塾講師にて…学生時代、僕は進学塾では国語と社会の講師を務めていた。歴史の授業ではテレビ・ゲームの影響からか中国の三国時代と日本の戦国時代の授業になると好奇心が高いが、受験では出題の少ない時代である。しかし、子どもたちの歴史への興味を失わないようにするには、ある程度の時間を使っていた。 先生、誰が一番、偉かったの?毎年、子どもたちの一人からは必ず最も優れた戦国武将は誰なのかと質問がある。 僕は戦国時代とは、簡単に言えば、毛利元就、武田信玄、上杉謙信、織田信長、足利義昭、豊臣秀吉、徳川家康そして明智光秀の国取り合戦であると説明する。 さらに織田信長、足利義昭、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康の何れが天下統一をするかである。 徳川家康>豊臣秀吉>>明智光秀=足利義昭>>織田信長と、書いていた。さすがの亀岡でも子どもたちでもテレビやゲームの影響で信長の人気が高い。彼らは、光秀と義昭の下というのが納得いかないらしい。 信長は、十数年をかけてようやく美濃一国を征服した。「天下布武」の印章を使い始めるが、美濃を征服したことに浮かれて有頂天となったものとするのが、当時の信長の力を考えると妥当である。 その後、信長の版図が急速に拡大し始めるが、何があったのか?それは、光秀との『邂逅』と秀吉の『台頭』である。特に、光秀の画策により足利義昭を迎え入れたのが大きかった。 その義昭は御教書だけで武田、上杉、毛利、本願寺、浅井、朝倉等の勢力を動かし信長を翻弄する。 光秀は本能寺にて完璧に信長を討っている。信長は、光秀が謀反することを想像することもできなかったといえる無防備さであった。逆に、老の坂峠の向こうにある丹波亀山城に光秀がいるから安心していたのだろう。 光秀は「禿げ頭」だったのか?信長は光秀のことを「キンカ頭」、秀吉のことを「ハゲねずみ(最近の研究では「サル」は否定されつつある。」と呼んでいたのが知られている。 「キンカ」というのは、柑橘類の果物をさしていると考えられており、光秀が「禿げ頭」だとするように思われてきた。しかし、光秀が「禿げ頭」だった証拠は全くない。 しかし、最近になって面白い説が登場してきた。キンカ頭というのは、「光秀」の「光」の下の部分と「秀」の上の部分を合わせると「禿」となることからの信長なりの洒落という説である。 これが事実ならば、信長には少なくとも洒落のセンスだけは、あったようである。参考サイト *まったけの『珍説・明智光秀公手記』・上 *まったけの『珍説・明智光秀公手記』・下 *まったけの明智光秀公都隣問答 *時代劇「明智光秀」歴代キャスト一覧表 お時間ありましたら *まったけ日記286―「ことりばこ」「コトリバコ」は都市伝説ー *まったけ日記267ー「亀岡光秀まつり」と桔梗 *まったけ日記198−「明智光秀〜神に愛されなかった男」【論評】− *まったけ日記182ー京都丹波亀岡・明智光秀紀行 *まったけ日記179−「明智光秀〜神に愛されなかった男〜」 *まったけ日記147−明智光秀言行録− *まったけ日記68ー光秀様が信長に勝った。やったぜ、べいべえ!ー *まったけ日記66ー城郭再建考とくに安土城はいかが?ー *まったけ日記53ー赤星選手もとい「歴史を教える難しさ」には、ハンバーグとスフィンクスー」 *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ ご意見下さい *いわれひこ様BBS *京都亀岡国際秘宝館・本館 |
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2007年06月25日
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