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まったけ日記147−明智光秀言行録−で、明智光秀の残したとされる言葉に『明智日向守が云ふ 仏の嘘を方便と云ひ 武士の嘘を武略と云ふ 土民百姓はかわゆきことなり』とあったのを憶えていただいてますでしょうか。
明智光秀は、丹波では今でも民政に行政手腕を発揮した名君と讃える人が少なくありません。 さて、丹波が光秀の治世となった頃から、各地で検地が行われるようになりました。当然、丹波でも行われました。 その物的証拠となるのが「畦木」です。「畦木」とは文字どおり田んぼの畦に植えた樹木のことです。 農民は「畦木」を植えることによって、検地に来た役人に少しでも田んぼの大きさを小さく見えるようにしたものと伝えられています。 案外、光秀の『土民百姓はかわゆきことなり』という言葉は、丹波の農民の必死の嘘によるものかも分かりません。 亀岡盆地の有名な丹波霧(亀岡霧)の季節になると水田からは「畦木」の影しか見えず、まるで天空の雲の中に植わった樹木のような美しい光景になります。
有名な日本画家の堂本印象(まったけ父の師匠)の作品にもなっています。 「畦木」は水田生態系にも重要な役割を果たしており、様々な虫たちが集まってきます。 しかし、「畦木」は、水稲栽培の機械化で邪魔になると次々と倒されていきました。また、農地改良工事でも切り倒されています。 こうして、丹波亀岡盆地の風景に欠かせない「畦木」は失われつつあるのです。 今日の独り言 去る9月30日に発売された石毛直道・井上章一・桂小米朝・木下直之・旭堂南海・島崎今日子・宮田珠己『勝手に関西世界遺産』朝日新聞社,2006年という本で僕のことが書いてあります。 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html/
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それは「あぜぎ」と読むのでしょうか、どうも無学ものでお恥ずかしいような質問です。他の人との田との境を示すのですか、それとも測量の単位になるのですか、教えてください。宜しくお願いいたします。
2006/10/2(月) 午後 5:01 [ riz*i*ri*30 ]
一般的には「あぜき」と呼んでいます。その名の通り田んぼを区切る「畦道(あぜみち)」に植えられています。植えられた目的は諸説あります。稲穂を干すのに利用したり、天敵による害虫予防等です。しかし、一般的には田んぼを囲むように畦木を植えて、「検地」の際して少しでも役人に田んぼの大きさを小さく見えるように錯覚させるためと言われています。柿の木を植えた田んぼもあります。
2006/10/2(月) 午後 5:30
丹波っていうのは中央政権から距離的に近かったから、田んぼが小さく見えるように工夫したんだね。秋田県って周囲の県境は分水嶺で囲まれているの。今は陸の孤島とも呼ばれているけど、中央のお役人が田んぼの測量に来られなかったんだろうね。石高以上のお米がとれたので江戸時代、佐竹藩は裕福な藩だったらしい。となりの岩手県(南部藩)はヤマセでお米がとれなくてとっても貧乏な藩だったらしい。南部藩はご用商人に借金ばっかりしていた藩だったらしい。江戸時代に豊かだった分、今、貧乏しているんだね。秋田県、、。
2006/10/2(月) 午後 8:59 [ ピッピ ]
でも、ぴっぴーさん、この前、日本で一番、見栄っ張りは秋田県って番組やってました。情がある、人をもてなすのが、見栄っ張りって、捉え方が、おかしいですね。日本のマスコミはおかしいよね。
2006/10/2(月) 午後 10:39
>ピノコ様はそのようなお仕事もされているのですか?知らなかった…。 …いいえ、まったけさま。あくまで趣味です。お金が出て行くばかりで。 田や畠のまわりに木を植えておきますと、落ち葉が肥料になったり、防風林となったりとか、いろいろ役に立ちそうですね。さすが! 光秀さま
2006/10/2(月) 午後 11:08 [ ピノコ ]
畦木は、こちらの方では見られませんが、素敵なアイデア、そして素敵な風景ですね。ちょっと一休みの木陰にもなりますね。
2006/10/3(火) 午前 0:05
ぴっぴ様、出羽佐竹藩が裕福だったのは、曙山佐竹義敦が藩主のときに平賀源内をブレーンに銀山を開発したことにもよりますよね。そのときに、源内が佐竹曙山と小田野直武に蘭画を教えて、「秋田蘭画」の世界が花開くのですよね。さらに源内の人脈から小田野直武が『解体新書』を書くことになるのですよね。これは、漫画・みなもと太郎『風雲児たち』潮出版社の受け売り。
2006/10/3(火) 午前 1:24
【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】源内は直武に西洋画を教えた。伝説では「お供え餅を上から描いてみなさい」と直武に描かせてみせ、輪郭で描く日本画では立体の表現は難しく、西洋絵画には陰影の表現があるのでそれができると教えたという。源内自身は「素人としては上手」という程度の画力であるが、遠近法、陰影法などの西洋絵画の技法を直武に伝えた。
2006/10/3(火) 午前 1:26
ファピーさん、ノーコメント(^_^;)
2006/10/3(火) 午前 1:28
ピノコさん、さすが!確かに、落葉の肥料や防風林という目的もありました。
2006/10/3(火) 午前 1:30
candy様、京都亀岡国際秘宝館へようこそお越しやす。この「畦木」のある風景は次第に失われつつあります。ぜひ、丹波松茸のシーズンに丹波亀岡にお越し下さい。
2006/10/3(火) 午前 1:34
「土民百姓はかわゆきことなり」とは、そのとうりですね。庶民のつく嘘なんてたわいのない自己利益の主張がらみですが、権力者のつく嘘は、大きな犠牲者をともないますからね…。
2006/10/3(火) 午前 11:32 [ baz*tou*uu*970 ]
快刀乱麻様、本当に光秀の発した言葉かどうかはわかりませんが的を得たものと思います。この言葉を誰かさんたちに学んでほしいものです。
2006/10/3(火) 午後 3:19
畦木の目的始めて知りました。都会に住んでいた私としては、農民が弁当箱でもぶら下げておいたり、日差しを避けるためくらいにしか思っていませんでした。まったけが恋しい・・・。
2006/10/3(火) 午後 6:50
畦木知らなかった☆こちらの田んぼは整備されて木なんか植えてなぃですからね。またひとつ知識が増えました!
2006/10/3(火) 午後 10:02 [ ルパ ]
ファッピーさんへ。秋田県人は確かに見栄っ張りでございます。金もないのに高級車に乗りたがります。この前、ちょっと旅行したときに空港の駐車場に車を止めたのでございます。最終便の乗客がどどどっと駐車場を出ようとして混雑しましたがそれが全部3ナンバーだったのです!なんでこんな貧乏県でとあ然といたしました。実は新車ではなく中古で3ナンバーを買う人も結構多いみたいです。たぶんそのテレビ間違ってない。^^;
2006/10/3(火) 午後 11:47 [ ピッピ ]
Ming様、そういう目的もあったと思います。フィリピンの棚田も独特の田園風景ですよね。
2006/10/4(水) 午前 0:02
よっし@様、お帰りなさいませ!どちらかといえば、こちらは農地改良工事が遅れています。しかし、この美しい風景が次第に消えていくのを考えると寂しくなります。
2006/10/4(水) 午前 0:06
うこぎの話を書いてみます。上杉鷹山が自らを戒めるために「大倹約令」を自分の身内に出したもののなかに、うこぎを垣根にしなさいというのもあって、米沢市に行くと今もうこぎの垣根が多く見られ、食べられているそうです。昔はヤマセが吹いたら必ず飢饉がきた、と言う経験から土地の人たちが生活の知恵としてうこぎを植え続けたそうです。あぜきとは起源がちょっと違いますね。
2006/10/7(土) 午後 11:16
i_ashihara様、コメントをいただきありがとうございます。不勉強で上杉鷹山公の「うこぎ」の話は存じ上げませんでした。上杉鷹山と言えば「かてもの」という印象がありました。僕は天明期ではケインズ政策を先取りしたような政治を行なった田沼意次に関心を抱いています。「天明の飢饉」では上杉鷹山と松平定信の白河藩が死亡者を出していないことになっています。しかし、御三卿の田安家出身が主の白河藩には幕府からの援助が容易に想像できるので、上杉鷹山こそが当時の藩主として唯一の民政家の名君と思っています。
2006/10/8(日) 午前 2:31