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我が街、亀岡は誰が何(田舎)と言おうと京都府内であり、千年の都「京都」に隣接した街です。それゆえに亀岡で生誕した著名な歴史上の人物が数多くいます。
例えば、丹波康頼や春日局、山脇東洋、円山応挙、石田梅岩、立命館大学の創立者である中川小十郎・・・。
亀岡市がホームページ等で紹介する亀岡ゆかりの人物を列挙すると、上記の人物の他に、足利尊氏、源頼政、那須与一、岡部長盛、前田玄以、安倍清明、源義経、細川ガラシャ、日奥、文覚、角倉了以、藤堂高虎、一遍、一絲文守、村上武次郎、蓮如、矢部卜斎、三輪田真佐子、北村龍象、松平忠晴、並河成資、田中源太郎、出口王仁三郎と錚々たる人物の名が並びます。
これらの人物のうち武家の人物の名を見ると京都から老ノ坂峠を越えると直ちにて辿り着く土地であることから、
『歴史に翻弄された街』
であることが御理解いただけると思います。
かの司馬遼太郎は、『街道をゆくー丹波篠山街道ー』で出口王仁三郎についてこう記しています。
「かれは光秀以来もっとも著明な亀岡城主であったが、かれもこの亀岡城趾を買いとってここに本拠を
すえたとき、天下何するものぞという気分が一瞬でもおこらなかったとすれば、かれに詩的想像力が
なかったということになる。(司馬遼太郎『街道をゆく4洛北諸道ほか』朝日新聞社,1978年)」
確かに、そのとおりかも知れません。
足利尊氏は、篠村八幡宮(篠町)で鎌倉幕府に対して旗揚げを老ノ坂を越えて京都の六波羅を攻撃しました。
明智光秀は、丹波亀山城から老ノ坂を越えて京都へ向かい本能寺にある織田信長を討ちました。
豊臣秀吉と徳川家康は丹波亀山城を警戒して、一族や普代の家臣を城主にしました。徳川幕府に至っては、明智時代は五十五万の石高の拠点であった亀岡盆地を代官領で切り刻み三万から五万の石高の城にしました。
亀岡市の紹介するゆかりの人物の中で著明な丹波亀山城主であった名がありません。関ヶ原の戦いで西軍から東軍へ寝返った小早川秀秋です。
きっと、皆様は思われるでしょう「謀反人」ばっかしやないかと・・・。確かに、日本史に詳しい友人からは、そのように冗談を言われたことが何度もあります。
さて、戦国時代もののNHK大河ドラマのうち「本能寺の変」は、殆どがこの季節に演出されます。やはり、今年の『功名が辻』でもそうでした。
歴代の大河ドラマで、数々の「本能寺の変」を御覧になられた方も多いと思います。今回の坂東三津五郎さん演じる明智光秀の「本能寺の変」で、皆さんはどのように感じられたでしょうか。
「まったけ日記」1〜50は、こちらまで「 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html 」
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