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僕は、現在の日本社会に対して非常に危機感を募らせていた。
まずは、ネット社会から派生した若者の右傾化、所謂「ヘタレ右翼((c)宮台真司)」の増加。
そして、政権与党である自由民主党の総「タカ派」化である。かつての自民党は、改憲を党是としながらも「ハト派」更に護憲を主張する議員を含む寛容な政党であった。そして、「タカ派」の力が強まると「ハト派」の牽制がバネとなってバランスを保ってきた。
しかし、ついに事件が発生した。
加藤紘一代義士の自宅が放火されるというテロリズムが発生した。僕は、このニュースを初めて聞いたときに愕然とした、ついに起きてしまったと…。
僕が危機感を抱いたのは、最近の「ヘタレ右翼」の主張する手法である。彼らの多くが自分と異なる意見を認める寛容性が全くなく、さらに「左翼」とレッテルを貼るようになってからである。
この傾向には、僕ら「団塊ジュニア」世代の責任ではないだろうかと次第に問い詰めるようになっている。実際に、同じように考える「団塊ジュニア」世代の友人が多い。
「団塊の世代」は、自己主張の強さから、大学改革やベトナム戦争反対の反体制活動を繰り広げ、一部は新左翼となって全共闘運動など急進的な活動を行った。
一方、僕たち「団塊ジュニア世代」はモラトリアム期を全く沈黙してしまった。「団塊の世代」と比較して全く社会問題がなかったのか?
否、あった。
例えば、世界ではゴルバチョフ・ソ連共産党書記長の登場で始まったペレストロイカと東欧革命、ソ連崩壊や冷戦体制の崩壊、イラクのクウェート侵攻から始まった湾岸戦争があった。
国内では、国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(平成4年6月19日法律第79号)いわゆるPKO協力法の問題があった。
しかし、僕たち「団塊ジュニア世代」は議論をせずに沈黙してしまった。
社会問題に関わるゆとりが全くなかった。その背景には受験戦争、バブル崩壊による就職氷河期の始まり…。皆な、自分のことだけで精一杯で、青年期に「モラトリアム」が与えられていなかったような気さえする。
僕自身は、一体何をしたのだろうか?
僕の出身大学は「学生の自治」が尊重された大学であった。僕の初めての本格的な選挙権の行使は、大学の総長選挙であったとさえ思っているぐらいである。
PKO協力法が法案として国会に提出されたのは、3回生のときであった。学生自治会が主催した学生集会にも出席した。しかし、空席が目立っていたのが印象的であった。
学生集会は、主催者側がPKO協力法案反対を全会一致で可決しようとしていた。出席している学生は、単なる暇つぶしか好奇心だけでいるような雰囲気だった。
法案反対に反対意見を表明したのは、僕と一緒に出席していたサークルの先輩の二人だけだった。
出席していた学生は全く意志を表明しないだけでなく、裁決に当たっても保留か又は全く挙手もしなかった。
僕たち「団塊ジュニア世代」が、社会に対して影響を与えたものの一つにニュー・アカデミズムがあった。
しかし、それは浅田彰や柄谷行人、中沢新一等の著書を脇に抱えてキャンパスを歩いたら格好いいというファッションに過ぎなかったように考える。
そして
モラトリアム期間の最後になってオピニオン・リーダーとして支持をしたのが『ゴーマニズム宣言』を書いた漫画家・小林よしのりであった。
今となっては、小林について改めて説明する必要もないと思う。
僕たち「団塊ジュニア世代」は、結果として現在の「ネオコン・ポピュリズム」の風潮の種を蒔いていたのである。
たまに、学生時代の友人と再会するときがある。もちろん、「団塊ジュニア世代」である。
現在の日本社会の危機感を友人に対して語った。そして、彼が発した言葉に愕然とした。
「お前、いつから『左翼』になったんや。」
なお、PKO協力法に基づき、自衛隊カンボディア派遣が宮沢改造内閣の閣議で検討したとき一人の大臣が毅然として反対を表明して席を立った。
誰あろう、当時は郵政大臣だった小泉純一郎総理であった。
今日の独り言
ホンマは「団塊ジュニア」と呼ばれるのんいややねん…。
「まったけ日記」1〜50は、こちらまで「 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html 」
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