昨日、書棚を整理しているときに立命館大学父母後援会が1994年に作成した『この歩み、立命館』という書籍の中に興味深い地図が掲載されているのに気づいた。 プロ野球セントラル・リーグ初代チャンピオンの松竹ロビンスの本拠地であった衣笠球場の位置がわかるものである。この地図の説明を引用してみます。 この頃(まったけ註:1945年〜1955年)の状況を知る上で極めて興味深い地図がある。それは、京都市土木局の発行した3000分の1の都市計画図である。この地図には、黒色で1923(大正11)年の町の様子が描かれた上に、朱色で1954(昭和29)年の状況が重ねられているのである。
(略) 衣笠山の麓には理工学部の校舎や衣笠球場が整備された様子がある。西大路には平野から南に向けて市電が延長された。西大路と馬代通との間は、区画整理が完成しているものの、家屋は散在するにすぎない。 衣笠球場僕が衣笠球場が存在したことを知ったのは、過去の阪神タイガースの全ゲームの勝敗と責任投手、開催スタジアムを記録した本を読んだときで、当時は京都に存在したスタジアムであったとことを知らなかった。それほど、京都の人の間でも話題にあがらないのである。 僕が(世界一素晴らしい)立命館大学へ進学したときに、同大学衣笠キャンパスの中央グラウンド(現在の創思館など)に野球場があったことと松竹ロビンスのホームグラウンドであったことを知ったのである。 『立命館大学学園通信RS』から転載 松竹ロビンスについても京都の人から話を聞いたことがない。 阪神タイガースや讀賣ジャイアンツ(大阪への対抗意識か京都には多い)、阪急ブレーブス及び近鉄バファローズのオールド・ファンは知っているが、松竹ロビンスを吸収合併したという形で継承した横浜ベイスターズのオールド・ファンも知らない。 京都の人は新しいものが大好きで、古いものには冷淡なところがある。新しいもの好きの京都の人が人気が高まったばかりのプロ野球に興味を持たないはずはない。 それとも、消滅した松竹ロビンスは、さっさと忘れてタイガースやブレーブス、バファローズを応援したのだろうか? 余りにも京都の街に松竹ロビンスの面影がない。バックナンバー *まったけ日記367―若き力で新・三都物語 *まったけ日記352―京の修学旅行、大坂の修学旅行― *まったけ日記224ー京都はどこまで京都か?【改訂】ー *まったけ日記217ー関西弁ちゃらんぽらん(3)― *まったけ日記202ー関西弁ちゃらんぽらん(2)− *まったけ日記201−関西弁ちゃらんぽらん(1)ー *まったけ日記190ー京都ベンチャーズ− *まったけ日記188ー甦れ!京都市電− 注目ブログ *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ ご案内 *京都亀岡国際秘宝館・本館 |
関西独立宣言
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おお、すごいものがあるんだね〜
戦後ですか〜
2008/9/25(木) 午後 9:40 [ oki雪だるま ]
oki雪だるま様★いつもコメントありがとうございます。
京都にプロ野球チームがあったとは驚きでしょう!期間は戦後直後の数年程度(しかも、途中で名目だけのホーム・グラウンド)しかありませんでした。
もし、存続していたらセ・リーグで関西2球団になっていたから、プロ野球の歴史は大幅に変わっていたと思いますよ。
2008/9/26(金) 午後 11:02
内緒コメント様★京都亀岡国際秘宝館へようこそお越しやす。
なかには、過激なタイガース・ファンもいますが、大丈夫ですよ。
傑作、ぽち!ありがとうございます。
2008/9/27(土) 午前 9:36