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学校の日本史の授業で、江戸時代の三大改革として、徳川吉宗の「亨保の改革」及び松平定信の寛政の改革」、水野忠邦の「天保の改革」を教えられた記憶がある。それに対して、田沼意次の治世である「田沼時代」とは「賄賂政治」、「金権政治」等とネガティヴ・イメージで教えられた記憶がある。
また、大学の日本経済史の講義では、「日本資本主義論争」の影響を受けてか江戸時代天保期から始まった記憶がある。 田沼意次に関する歴史教科書の記述は正しいのかと疑問を持ち続け、様々な文献・史料で調べてきた。 その結果、意次の経済・財政支出政策は余りに先進的であり、硬直した頑迷な幕府重臣や当時の民衆には理解できなかったのでないかと考えるようになった。 田沼意次は、徳川幕府の経済政策の根本である農本主義(=「石高制」)を重商主義へ転換させることによって、幕府財政の再建と経済秩序の構築を図ろうとした。
そのためには、身分に関係なく有能な人材の登用を行い、松本秀持や平賀源内、千賀道有、工藤平助等のブレーンを構築し、蘭学を含めた新知識を貪欲に吸収したのである。 その辺りが、幕府重臣の反発を買い「賄賂政治」として現在に伝わっているのであろう。 その「賄賂政治」であるが、仙台藩主伊達重村からの賄賂を田沼意次が拒絶したという記録の存在もあり、逆に田沼意次を批難していた松平定信さえも田沼意次に金品を贈っていたという説もある。 意次の功績は、やはり「経済政策」である。 まず、平賀源内等の協力もあって幕府始まって以来、対オランダ貿易収支を黒字に転換させる。また、貨幣の改造もインフレーションを起こさずに成功させて幕府の財政改革を成功させた。 田沼意次は、幕府財政を黒字に転換させて、平賀源内の協力を得て荒川通船工事を成功に収めた。さらに、かつて徳川吉宗が失敗した印旗沼開拓工事に着手する。
『赤蝦夷風説考』を著した工藤平助をもブレーンに加えて、帝政ロシア事情の調査も開始する。 「日露交易」も視野に入れて「蝦夷地調査(北方探険)」を実施し、ロシア事情だけではなく、蝦夷地・松前藩によってアイヌ人が虐げられていることまで把握した。 意次の経済政策は「重商主義」とかたづけられず、もはや「ケインズ政策」を先取したともいえるものもある。(褒め過ぎかな(^_^;)) しかし、天は田沼意次に味方しなかったのである。 田沼時代には、災害が絶えなかった。目黒行人坂大火(明和大火)、浅間山の大噴火、天明二年十二月台風(なお、この台風で大黒屋光太夫が漂流。彼も田沼時代に帰国していたら運命も変っていただろう…。)と続き、世界中が混乱した「天明の大飢饉」が発生する。
さらに、追い打ちをかけたのが、意次の最大のブレーンでもあった嫡子の田沼意知の急死であった。意知は、佐野政言によって江戸城内で暗殺された。 田沼意知は「天明の大飢饉」で発生した米不足対策のため、遠州から江戸へと「飢饉米」を安く調達した。しかし、田沼政治を悪行とみなしていた江戸町民は「真実」を知らなかった。 意次に蝦夷地探険と松前藩によるアイヌ人圧政の改善、ロシアとの交易を進言したのは、意知であったとも言われている。 鉢植えて 梅か桜と 咲く花を 誰にたきつけ 佐野に斬らせた 田沼意次と田沼派は、将軍徳川家治の死亡後に失脚する。その失脚には、松平定信等の反田沼グループや一橋家の策謀があったともされる。意次は、失脚後は蟄居を命じられ領地も没収され、その1年後に力尽きたようにこの世を去った。
田沼意次は、平賀源内の考案した「気球」を乗ることを楽しみにしていたとも言われている。(源内のことであるから「大風呂敷」を敷いていたと思われるが…。) 田沼時代が継続していれば、日本の近代経済の発展も開国も百年早く訪れていただろう。 そして、日本人とアイヌ人そして日露外交の歴史も全く違ったものとなっていたはずである。 今日の独り言 「責任者出て来い!」、「出てきはったらどないすんねんな!」、「謝ったらええのや!ごめんちゃい」(ToT)
京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html |
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学校で習った時は田沼意次はワイロの部分を強調されていたので「悪い人」というイメージでしたが、大人になるに従って、とても魅力のある人物という感じが強くなっています☆ワイロの部分は良くないですが、自由な気風と経済を立て直した手腕はバブル崩壊後、低迷が長い今の日本にとって学ぶことが多い人物ではないかと思っています☆
2007/4/2(月) 午後 0:57
masao様☆父子とも田沼公ほど誤解の塊のような人物は明智光秀公と双壁だと思います。仰せのとおり「失われた10年」を振返るにあたり、田沼公こそ学ぶことが多い人物だと思います。
2007/4/8(日) 午後 3:51
田沼が誤解されていると言うのは分かりますが、明智光秀は悪人でしょう?
2007/6/21(木) 午前 6:15 [ gea_jp ]
gea_jp様★明智光秀は悪人ですよ。なお、豊臣秀吉、徳川家康のほうがより悪人で、この3人に比べたら織田信長は善人ですね。
2007/6/21(木) 午前 7:17
田沼で検索していてたどり着きました。田沼という大悪人苗字で二十数年生きてきた・・・・・って言ってた人と結婚して十数年がたちました。私も汚職役人の代表のようなイメージしかなかったですが、子供が小6の時自由研究で調べてみると・・・???そうでもなさそうで、田沼 意次のしてきたことを見直されることは有難いことだと思っていました。だけど中学生になって授業で習ったのはやっぱり賄賂の所だけだったそうで、友達に子孫だろとか言われてがっかりして学校から帰ってきました。
気球に乗せてあげたかったな・・・・・。
2007/8/3(金) 午後 0:54 [ gor*k*hachi ]
gorokuhachi様★京都亀岡国際秘宝館へようこそお越しやす。僕は、近代より前の日本史上で、平清盛と並んで田沼意次公は経済政策において先見の明を持っていた施政者だったと考えています。様々な史料において田沼公を罵ったものが見つかるのは、言論統制を行わなかったからだと言われています。江戸時代においては最も庶民が明るく暮らせた時代だと思います。しかし、余りの天災続きで不運だったと思います。気球…、平賀源内のことですから、大風呂敷かも分かりませんよ。でも、その源内の話を真面目に聞いて夢見た田沼公が大好きです。
2007/8/3(金) 午後 1:18
こんにちわ!田沼で飛んできました。
自分は田沼意次の子孫らしいのです。学生時代のあだ名は『老中』でした。ちょっと先祖の事がしたいと思い。検索を続けていましたが、最近は少し見直されているようですね。今度墓参りにでも行ってこようと思っています。
2007/9/9(日) 午前 8:44 [ 子孫 ]
子孫様★京都亀岡国際秘宝館へようこそお越しやす。田沼公の子孫でいらっしゃるのですか?画像は、みなもと太郎『風雲児たち』という関ヶ原から幕末・明治維新まで書く歴史大河ギャグ漫画ですが、ファンによるサイトでの人気投票では断トツの一位ですよ。
2007/10/12(金) 午前 10:01