今季、阪神甲子園球場での阪神タイガースのラスト・ゲーム。 その日に、一人の選手がバットを置いた。そのプレイヤーの名は、片岡篤史。 完全燃焼できた…さらば片岡が引退
阪神・片岡篤史内野手(37)が11日、甲子園球場内で会見し、今季限りでの現役引退を表明した。「ファンに応援してもらって完全燃焼できたと思います」と、悔いのない15年間の現役生活を振り返った。今季、甲子園最終戦となる12日の中日戦後には、引退セレモニーが催される。また引退後については、球団から打撃コーチ就任を打診されていたが、解説者として外部から野球を勉強する道を選んだ。 涙はなかった。表情もいつもと変わらない。ただ、口にした言葉には重い気持ちを込めた。「やってきたことに悔いはない。FAで来て結果を残せなくて、つらいこともあったけど大きな5年間。これから歩んでいく人生に生かしていきたい」。タテジマに袖を通してから流れた日々を思い返しながら、バットを置くことを決断した。『デイリースポーツonline』2006年10月12日 日本ハム・ファイターズの主軸打者であった片岡篤史は、2001年にFA宣言をした。人情の厚い片岡はファイターズへの残留か、子どもの頃の憧れの阪神タイガース移籍かで大いに悩んだ。 阪神タイガースは4年連続の最下位のシーズンを終えたばかりだった。さらに、夫人の逮捕による野村克也監督の辞任で大きく揺らいでいた。 片岡は我等が阪神タイガース入団を決意して縦じまのユニフォームに袖を通した。長期低迷に嘆くタイガース・ファンにとっては救世主だった。街で、片岡に土下座して移籍を頼んだファンも現れたぐらいだった。 2002年のシーズンは闘将・星野仙一を監督に迎え、片岡の入団とともにタイガースが生まれ変わる期待があった。しかし、片岡は成績を残すことができなかった。 シーズン・オフ、ベテラン選手であるにも関わらず、片岡は若手に混じって秋季キャンプに志願して参加し猛練習を行う。 そして、2003年のシーズンに本来の力を発揮する。 5月9日、横浜スタジアムで濱中、アリアスとともにレフト・スタンド三連発。6月15日の讀賣戦、サヨナラ・ヒット。9月15日の優勝を決めた日の同点ホームラン。 片岡はこのシーズンに、チーム3位の5度のヒーロー・インタビューに立つ。2003年のシーズンを振り返った片岡は、尊敬するPL学園の先輩・ジャイアンツの桑田からホームランを放ったことが印象に残ったゲームとする。 翌年から故障に悩まされ、また、タイガースも選手層が厚くなったため出番が減少する。目立った活躍は2005年の日本記録まで一歩のところで届かなかった代打連続打席安打である。 阪神片岡引退セレモニーあいさつ
まず最初に、このような自分にこのような場を与えてくださった阪神球団、岡田監督、コーチ、選手、中日の選手、そして最後まで応援してくださった阪神ファンにお礼を言いたいと思います。ありがとうございます。日本ハムで10年、タイガースで5年プレーしました。日本ハムでは土橋、大沢監督に使っていただき野球人としての土台を作ってもらいました。 タイガースに来てからは、思うような成績を残せず何度も泣きながら球場を後にしました。高校時代につちかった気合と根性を前面に出して戦ってきましたが、もう限界です。夢に見た甲子園で8歳から始まった野球人生を終えるとは本当に夢のようです。これだけのファンの前で、終えることができた自分が幸せです。両親、家族、素晴らしい先輩、友、そして素晴らしい人生にしてくれた野球に感謝します。15年間、本当にありがとうございました。[2006年10月13日『日刊スポーツ』紙面から] あの余りにも弱かったタイガースに入団してくれた片岡に心から感謝したい。また、僕が甲子園観戦したときに必ず打点を稼いだことに感謝したい。ありがとう、片岡篤史! 小さな頃からの 夢を掴むため やってきたやってきた 我等が篤史関西魂見せてくれ 熱く燃えて吼えろ 日々新たにチャレンジ 片岡篤史今日の独り言 片岡はまったけと同じ京都府出身。彼の実家がある「一口」は何と読むと思いますか? まったけ日記84ー阪神タイガース、1,095日ぶりの連勝!&我等が篤史ー http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/6801182.html 文中敬称略 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
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2006年10月13日
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