信氏より

モータースポーツジャーナリストで西山平夫さんと親交の厚かった大串信さんから、追悼文をおあずかりしました。西山さんともっとも関わりの深かった編集部で、というお申し出でしたので、ありがたくこちらでご紹介させていただくことにいたします。F1速報編集部


西山平夫さんへ

西山平夫さんは、わたしにとってこの業界の大先輩でした。でも80年代半ばにこの業界で仕事をし始めたばかりのわたしにも気軽に声をかけてくれ、いろんな人を紹介してくれました。林信次さんに、いまはなくなってしまった菅生のくぬぎ山荘で引き合わせてくれたのも西山さんでした。いろんなものをくっつけて、化学反応みたいなことが起きて、何か新しいことが生まれるのを楽しみにしていたのかもしれません。

80年代当時、とある出版社の名物古株編集者と会って話をしたとき、「今、レース業界で一番原稿がうまいのは西山さんだな」という話題になったことが印象に残っています。編集者は「西山さんは自分の原稿に、真っ赤になるまで赤を入れてから送ってくる」と言っていました。わたしは元々西山さんの飄々とした文章が好きでしたが、その裏話を聞いて、肝に銘じたものです。

アマチュア時代から、ぜひ仕事がしたいなと目標にしていたある有名雑誌に紹介してくれ、長年にわたってコラムを連載することになったきっかけも西山さんが作ってくれました。出版社から原稿依頼の電話がかかってきたとき、わたしは飛び上がって喜びましたが、「ところでなぜわたしに声をかけてくれたのですか」と尋ねると「西山さんから紹介された」と言うのです。わたしは改めて西山さんに御礼の電話をかけましたが、西山さんは「うん、まあ」と詳しくを語ろうとはしませんでした。恩着せがましくなりたくなかったのかもしれません。

F1の仕事の現場では、世界各国でときどき一緒に夕食をとりお酒を飲みました。西山さんは飲食について「ホンモノ」指向の人で、B級グルメ好きのわたしとは必ずしも方向性は一致しませんでしたが、食べて呑んで楽しい話を繰り返したものです。そういえば、その後西山さんの主たる執筆の場となる「F1速報」誌では、創刊当時「地球の裏側方面は行きたくない」と言っていた西山さんのピンチヒッターとして地球の裏側方面へ出かけレポート執筆を何戦か担当したこともあります。

わたしが仕事を国内にシフトし、西山さんはF1にどっぷりひたって仕事をするようになって接点は減ってしまいましたが、年に何度かは顔を合わせました。わたしが長い病気のあと、リハビリをかねてランニングを始め、それが趣味になったことについて2年ほど前、ツインリンクもてぎのプレスルームで話す機会がありました。西山さんが、妙に興味を持って話に食いついてきたことを思い出します。その日わたしは帰路、水戸の千波湖に寄ってランニングして帰ろうかどうしようかと迷っていたのですが、帰り際「大串ちゃん、絶対ランニングして帰れよな」と声をかけてくれました。わたしがランニングをすること自体をおもしろがっていたのか、わたしの身体を気遣ってくれたのか、わざわざなぜ声をかけてくれたのかは、もうわからなくなってしまいました。

確かその日、西山さんはプレスルームの窓からコースインしていくスーパーGTのマシンを眺めながら「これって自動車レースとしてすごいよねえ」と目を輝かせていました。ぼくは、西山さんに国内レースについての原稿をもっと書いて欲しいと思い続けていたので、近いうち国内の仕事も本格再開してくれるかもしれないなあと期待したものでした。

最後に西山さんに会ったのは今年の春、国内レースのプレスルームでした。わたしは左膝の前十字靱帯再建手術を受けたばかりで、その話を西山さんにしたところ、「大串ちゃんってあれだな、そういう自分の身体を改良することについてはものすごくチャレンジングだよな」と言ってくれました。03年にC型肝炎のインターフェロン治療をして、今年は膝の手術をして、ということを「チャレンジ」と表現してくれたのですが、今になって思うと、西山さんもその時点で自分の身体にチャレンジしてくれていれば状況は変わったのかも知れないのにと悔やまれてしかたがありません。

6月に西山さんの体調が良くないということを聞き、確かめてみるとすでに入院していることがわかりました。病状はかなり悪く、本人の意向で入院は表沙汰にせず、面会も近い人間以外は遠慮しようということだったのでお見舞いには出かけませんでしたが、少しずつ状況は耳に入ってきました。残念ながら病状が好転することはなさそうだ、と聞いて覚悟はしました。でもその一方、このまま話がうやむやになってしまうのではないかと夢みたいなことを考えていました。でも結局あまり聞きたくない報せが届いてしまいました。

悲しんでも悔やんでも、死んでしまった人が帰ってこないのは、もうこの年齢になると十分に思い知っています。わたしたちの業界は、大変有能な人を永遠に失ってしまいました。せめてわたしは西山さんの想いを受け継いで、おいしいものを食べおいしいお酒を飲んで素敵なものを眺め、そして西山さんに見せて恥ずかしくない原稿を書いて、西山さんが愛したものがこの先も続いていくことを願って生きていくつもりでいます。西山さん、平ちゃん。さようなら。今まで本当にありがとう。

2010年10月 大串信

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今、初めて知りました。西山さん、亡くなられたのですね。心からご冥福をお祈り申し上げます。氏の記事からは私も色んなことを学びました。どうか天国で、居酒屋ででもレース談義を繰り広げてください。名尾和真

2013/10/14(月) 午後 3:28 [ ◆かじゅ◆♪ ] 返信する

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