昨日、リハビリを兼ねて久しぶりに京都市内へ出かけ、JR京都駅を八条口から出て少し歩いて見ました。 すると、「京都サミット(=主要国首脳会談)」誘致の垂れ幕を見つけました。目を凝らして、よ〜く見ると! 『2008年サミットを京都で』 これは、まだわかる。しかし、…。 『日本に京都があってよかった』との、サブタイトルを発見!久しぶりに京都市内の方の自尊心を見た! よ〜く、考えよう!振り返れば… 京都がサミット(=主要国首脳会談)誘致をするのは初めてのことではない。かつて、当時は株式会社 ワコール会長であった亡き塚本幸一株式会社 ワコール会長が京都商工会議所会頭を務めていらしたときにも、1986年に「京都サミット(=先進国首脳会談)」を誘致したことがあるが実現できなかった。
関西でのサミット誘致は、主要会場を京都と大阪で激しく争っている。 どちらかといえば、僕は大阪ひいきであるが、今回に限っては京都がよいと思っている。何故ならば、和風の『京都迎賓館』を建設したのが理由である。 京都サミット開催が実現しなければ、『日本の伝統文化』の紹介を目的の一つとして建設した『京都迎賓館』の意味が失われる。 しかし、いずれは…、 大阪サミットも実現してほしい! メルボルンはしばしばセカンドクラスの世界都市、と分類されることもあり都市部再開発を行っている。例えば、雑誌 "CITIES"に掲載された、イギリスランバラー大学のthe GaWC study group には、大阪、バンクーバー、プラハと並び「高度に発展した、マイナーな世界都市」と格付けされた(1999年)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
参考サイト*2008年関西サミットを京都へ *きょうと府民だより *2008年サミット関西・大阪誘致推進協議会 *2008年安心・快適なサミットを大阪へ *2008年関西サミット誘致委員会 お時間がありましたら…。 *まったけ日記242ー京都市の新景観施策− *まったけ日記224ー京都はどこまで京都か?【改訂】ー *まったけ日記215ー京都市、LRT実験【速報】ー *まったけ日記190ー京都ベンチャーズ− *まったけ日記188ー甦れ!京都市電− *まったけ日記237ー大阪大空襲から62年− *まったけ日記123―京の戦争、大阪の戦争ー *まったけ日記51ー大阪!オーサカ!OSAKA!ОСАКА!ー ご意見下さい *いわれひこ様BBS 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html |
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2007年04月17日
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日本ではあまり知られていませんが、今一度、軍靴の足音が聞こえようとする昨今、、、 [[attached(1,center)]] 黄海道、新川郡で3万5千383人の良民を虐殺したとされる惨劇を描いた「韓国での大虐殺」1951年作。 人類愛と同情心が描かれた衝撃的な作品という評価を受けているピカソの問題作「韓国での大虐殺」の絵です。 「ゲルニカ」と同じ手法の、明るい金属タッチの灰色を使い、主に黄色と緑色を組み合わせた作品です。何の罪もない犠牲者たちが軍の攻撃を前にして何もできないまま倒れて死んで行く姿を描いてると言われています。
これは 1950年北朝鮮軍の人民軍が38線を越して南侵,首都ソウルを掌握した後、朝鮮戦争に米軍が介入しようとして起きた惨状に、当時のピカソが受け衝撃を表現した作品だたと本人が回顧していたとされています。.
ロボットのような人間たちが裸になった男女の群れに向けて銃撃を加えて子供達が恐怖に駆られて走って逃げだす姿は、その時代を超越した現場ととらえたとも言われています。
共産主義を絶対的だと思う雰囲気が充満していた20世紀中盤フランスの知識人社会では朝鮮戦争に対して非常に歪曲された考えが支配的でした。
特に心底まで共産主義者だったサルトルは共産党機関紙を通じてアメリカ軍と韓国軍によるに「北侵説」を主張したし、南侵説が事実で確認された後にも間違いを認めなかったされています。
知識人社会の親共産主義的な雰囲気に同調したパブロ・ピカソは 1944年フランス共産党に入党。
旧ソ連は共産党員になった天才画家をけしかけ「韓国での虐殺」を製作するように命令します。しかし皮肉な事に、この絵はフランス共産党から「酷評」され、結局フランス共産党と袂を分かつ結果となりました。
この作品に不満を募らせたのは「アメリカ」でした。しかしフランス共産党もこの絵を評価しなかったのは殺人者の実体が「不明瞭」に表現された点のためでした。
北朝鮮側は朝鮮戦争当時米軍が 52日間新川を占領した最中、新川郡人口の 4分の1にあたる 3万5千383人の良民を虐殺したという宣伝をしています。この大作の中には戦争の残虐性と血なまぐさが描かれていますが、中世風の鎧を着た軍人たちが女と子供に銃口を向けて狙っているのは「反米的」だと言うに風に見えないと言う評価を受けていました。 一部では1950年 10月米軍の蛮行だと主張する「韓国での大虐殺」のモデルとなった事件がすぐ黄海道 "新川里虐殺"でした。
生前のパブロ・ピカソは、’’’「自分が共産主義者で自分の絵は共産主義者の絵」’’’という言葉で自分の政治的性向を語っていました。彼は共産党に資金を支援したしレーニン平和賞を受賞したしスターリンの肖像画を製作したりしていた、熱血共産党員だったのも事実です。しかしこのすべてのものは当時の状況で彼が画家として存立するための仕方ない行動だったろう推測されるのも事実です。そしてパブロ・ピカソは中立的視覚に特定の政治色を現わさないで反転というメッセージを作品で昇華させたのだとも言われています。
日本ではあまり知られていませんが、今一度、軍靴の足音が聞こえようとする昨今、パブロ・ピカソは「韓国での虐殺」を描いた時、「韓国'がどんな国なのかほとんど分からなかった」でしょう。.ただアジアの小さな国に内戦が起ったし大国の軍隊が攻めこんで良民虐殺をほしいままにしたという新聞報道に接してからは彼特有の感性ででこの野蛮な戦争に絶叫し、この絵を描いたのでしょう。朝鮮戦争の「韓国戦の大虐殺」は「ゲルニカ」以後、再度、暴力の残酷性に憤慨したパブロ・ピカソの姿を見せてくれた作品だたと言えるでしょう。 [[attached(2,center)]] 1937年、スペイン内戦で爆撃されたバスク地方の小さな村の惨劇を告発した「ゲルニカ」 [[attached(3,center)]] ノグン里事件犠牲者 韓国では戦後の8.15以降だけでも、国軍、アメリカ軍、官憲で国民(良民)虐殺が200万人とも言われています。AP通信は 1999年 9月 27日の社説を通して当時、韓国での生存者たちに対するインタビューと国家機密公開、アメリカ国防省文書などを調べた結果、ノグン里虐殺(も)事実で米軍が朝鮮戦争初期、避難民を含めた良民を「敵軍として扱え」(treat them as enemy)と命令を受けた事を明らかにしました。 ノグン里住民たちと生存者などをインタビューした結果によればノグン里虐殺事件は朝鮮戦争初期の 1950年 7月 26日後退した米軍が忠北永同郡黄澗面ノグン里京釜線鉄路と陸橋(双一を)中に永同邑主穀·スレッシュホールド里住民 500人余りを 「避難させてあげる」と集めておいてムスタング戦闘機と機関短銃で無差別虐殺した事件です。当時米軍は避難住民たちを京釜線鉄道に集めるように命令し、ムスタング戦闘機を動員,機銃掃射したし、引き続き鉄路下陸橋(ノ−グンサンググル)で待避した住民たちに29日夜明けまで機関銃を乱射し、良民400人余りを無差別射殺した事件です。 虐殺に関与した米軍は 7月 20日頃、米軍第24師団と任務を交代し、米軍第1機甲師団、第5連隊だったと遺族たちは証言しています。 最近にはイラクでアメリカ海兵隊員が年寄りを含んだ民間人を無差別攻撃し、殺害する事件が続発しています。戦争に参加する軍人たちは大部分が20代の若者達。そして長引く戦争によるストレスが性格を凶暴にし人を殺す事に慣れてしまい、相手が軍人、民間人に関わりなく無差別で殺害すようになると言われています。ノグン里でも、そしてベトナムでそうでした。イラクでは現在こんな惨劇が毎日、起っています。政権指導部や軍首脳の野慾によって、どれだけ多くの良民が犠牲になってるか、そしてそれに支援をしている自衛隊。国連の主要国がイラクから撤退している最中、日本だけはアメリカ追従に一層拍車をかけている事実を「仕方ない」と慣れっこにならないように声を上げないと。「黙認はは承認」ですね。そんな人間にだけはなりたくないと思っています。
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