明日からは「暦のうえでは、立春を迎えたとはいえ寒さ厳しい折・・・。」という挨拶の枕言葉が多くなる季節です。 立春の前日が節分なわけで、今年も「巻寿司」の丸かぶりと豆まきはなされますでしょうか? 本能寺の変と大江山の鬼退治 源頼光とその4人の家臣は頼光四天王(筆頭の渡辺綱(=源綱)や坂田金時(=金太郎)、卜部季武(=平季武)、碓井貞光(=平忠通))は、『大江山の鬼退治』に登場する酒呑童子を始めとする数々の鬼退治伝説で知られている。
一般的には、酒呑童子の住んだという大江山は、京都府福知山市大江町(旧加佐郡大江町)と思われがちである。 しかし、京都市西京区と亀岡市(旧丹波国桑田郡亀山)の境界にある大枝山という説もあり、かつては大江山とも記されていた。 大江山 いく野の道の とおければ まだ文も見ず 天のはしだて 一般的には、「大江山(福知山市大江町)や生野(兵庫県朝来市生野町、旧 朝来郡生野町)に行くのも遠いのに母の居る天橋立からの手紙も見ることができませんし天橋立にも行くことができません」と解釈されている。
しかし、京都からは大江山と天橋立は距離が変わらず、兵庫県の旧但馬国生野では天橋立より遠いので、現実的な解釈ではない。 そこで、「近くの大江山(老ノ坂峠、京都・丹波国(亀岡市)の境界)や生野(京都府亀岡市の地名)に行ったことがありませんのに、母の手紙も見ることができませんし、天橋立にも行ったことがありません。」と、解釈するのが妥当である。 京都と亀岡の間に位置する老ノ坂は、大枝山の訛ったものとも言われている。また、周辺には酒呑童子のものと伝わる首塚大明神もあり、近くには「王子」という地名も残されている。 明智光秀は丹波亀山城を出て老ノ坂(大江山)を越えて本能寺へと向かった。光秀の系譜は摂津源氏で、その起源は源頼光であり、興味深いものがある。光秀は丹波亀山を出て老ノ坂(大江山)を越えて本能寺へと向う。この辺りが『本能寺の変=鬼退治』になるものと思われる。
亀岡には篠村八幡宮という神社がある。ここは、足利尊氏(河内源氏)が北条家に反旗を翻す旗揚げをした場所でもある。摂津源氏である光秀が、重臣に平家を僭称する織田信長への謀反を打ち明けたと言われる条野(現在:亀岡市篠町野条)がすぐ側にある。足利尊氏(源氏)が北条家(平家)に対する挙兵をした土地であり、『本能寺の変=源平交替説』の根拠の一つになっている。 亀岡は豆まき発祥の地「鬼は内、福も内」僕が幼少で祖母が元気だった頃、一緒に豆まきをしたときの話である。祖母は、「鬼は内、福も内」と言った。 僕が「鬼は外やん。」と言ったが、祖母は「鬼は内の方が正しいんや。」とのこと。 ホンマかいなと思っていましたが、亀岡では正しいようです。亀岡の鬼伝説では、『酒呑童子の伝説』の他に、『桜石伝説』というのもあることを知った。 それは、昔むかし、亀岡に住んでいた田畑の仕事を手伝う善良な鬼がいたという。その鬼に感謝して豆を分けてあげたというのが「豆まき」の発祥ということらしい。 即ち、亀岡が節分の豆まきの発祥の地になるのです。 それが全国に伝わるうちに、「鬼は外、福は内。」と変わっていったようです。 皆さんも、今年は「鬼は内、福も内」と言って豆まきをしてみませんか? 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
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