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我が、立命館の第5号館友であり、立命館大学校友及び学生の大先輩でもある日清食品の創業者である安藤百福氏がご逝去された。
なお、館友としての功績は、「立命館大学に留学生のための奨学金の設立など、国際交流に多大の貢献。」おい、にしゃん。感謝しろ!└|∵|┐♪┌|∵|┘ ラーメン記念館に見学者続々・安藤百福氏死去5日死去した日清食品の創業者、安藤百福さんが設立した「インスタントラーメン発明記念館」(大阪府池田市)へ6日、次々と訪れた見学者は、インスタントラーメンの思い出とともに「百福さんありがとう」と口にした。 入り口のガラスドアに訃報を知らせる張り紙が。娘2人を連れた京都市右京区の男性公務員(35)は「米国留学したとき、田舎町のスーパーでカップヌードルをよく買い、食べるたびに日本を思い出してすごくうれしかった。亡くなられたのは残念だが、ありがとうと言いたい」。 安藤さんと20年来の付き合いという近くの飲食店経営林克彦さん(72)は「雲の上の人だったけど、気さくに声を掛けてくれ、地元の誇りだった。100歳まで現役でいてくれると思っていたので、びっくりした」と話した。 同館は1999年11月にオープン。安藤さんが58年、世界初の即席めん「チキンラーメン」を発明した自宅庭の小屋を再現。即席ラーメンの手作り体験ができる工房などが人気を集め昨年7月、入場者が100万人を超えた。【日本経済新聞,2007年1月6日】 日清食品の安藤百福会長、ラーメンを語る「チキンラーメン」開発した世界ラーメン協会会長が来韓90代半ば過ぎの老人がイワシのような魚を骨までサクサク砕いて食べる。1年に100回以上はゴルフを楽しむ。毎日少なくとも一食は、みそ汁の代わりにカップラーメンで済ませる。 この話は実話。主人公はインスタントラーメンの創始者である安藤百福・日清食品会長だ。1910年生まれであるため韓国の年では97歳。 安藤会長は年間2兆5000億ウォンの売上を計上する日本トップのラーメン製造メーカーの現役CEOで、いまだに大阪本社に誰よりも先に出勤し、新製品の開発に直接あたっている。 世界ラーメン協会(IRMA)会長も担当している安藤会長は、11〜12日にソウルで開かれる協会総会に参加するため訪韓した。 9日、ソウルで迎えた初めての朝食もゴルフ場で取ったほか、午後にはグランドインターコンチネンタルホテルでの記者会見に参加した。開口一番ラーメンの賛美から始まった。 「普通なら私はもうこの世の人ではないんです。ラーメンが有害との話も多いですが、私が元気に生きていることだけでも、ラーメンが良い食べ物なのかどうか、その証明にもなるはずです」 安藤会長のラーメン事業への着手は、まさに「人生の大転換」だった。理事長を担当していた信用組合が破産し、無一文になると、自分の家に3坪あまりの実験室を作り、インスタントラーメンの開発に没頭し始めた。 濡れた麺を腐らせないように乾かす方法が見つからず、失意にふけっていたところ、奥さんがから揚げを揚げるのを見て、麺を油で揚げてすぐに乾燥させる「瞬間油熱乾燥法」を開発した。 1958年に48歳という晩年で始めた事業だったが、安藤会長は現在、自分が作り出したラーメンが全世界で年間800億個も販売されている様を見ている。 1971年、水を注ぐだけの「カップめん」、昨年夏の宇宙船「ディスカバリー」号の宇宙飛行士が宇宙ステーションで食べた宇宙食ラーメン「スペースラム」も会長の作品。 安藤会長は「死ぬまでラーメンのために仕事をしたい」と話す。「ラーメンは便利かつ安全で、値段が安いから、世界平和にも寄与できる食べ物」との主張だ。 「ラーメンのコデックス国際食品標準を作り、全世界の人々がどのラーメンでも安心して食べられるようにし、輸出入も簡単にする」のが夢という。 しかし、会長の「ラーメン食事法」には傾聴に値する内容もある。栄養のバランスが取れるよう、必要な食材を一緒に入れて料理せよ、というのだ。会長は韓国のキムチはラーメンによく合うという。 安藤会長はインタビューの最後に健康の秘訣を4つ教えてくれた。 「食事は常に腹八分目で済ませること。偏食はせずに運動すること。何よりも心をリラックスさせ、柔軟に保つこと。そうすれば、健康に長生きすることができます」【朝鮮日報,2006年4月11日】 このように世界中のメディアまで報道された我が先輩・安藤百福氏は偉大なり!조선일보모양, 감사합니다. m(_ _)m大阪とラーメン元来、大阪にはラーメンはなかった。ラーメン屋はあるけど京風ラーメンや九州ラーメンだったりで、大阪ラーメン等なかった。 日本で最初のインスタントラーメンは日清食品「チキンラーメン」で、大阪で最初に売り出された。 なぜ、ラーメンのない大阪でインスタントラーメンが誕生したのか?それは、大阪人はラーメンの味を知らなかったからである。 もし、ラーメンの味を知る東京で売り出していたら… 「なんだこりゃ。こんなもんがラーメンか。メンはぼろぼろだし、スープは薬臭いし、ダシなんて鶏ガラだけじゃないか!こんなのラーメンじゃない。」 となるのは目に見えていた。 ところが、大阪は違う。味など知らないからどうだっていい。新しいもの好きの「食い道楽」大阪人は面白がって飛びつく。 「へー、これがラーメンか。なんやケッタイな味やけど。ラーメンてこんなものか。ほな、しゃあないわ。慣れたらイケルンちゃうか。」参考文献 ユーモア人間倶楽部(編)『大阪人VS東京人くらべてみたら…?!』青春出版社,1992年 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html |
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こちらでははじめまして。以前、「インスタントラーメン発明記念館」を訪ねた時、調理に要する時間を節約することにより他の有意義な活動に時間を回せるのだといった趣旨の記述に感動した覚えがあります。子供がキレるとか、少し前では環境ホルモンとか、とかく有害食品とされがちなインスタントラーメンやカップめんですが、私は偉大な事業だったと思っています。安藤氏が毎日ラーメンを食べているという逸話は昔聞いたことがありますが、最近までそれを続けていたとは驚きです。氏のご冥福をお祈りします。
2007/1/8(月) 午前 0:07 [ 深沢明人 ]
又、大阪の名物、偉人が亡くなりましたね。黙祷!
2007/1/8(月) 午後 5:26
深沢明人様☆京都亀岡国際秘宝館へようこそお越しやす。安藤百福翁の浪花的エピソードですね。僕も昨日まで三日間、チキンラーメンを食べていました。(-o-;)
2007/1/10(水) 午後 11:36
マイ・チング・ファピーさん☆そうですね、安藤百福翁は大阪ベンチャーの伝説的人物でしたね。淀川に向かって、南無阿弥陀佛、合掌。
2007/1/10(水) 午後 11:38
2007年1月9日付の米紙ニューヨークタイムズは社説で安藤を取り上げ、「ミスターヌードルに感謝」という見出しのもと、即席麺開発の業績により「安藤氏は人類の進歩の殿堂内に不朽の地位を占めた」と絶賛した。同社説では彼が発明した即席麺を、「ホンダのシビックやソニーのウォークマンなどと並ぶ」「あるいはチームで開発したそれらとは違い、個人で開発したという点でさらに偉大な」日本人が行った優れた商品開発であると紹介している。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2007/1/11(木) 午前 0:03
偉大な人がお亡くなりになられました。南無阿弥陀仏(合掌)安藤さんは敗戦の食糧難の時代に何とかならないか??の・思いがあったそうです。基本的に戦争に反対だったんだと思います。
2007/1/13(土) 午前 9:55 [ - ]
秩父雲竜様☆現代に至っても「飢え」が戦争の要因になることがあると思います。その点では、気軽に空腹を凌げるインスタント・ラーメンを発明された安藤百福翁は「食」に大きく貢献されたと思います。それと、立命OBですから…。 ( ̄ー+ ̄)
2007/1/13(土) 午前 10:04
安藤百福氏の事を日本では余り取り上げられなかったが残念です*僕も館長の記事を見て詳しいことは知りました☆松下幸之助や本田宗一郎と肩を並べる存在といっても大げさではないと思う。何と言ってもカップラーメンは庶民の食べ物。庶民が食べる為、世界中の人が食べる食べ物と作った事になる。日本人の誇るべき人物の死であった☆僕も今でもお世話になってます☆ありがとうございました☆
2007/1/21(日) 午後 4:27
masao様☆(・_・)エッ......? そうなんですか?関西ではニュースで特集をやっていました。てっきり全国ネットでもやっていると思っていましたので…、チト残念。僕も手前味噌ながら、百福さんは松下幸之助や本田宗一郎と肩を並べる存在やと思います。大往生ですが、未だ未だ「サプライズ」を持っていたかもと想像できる百福さんなので寂しいですね。
2007/1/22(月) 午前 0:47