きょうの小:大津、亀岡…なぜ今「小京都」に? 観光浮揚へ、広域連携 /京都全国の「小京都」を名乗る町が加盟する全国京都会議に今年度、京都市に隣接する大津市と亀岡市が加盟する。財政難や観光戦略の転換などで、同会議の加盟自治体数は減少する傾向にあるが、なぜ今さら「本家」の隣で「小京都」なのか。【田辺佑介】 ◇加盟地減り“本家”事務局ラブコール 全国京都会議には、松江市や広島県尾道市、岐阜県郡上市郡上八幡などの有名な観光地に加え、「小京都」でアピールしたい新興の観光地など計46市町が加盟している。 ピーク時の99年度には56市町だったが、財政難などを理由に年々減少。08年度には金沢市が「公家文化の京都と武家文化の金沢は根本的に違う」などを理由に退会した。同市の担当者は「京都とは距離的にも離れていて、観光客を共有できない」とも明かし、世界遺産の白川郷(岐阜県)など比較的近い観光地との連携を強化する戦略転換も背景にある。 一方、新たに参加する側はどうか。 亀岡市は、古代に丹波国府が置かれたと伝わり、戦国時代には明智光秀が築いた亀山城の城下町として繁栄した。大津市は、世界遺産の比叡山延暦寺や日吉大社などの神社仏閣があり、東海道の宿場町や琵琶湖岸の重要な港としてもにぎわった。 これまでも独自の観光戦略を進めてきた両市だが、観光客がここ数年頭打ちの状況が続く中、同会議事務局の京都市観光協会からの誘いを受けた。亀岡市商工観光課は「嵯峨野のトロッコ列車や保津川下りなど、嵐山とのつながりは深く、広域的な取り組みが期待できる」と参加を決めた。大津市のびわ湖大津観光協会は「京都に関心のある人に、大津をPRできる機会が増えれば」と、雄琴温泉などへの宿泊客の呼び込みも狙う。地域産業の一つとして観光は重要性を増しており、すぐ近くの「京都ブランド」を最大限に活用しようとの思惑だ。 事務局は今年度から、ホームページのリニューアルやツイッターによる情報発信の導入で、アピール力を強化しようと努力している。両市の加盟について「お互いのつながりをアピールしていきたい」と歓迎している。 ◇全国京都会議 1985年に26市町村で発足。加盟基準は、京都に似た自然景観や町並み▽京都との歴史的なつながり▽伝統的な産業、芸能−−のいずれかに当てはまること。加盟しなくても「小京都」を名乗ることは自由だが、加盟すれば同会議のホームページなどで紹介され、連携したPR活動ができる。【『毎日新聞』2011年5月27日】 僕は学生時代に小京都のガイドブックで亀岡市が京都府内でありながら、『小京都』であるのを知っていた。しかし、大きなメリットがないのと「ほんまもん」の京都の街に近すぎるのが、小京都が定着しないの原因であろうと勝手に考えていた。
ご案内しかし、実態は京都市観光協会から亀岡市へお誘いがあったとのこと…。時代も変われば、変わるものだ。 小京都と京都ゆかりのまち〜全国京都会議 京都府「東北太平洋沖地震義援金」 口 座:京都銀行府庁出張所 普通預金3171785
注目ブログ口座名義:京都府東北地方太平洋沖地震被災者義援金 ※ 京都銀行の窓口での振込の場合は手数料は無料です。 京都府健康福祉部福祉・援護課 TEL: 075-414-4569 FAX: 075-414-4615 Eメール: fukushiengo@pref.kyoto.lg.jp 【URL】http://www.pref.kyoto.jp/news/recruitment/2011/3/1300062429191.html *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ 注目署名活動 *明智光秀公を主人公とする大河ドラマの制作を!〜書名活動するなら『署名TV』 *記事が参考になりましたら、 をお願いします。ご案内 *京都亀岡国際秘宝館・本館 http://x6.hanamizake.com/bin/ll?07686840d アクセス解析 |
京都丹波亀岡観光
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最近、堅苦しい記事が多かったので「ぶれいくたいむ」ちょっと、自慢ネタ気味ですが、僕と一緒に写真を撮って下さった著名人との写真の一部を公開します。 これでも、ぼかあ、ミーハーなところがあるのです。 みなもと太郎先生知る人ぞ知る漫画家のみなもと太郎先生です。漫画『風雲児たち』の連載を30年以上も続けられ、最近では大河ドラマ『新選組!』の陰の原作者でも有名です。2004年に手塚治虫文化賞特別賞を受賞されました。 大阪の書店でサイン会が行なわた後で、喫茶店で先生と談笑したときに撮影したものです。みなもと先生はファンとの交流を大切にされているので実現しました。 撮影をしてくださったのは、みなもとファンの間でも有名なみなもとファンの功山寺さんです。 ますだおかだこれは、学生時代に「丹波松茸狩り」のアルバイト(=「まったけ」というハンドルネームの由来)をしていたときに、取材に来られたますだおかだのお二人と撮影したものです。 岡田さんは、気さくな方でした。この記念撮影をしようとしたとき、僕のカメラの調子が悪くなったのです。しかし、岡田さんが修理してくださいました。 増田さんは、前日も遅くまでロケがあったようで眠たそうにされていましたが、カメラの前では表情が変わるプロの芸人でした。 左から、松茸狩りの料亭「宮本屋」の社長、松茸狩りの名人・石井師匠、僕、岡田さん、バイト仲間、増田さんです。 松茸狩りの師匠は上方芸人の間では、ちょっとした有名人でタレントで国会議員の中村鋭二さんやチャンバラトリオのリーダーの山根伸介さんなどが弟子になります。 そのせいか、下ネタを連発した増田さんにご立腹で、岡田さんに宥められていました(さらに、現像した写真を見て思い出し、理不尽にも僕に怒りだした。その怒りは五日間も続いた)。 【当時の日記より】
ご案内・宮本屋ホームページ本日、ますだおかだの二人が朝日放送『街かどチャチャチャ』の取材に訪れた。僕はますだ・おかだの二人とスタッフが乗り込むロケバスへ案内して、社長と師匠、●●君が待つ山へと案内した。 岡田さんは気さくに話かけてくれた。増田さんは、ご機嫌ななめなのかと気になったが「昨日も遅くまでロケがあったので眠たいんや、ゴメンな」とのこと。しかし、ロケに入ると二人のリアクションの声が山にこだました。これが、芸人なのかと感心した。 ロケが終わると師匠が不機嫌だった。理由を聞くと「下ネタをしていた」とのこと。しかし、本当に腹を立てていたのは、自分が見つけていた成長途中の松茸を穫られたことと、バラエティ番組なのに師匠が松茸のウンチクを語りだしたのをツッコマれたことに違いない。 それに気づいたますだおかだの二人が懸命に師匠を必死に宥めているのを見ると芸人は大変だと思った。 http://www.miyamotoya.jp/ 徳山昌守(洪昌守)最後の一枚は、ボクシング・WBCスーパーフライ級の元世界王者の徳山昌守さんです。これは、共通の友人の結婚披露宴が終わったあとで談笑をしていたときのものです。 徳山さんが、大のタイガース・ファンと知っていたので、たまたま、持っていたレアなタイガース・グッズをプレゼントしました。 その後、電話で話したりしましたが、とてもいい人ですね。注目ブログ *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ ご案内 *京都亀岡国際秘宝館 |

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亀岡は街のあちこちで時代劇のロケが行われています。多くの俳優や関係者が亀岡の思い出を語っておられます。
丹波哲郎さんや吉田義夫さん、斬られ役で有名になった福本清三さんに若き日に『仕出し(=大部屋俳優とエキストラの中間のような方)』のバイトをされていた漫画家のみなもと太郎さん…。 中でもありし日の勝新太郎さんが「亀岡は故郷のようなもの。いずれ亀岡へ帰ってお墓を建てよう」と話されていたことを中村玉緒さんが朝日新聞のインタビューで語っていらっしゃいます。 我が父が幼少の頃は、亀岡はとんでもない田舎であったことが分かります。 何と我が家が時代劇のロケ・撮影班にトイレを提供していたぐらいで、名だたるスターさん(スタッフや大部屋の人たちは俳優さんをこのように呼ばれています)が用を足していたそうです。 今でも、亀岡でロケは行われていますが、住宅街そして学生街となった我が家周辺では行われていません。 父が見た時代劇のスターさんは、坂東妻三郎さん(田村正和さんのお父様)、高田浩吉さん、長谷川一夫さんをはじめとして、片岡千恵蔵さん、大友柳太朗さん、東千代之介さん、大川橋蔵さん、中村錦之助さん、高倉健さん、大河内傳次郎さん、嵐寛寿郎さん、市川雷蔵さん・・・と、日本映画史上に名前が残る錚々たる時代劇スターさんです。 中でも、片岡千恵蔵さんには「だっこ」をしてもらったりして遊んでもらったそうです。 また、ある女優(=●柳小菊)さんには「近づくな!」と言われたことを未だに根に持っています。 高倉健さんと勝新太郎さんとは、一緒にロケ弁当を食べたそうです。 僕も多数の時代劇のスターさんを見ました。自宅から大学へ通う途中に、京都太秦東映撮影所があります。そこで、撮影現場の後片付けや掃除のアルバイトをしたからです。 僕が見た時代劇のスターさんは、里見浩太朗さん、松山英太郎さん、若林豪さん、東山紀之さん、堤大二郎さん、畠田理恵さん、南野陽子さん、西村晃さん、松平健さん、福本清三さん(斬られ役の名人)・・・、と多数です。 中でも、堤大二郎さんと福本清三さんには「ご苦労さん」と声を掛けて下さいました。 亡き松山英太郎さんは素顔でお会いしたところ、全く普通のおじさんでした。見たことがあるけど・・・、知り合いの方かなあと思ったぐらいです。 笑い話は、僕が東山紀之さんと間違えられた話です。本当ですよ! スターさんの控え室の掃除を終えてほうきと塵とりを持って出たところ、東山紀之さんの出待ちをしていた数十名のファンのうち何人かの人が、僕に向けてカメラのシャッターを押したのです(笑)。 時代劇ファンの皆様、父と僕のどちらが羨ましいですか?お時間がありましたら…。◆京都丹波亀岡自慢 *まったけ日記270ー亀岡・大井神社と鯉のぼりをあげない街ー *まったけ日記267ー「亀岡光秀まつり」と桔梗 *まったけ日記240ー「脚なし幽霊」生誕の地・亀岡− *まったけ日記219ー亀岡、節分の豆まき発祥の地ー *まったけ日記165−口丹波の祇園祭「亀岡祭」 *まったけ日記161ー亀岡盆地の丹波霧ー *まったけ日記92ー「本能寺の変」と謀反人の街「亀岡」ー *まったけ日記65ー保津川下りと異人道ー ◆京都丹波亀岡グルメ *まったけ日記348―丹波グルメ番外編〜舞鶴港の松葉ガ二と伯父― *まったけ日記295―丹波ワイン― *まったけ日記280―京都・丹波の海の幸「鯖寿司」― *まったけ日記171ー幻の馬路大納言小豆(2)− *まったけ日記159ー丹波栗と馬路大納言小豆のおこわ− *まったけ日記154ー丹波の名菓「朝日堂」のもなかー *まったけ日記148−幻の馬路大納言小豆(1)とちょっこと阪神ー *まったけ日記57ー京料理と郷土料理ー ◆明智光秀 *まったけ日記267ー「亀岡光秀まつり」と桔梗 *まったけ日記198−「明智光秀〜神に愛されなかった男」【論評】− *まったけ日記182ー京都丹波亀岡・明智光秀紀行 *まったけ日記179−「明智光秀〜神に愛されなかった男〜」 *まったけ日記147−明智光秀言行録− ご案内 *みんなで作る知恵の詰まった環境ブログ *京都亀岡国際秘宝館・本館 |

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端午の節句端午(たんご)は5月5日に、男子の健やかな成長を祝い、祈る日本の風習。五節句の一つであり、端午の節句とも呼ばれる。そもそもは旧暦5月5日に祝われたが、今日の日本ではグレゴリオ暦(新暦)の5月5日に行われ、旧暦や月遅れの6月5日に少ないながら一部地域では行なわれている。端午の節句にちなみ、5月5日は、国民の祝日「こどもの日」になっている。 尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。菖蒲の節句ともいう。【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】 亀岡では、一部の地域で旧暦で節句を行う風習が残っていますので、まあ、ええか!大井神社(京都府亀岡市) 大井神社は、京都府亀岡市大井町にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。御井神・市杵島姫命・月読命を祀る。大堰川の鎮護の神として崇められている。
【歴史】 和銅3年(710年)、元明天皇の勅命によつて創建された。伝承によれば、大宝2年(702年)、御井神と市杵島姫命が亀の背に乗って大堰川を遡上し、保津の急流に乗れなかったので鯉に乗り換え、現在の亀岡市河原林町勝林島に上陸したという(その地にも同名の大井神社があり、同じ神を祀る)。 このことから、鯉が当社の神使とされ、当社の氏子は鯉を食べることを禁忌とし、端午の節句に鯉のぼりを上げることもない。 【祭事】 10月16日の例祭では、隣接する馬場で武者姿の氏子による競馬が奉納される。 鯉のぼりをあげない亀岡市大井町『大井神社とコイ』 亀岡市の国鉄山陰線並河駅近くに毎年、亀岡市のトップを切って秋祭り(10月16日)が行われる大井神社がある。呼びものは”駈け馬神事”。騎馬武者姿の氏子たちが、神社前約300メートルの馬場を威勢よく走り回る。貞観8年(866年)に始まったといわれる豊凶を占う伝統行事で、見物人も大変多い。この大井神社にはコイにまつわる興味深い話が伝わっており、地元ではいまもコイを神の使いとあがめている。 昔むかし、洛西嵯峨の松尾神社に五人の兄弟の神様がおられた。それぞれ個性が大変強く、自分の思うままに自由奔放に生きていたが、五人のうち木股命という神様は横着者だったため、ほかの神々に嫌われてしまった。あとの四人は、ひそかに木股命の追い出し策を相談し、桂川から海に流すことになった。ある日、木股命はムリヤリ、ミコシに乗せられ、山城久世の森へ連れて行かれ、桂川へドボーン。速い流れにどんどん下へ流された。 「無念!なんとかはい上がれねば」と木股命は水の中でもがき回った。そのときちょうど松尾神社の使いであるカメが通りかかった。これ幸いと木股命はカメに乗り、流れにさからって大堰川をどんどん上がっていった。ところが、保津峡の急流にさしかかったとき、カメではとても上りきれない。 木股命は一計を案じ、カメからコイに乗り移った。コイの背にのって、さか巻く急流を乗り切り、やっとのことで亀岡大井で岸にはい上がったという。この神様が大井神社の祭神といわれ、鯉明神とも呼ばれている。 このため地元の大井町では、いまでも、大功あったコイを捕らえると神罰があたるといって、捕りもしなければ食べもしないという。 地元の大井町並河、亀岡市職員飯田英雄さんは「昔は、コイが釣れるとびっくりして逃がしたり、大井神社にある池へわざわざもっていったものだ。料理屋へ行ってもまずコイは食べない、最も最近ではちょいちょい食べる人もいるが、ほんのわずかです。子供のころからコイを食べると腹痛を起こすと親から教えられていた」と話している。 また、大井町ではこの風習からか五月の節句にコイのぼりをあげず、新しく転入してきた人もこの風習にならっているという。このほか、こいの絵なども一切ダメで、大みそかのおおはらいには神社で全部焼いて処分するほど。 【出典:亀岡市老人クラブ連合会『ふるさと亀岡のちゑ』1982年】お時間がありましたら…。 *まったけ日記267ー「亀岡光秀まつり」と桔梗 *まったけ日記240ー「脚なし幽霊」生誕の地・亀岡− *まったけ日記219ー亀岡、節分の豆まき発祥の地ー *まったけ日記165−口丹波の祇園祭「亀岡祭」 *まったけ日記161ー亀岡盆地の丹波霧ー *まったけ日記92ー「本能寺の変」と謀反人の街「亀岡」ー *まったけ日記88ー父と僕の時代劇スターさん見聞記ー *まったけ日記65ー保津川下りと異人道ー |
今冬の様な暖冬には「怪談」が相応しいですね←(¬_¬)少しばかり無理のある枕詞でしたf^_^;) 日本の幽霊は、脚のないのが特徴です。これは、江戸時代の絵師で我が丹波亀岡の偉大な先人である円山応挙が初めて描いたものであす。 応挙が、障子越しに病弱であった妻の影姿を見て、脚のない幽霊を思い立ったとされています。 脚の部分は香や蚊遣りを炊いていますと、その煙で霞んで見えない事もあり、幽霊と言うより愛する病弱な妻を障子越しに鮮烈に瞼に焼き付いた姿を、写生を本領とする応挙が描き上げたものとの説が有力です。 応挙の育った亀岡盆地の秋冬は「白闇の世界」が如し霧が深く、直ぐ近くにいる人の足下まで見えなくなります。故郷で妻とともに暮らすことを望んでいた気持ちが表れていたのかとも思いたいです。 また、応挙の育った隣の街である丹波国桑田郡法貴(現:京都府亀岡市曽我部町法貴)は、妖怪「釣瓶落し」の伝説もあります。 円山応挙(1733〜1795年)は、江戸時代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く円山派の祖であり、写生を重視した親しみやすい画風が特色である。姓を丸山と誤表記する例が多い。
1733年(享保18年)、丹波国桑田郡穴太(あのお)村(現:京都府亀岡市曽我部町穴太)に農家の次男として生まれた。穴太は、西国三十三ヵ所の札所寺院である穴太寺があることで知られる。(まったけ註:応挙は穴太寺の近くにある金剛寺で育ちました。)【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】 しかし、京都の木屋町界隈には、坂本竜馬や中岡慎太郎、佐久間象山、大村益次郎、伊東甲子太郎、横井小楠、池田屋跡から島田左近、宇郷玄蓄、本間精一郎、猿の文吉(ましらのぶんきち)、多田帯刀、大藤幽叟、住谷虎之介、原市之進、平岡円四郎までといった様々な人が幕末・維新期に暗殺されているのに幽霊をみたことがあらへんなあ ┐('〜`;)┌
今日の独り言 チャンス、お疲れ様でした。o(`へ')○☆必ず、統一後に朝鮮半島へ一緒に行こうぜ!忘れてへんな? お時間がありましたら…。 まったけ日記219ー亀岡、節分の豆まき発祥の地ー http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/27889421.html まったけ日記161ー亀岡盆地の丹波霧ー http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/21549531.html まったけ日記88ー父と僕の時代劇スターさん見聞記ー http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/7240415.html 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
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