亀岡の保津観光ひまわり園亀岡市保津町にあります『保津観光ひわまり園』は、JR嵯峨野線亀岡駅と保津川下り乗船場の間にあります。農事組合法人ほづの皆様によって、休耕田を利用して四季折々の花が咲き乱れています。 夏は、ひまわりが花を咲かせます。保津川下りを楽しまれる観光客の皆さんが、花を眺めながら乗船時間を待っていらっしゃいます。 また、ひまわりの季節が終わると、その種を利用した農産加工品がお土産になります。 【期 間】2007年7月25日(水)〜8月10日(金)午前9時〜午後5時 【場 所】JR亀岡駅北側(亀岡駅より徒歩5分) 【入園料】大人300円,小人150円(小学生) 亀岡盆地は湖だった! 亀岡盆地は太古は大きな湖であり、風が吹くと美しい丹色(朱色)の波が立ったところから、『丹のうみ・丹波』と呼ぶようになったとされています。
参考サイト出雲神話で有名な大国主命が、亀岡と嵐山の間にある渓谷を切り開き、湖の水を流し、土地を干拓した。切り開いた渓谷を妻神「三穂津姫命」の名前にちなみ「保津川・保津峡」と名付けたという伝説も残っており、実際に湖だったことを示す地層も明らかになっている。 亀岡盆地の中央を大堰川(保津川、桂川)が横断します。市街地のあるJR亀岡駅南側の地盤が低いため、ひとたび川が増水すると冠水しやすく、近年まで水害に悩まされてきました。JR亀岡駅は市内の中心駅ですが、水害が発生したときに駅北側は遊水池となるようにして、田畑が残されてきました。 現在は、上流には日吉ダムが完成し、桂川河川改修工事が進んで遊水池としての役目を終えようとしています。さらに、JR嵯峨野線複線化工事に併せて亀岡駅舎の橋上下改築工事が行われており、駅北側開発が進むことになります。 この保津観光ひまわり園は、JR亀岡駅北口と保津川下り乗船場を結ぶ通り沿いになります。 *亀岡市観光協会 *おこしやす京都(京都府ホームページ)エコツーリズム京都 *保津川下りホームページ *嵯峨野観光鉄道トロッコ列車 時間がありましたら…。 *まったけ日記316―エルンスト・ザイラー〜京都府南丹市― *まったけ日記308―『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』に捏造疑惑― *まったけ日記292―韓国の大学生が日本海岸清掃― *まったけ日記271ー亀岡市農業公園へようこそお越しやすー *まったけ日記262―京都の衛星都市のグリーン・ツーリズムー *まったけ日記257−丹波四季彩紀行『JR嵯峨野線亀岡駅』〜春 *まったけ日記255−丹波四季彩紀行『JR嵯峨野線千代川駅』 *まったけ日記250−朝日新聞と夏目漱石と折々のうた− *まったけ日記234ー38度線は「野生の王国」 *まったけ日記154ー丹波の名菓「朝日堂」のもなかー *まったけ日記153ー失われる丹波の風景「畦木」ー *まったけ日記151ーオニバスの花が咲く池ー *まったけ日記150ーアユモドキの棲む水田生態系の調査ー 注目ブログ *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ ご意見下さい *いわれひこ様BBS *京都亀岡国際秘宝館・本館 |
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ピッピです。こんにちは。
ピッピは秋田県八郎潟のそばに住んでいます。
日本第二の広さを誇る八郎潟でしたが、戦後、食料(米)増産のためにオランダの技術を借りて干拓されてしまいました。
ところが戦後60年。米余り。
主に県外から入植して来た農家が減反政策を無視して米を作りアメリカばりの大規模農業をして利益をあげています。
県内から入植した農民は真面目に減反転作に協力したので破産が相次ぎました。
ところで干拓された残りの小さな水面から農業用水を取水するため日本海に接する水門を開けることが出来ません。(塩分が入るから)
水たまりの残存湖には生活排水農業排水が流れ込むばかりでものすごく水が汚濁し続けています。困ったことです。
八郎潟は「琴の湖(うみ)」と言われていたんです。
琵琶湖との対比でしょうか。
美しい「琴の湖」は人為的な干拓でなくなってしまいました。
2007/8/2(木) 午前 11:34 [ ピッピ ]
ピッピ様★潟や浦(ラグーン)というのは天然の浄水機能を持っていますから、今から考えると勿体ない話です。ただ、僕には戦争直後の食糧難を慮ると当時の人びとを責めることはできません。八郎潟の側にお住まい(=基地?)のピッピ様から改めてお話を伺いますと、現況の改善をする必要性を強く感じました。京都盆地も亀岡盆地も太古は湖だったと言われており、自然現象か古代人による干拓かは分かりませんが、ご承知のとおり陸地になっています。京都盆地の地下には琵琶湖ほどの水量を持つ水源があると言われています。【続く】
2007/8/2(木) 午後 1:18
【続き】かつて京都府南部には湖並の大きさの巨椋池(おぐらいけ)がありました。この池周辺を行軍したために近江から山崎へ向かった明智軍の鉄砲が湿って秀吉軍に敗れたとも言われています。この巨椋池も近代になって干拓され、名残りは京都競馬場の池だけです。干拓によって魚等の巨椋池固有種が失われました。現在は、殆どが宅地になっています。人間と自然の共存はかように難しいものなのでしょうか?【了】
2007/8/2(木) 午後 1:25