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 明智 光秀(1528?ー1582?)は、戦国武将の中でも卓越した戦略・能力を持っており、最も有能な人物の一人であったのは、まぎれもない事実です。居城の丹波亀山城(京都府亀岡市)を出発し、丹波と京都の間にある老ノ坂峠を越えて、桂川を渡河して本能寺の変で、織田信長を破りました。
 しかし、水色桔梗の旗が天下を獲ったのも束の間、山崎の合戦で羽柴秀吉(豊臣秀吉)の軍勢に破れ去りました。
 現代における、明智光秀の評価は「謀反人」のイメージがつきまとうが、「五十五年夢」を賭けた戦国武将の一人です。
 しかし、歴史は勝者によって残されるため、余りに有名な戦国武将ですが、その人物像は多くの謎に包まれています。今日は、明智光秀が残したとされる言葉により人物像に迫りたいと思います。

明智日向守が云ふ 仏の嘘を方便と云ひ 武士の嘘を武略と云ふ 土民百姓はかわゆきことなり

江村専斎『老人雑話』

人を欺くために七十二の方法を深く体得し、学習したと吹聴した

ルイス・フロイス『日本史』

 光秀の武将としての合理的且つ冷徹な性格を記したものとされています。
 宣教師フロイスは信長を贔屓とし光秀を嫌っていたと言われていますので必ず真実を伝えるものとは言えません。また、『老人雑話』は江村専斎の備忘録のようなもので、創作された箇所が多く含まれており史料としては良質なものではありません。
 『老人雑話』の「土民百姓」以下は、光秀の民政家としての側面を表していると言われています。

われならで誰かはうゑむひとつ松 こころしてふけ志賀の浦かぜ

『常山紀談』

 織田家中で光秀は最初の城持ち大名になりますが、近江坂本城(滋賀県大津市)を築いたときに記したとされる和歌です。しかし、『常山紀談』は良質な史料でないとされています。

九重のうちさとさへをき東かな たびとしきかば待やこがれむ 光秀

咲つづく花の梢をながむれば さながら雪の山かせぞ吹 光秀

「見花」蜂須賀氏旧蔵

 光秀のものとされる和歌です。光秀は教養ある武将とされており、和歌のほかは連歌では里村紹巴、茶道では堺の豪商津田宗及、公卿で吉田神社の神主であった吉田兼見と親しかったと言われています。
 兼見の日記『兼見卿記』が、光秀の人物像を伝える最も良質な史料の一つですが、本能寺の変の起きた天正10年(1582年)のみは元旦から本能寺の変前後までは書き直され正本と副本が伝えられています。
 書き直す前の正本が史実を伝えているとするの考えが主流となっています。

益体もない

『老人雑話』

 丹波平定後に光秀は、丹波国桑田郡(京都市右京区、合併前は京都府北桑田郡京北町周山)を城を築き周山城と命名します。中国の殷王朝を滅ぼした周王朝に見立てたと噂され、秀吉が光秀に真意を質したときにこのように答えたとされます。

既被召出瓦礫沈淪之輩、剰莫太御人数被預下

『明智光秀家中軍法』

 これは、光秀が定めた軍法の軍法末尾の一文です。この軍法で織田家中で現存する唯一の緻密な軍法と言われ、本能寺の変のちょうど一年前の天正9年(1581年)6月2日の日付になっています。「自分は路傍の石ころのような身分から召し出され今日莫大な兵を預けられる身となった」と信長に対する忠誠が記されています。
 このように家臣に厳しい軍律を課す一方で、光秀は明智家菩提寺である西教寺(滋賀県大津市坂本)に戦没者供養米を寄進した文書が残されています。光秀の家臣に対する心づかいがわかります、光秀は山崎の合戦まで、ただ一人の家臣に裏切られることはありませんでした。

ときは今 天が下しる 五月哉

『愛宕百韻』

 本能寺の変直前に、中国出兵を命じられた光秀が愛宕神社(京都市右京区)を参詣をしたときに、里村紹巴らとともにした余りに有名な連歌『愛宕百韻』の発句です。
 光秀が挙兵の心情を吐露したものとされますがそのような大事を洩す人物ではないと思われます。
 なお、光秀が亀岡から愛宕参詣した道は、今でも「明智越え」と呼ばれています。

敵は本能寺にあり

頼山陽「本能寺」

 時代劇等で必ず登場する台詞ですが、江戸時代に『日本外史』を書いた歴史家・儒学者の頼山陽 の創作した漢詩の一部で史実ではありません。

 本能寺溝幾尺  (本能寺溝は幾尺なるぞ)
 吾就大事在今夕 (吾大事を就すは今夕に在り) 
 藁粽在手藁併食 (藁粽手に在り藁併せて食ろう)
 四簷梅雨天如墨 (四簷の梅雨天墨の如し)
 老坂西去備中道 (老の坂西に去れば備中の道)
 鞭揚東指天猶早 (鞭を揚げて東を指せば天猶お早し)
 我敵正在本能寺 (我が敵は正に本能寺に在り)
 敵在備中汝能備 (敵は備中に在り汝能く備えよ)

汝ハ山崎之案内を能知たり

小瀬甫庵『太閤記

 光秀が山崎の合戦で家臣の松田太郎佐衛門政近に天王山(京都府乙訓郡大山崎町)進出を命じたものとされるものです。しかし、史料として『太閤記』が良質でないため史実ではないものとされています。

順逆無ニ門 大道徹心源 五十五年夢 覚来帰一心

『明智軍記』

心しらぬ人は何とも言はばいへ身をも惜まじ名をも惜まじ

真書太閤記六編巻之十五「明智光秀坂本へ帰る事」

 光秀の辞世とされるものです。
『明智軍記』は、江戸時代元禄年間に当時から風聞していた「光秀=天海」説を否定すること目的に作成されたとする説もある軍記物語です。真書太閤記も良質な史料でありません。
 この光秀のものとされる辞世に何を感じられますか?

※ 「言行録」としながら光秀のものとされるのは『明智光秀家中軍法』、『愛宕百韻』しかありませ ん。さらに、『愛宕百韻』についても、里村紹巴によって書き直された等の諸説があるうえに、様々な 解釈があります。歴史とはかように難しいものであります。

 
結論 明智光秀とは何者かさっぱり分かりません(笑)

参考文献:
 高柳光寿『明智光秀』吉川弘文館,1958年
 桑田忠親『明智光秀』講談社文庫,1983年
 二木謙一編集『明智光秀のすべて』新人物往来社,1994年
 小和田哲男『明智光秀 つくられた「謀反人」』PHP新書,1998年
 『歴史群像シリーズ 戦国セレクション 俊英 明智光秀』学研,2002年
 高柳光寿・竹内理三編集『角川日本史辞典』角川書店,1966年
 亀岡市老人クラブ連合会『ふるさと 亀岡乃知恵』1982年
  『開館5周年記念特別展 明智光秀と丹波・亀岡』1990年
  雑誌『歴史と旅1998年11月号 明智光秀とは何者か』秋田書店

写真:本能寺へと出陣するまったけの前世(亀岡中納言言卯太郎光輝,中納言は僭称)於:丹波亀山城下 

まったけの『珍説・明智光秀公手記』上 http://www.geocities.jp/f4_ttm/a_shuki.html
まったけの『珍説・明智光秀公手記』下 http://www.geocities.jp/f4_ttm/a_shuki2.html
まったけの明智光秀公都隣問答 http://www.geocities.jp/f4_ttm/akechimondou.html
時代劇「明智光秀」歴代キャスト一覧表 http://www.geocities.jp/f4_ttm/akechicast.html

※「まったけ日記」1〜50は、こちらまで http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html

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