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近年になって各出版社から新書が続々と発売されています。毎月、書店には多数の新書が並び「新書戦争」といわれるほどになっていると聞いています。
僕が新書を初めて手にしたのは中学生の頃で、岩波ジュニア新書でした。進学した高校は、開校したばかりで図書室の本棚には余裕があり、新たに発売される新書がそのスペースを埋めて行きました。
当時は、「新書」といえば岩波書店(岩波新書、岩波ジュニア新書)、講談社(講談社現代新書、ブルーバックス)、中央公論社(中公新書)の三社が出版している書籍という印象でした。
高校生だった僕にとって、岩波新書は「新書」の中でも「格」のようなものを感じており、月刊誌を読むような感覚で図書室で借りて読んでいました。
岩波新書は、前の戦時中に刊行されたものですから、やはり「新書」のパイオニアという印象があります。いわゆる、「赤版」が刊行されて以来のもので、戦争中一時中断されたものの、戦後には、「青版」、「黄版」を経て、現在の「新赤版」の刊行に至っています。
しかし、本年4月からは装丁を変えました。キャッチコピーの「変わりますが、変わりません。」を知ったときには、岩波書店の危機感を覚えました。
今、思い付くままに書きますと、「集英社新書」、「文春新書」、「新潮新書」、「平凡社新書」、「ちくま新書」、「光文社新書」、「PHP新書」・・・、と数多くの出版社から刊行されています。
さすがの岩波書店も微妙な変化をせざるを得なかったものと感じます。
近年のベスト・セラー活字書籍を見ますと「新書」が上位を占めています。これは、読者の知的好奇心が向上したのでしょうか?それとも、「新書」がお手軽な書籍となったのでしょうか?
ある出版社の方と話をする機会があったときに、「新書戦争」の話題になりました。そこで、最近の「新書」の書名はキャッチ・コピーのようなものが多く、手にして目次をみると内容とまるで関係のないような印象を持っていると話しました。
すると、やはり執筆者がではなく、出版社で書名を考えていることが多いと聞きました。
そこで、やや供給が過剰になっている「新書戦争」の実態を知った気がしました。
夏目漱石『我が輩は猫である』の書名に関する漱石と高浜虚子のエピソードは、漱石の人物像が窺える興味深いエピソードです。
しかし、「新書戦争」に勝つために書名が執筆者の手許から離れるのはどうなんでしょう?
「まったけ日記」1〜50は、こちらまで「 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html 」
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