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※ これは、バックナンバーです。訪問者様からのリクエストに応じて再掲載しました。
『まったけ日記46の2−未来からの今昔物語ー』【2005/12/15 00:44:07】
第2章 19世紀から20世紀までのロシアと言ふ国
今は昔、ロシアと言ふ国は不思議な国でした。19世紀から20世紀までの100年近くの間にロマノフ朝ロシア帝国、ソヴィエト社会主義共和国連邦、ロシア連邦共和国と目まぐるしく国の名前を変えました。特に、ソヴィエト連邦社会主義共和国は、ロシア民族だけでなくバルト三国や中央アジアの国々も一つの国家にしていたぐらいです。
それは、ロシアという国全体が「革命」と言ふ時代であり続けた時代といっても過言ではないでしょう。
19世紀以降のロシアには、いくつも不思議なことが起きました。特に、その不思議な文化の興隆もその一つでした。19世紀にはドストエフスキー、トルストイを始めとしてべリンスキー、プーシキン、ツルゲーネフ、ゴーゴリ、チェーホフ等の世界中に影響を与える独自の文学が花開きます。
また、1917年の十月革命直後には、映画ではエイゼンシュタイン、絵画ではシュタインブルク兄弟やシャガール等のロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる芸術が興りました。
それらの芸術的側面からみた1905年からの1917年までに至るロシア革命期とは、一体なんであったのだろうと多くの人々は感じ、様々な研究を試みていました。
ロシア革命とは、キリスト教、マルキシズムそしてイスラームという、21世紀に至るまでに世界の思想・哲学界を支配する対決の場であったのではないのかと思われます。
まず、キリスト教ですが、ロマノフ王朝は「第三のローマ」を自負していたわけですから、当然、キリスト教の守護者であったとおもいます。そして、そのキリスト教は、東ローマ帝国の流れを汲むギリシア正教でした。
しかも、ローマ・カソリックやプロテスタントやその他の宗派よりヨーロッパ・キリスト教(注)の原型をもっとも受け継いだものであったと思うのです。
次に、レーニンやトロツキーは、マルクス・エンゲルスの思想の代弁者であったと思ふのです。このことについて、トロツキーはユダヤ教の代弁者でもあったと言ふ人もいましたが、残されたトロツキーの著書を読む限り、やはり忠実なマルクス・エンゲルの後継者であったと思ふのです。
そこで、十月革命でキリスト教とマルキシズムとの衝突が起こり、マルクス主義の代弁者たるボリシェヴィキが一時的な勝利を収めます。
最後に、イスラームですが、ロシアを掌握したボリシェヴィキがソ連邦を形成し、イスラーム圏の一部を版図に収めます。
しかし、それ以前からロマノフ朝ロシア帝国とイスラームの大国・オスマン・トルコ帝国の対決がありました。これは、単なる不凍港やボスフォラス海峡をめぐる争いではなく、キリスト教とイスラームとの対決、トルコ人のイスタンブールそしてロシア人が「ツァーリ・グラード」と言ふ聖地を巡る争いではなかったかと思ふのです。
ソ連邦に話を戻しますと、トロツキーの理想とした国際共産主義革命とイスラームとは相容れないものであったと思ひます。そのことに、スターリンは気付いていたのではないのでしょうか。ソ連邦末期のアフガニスタン侵攻は、最後のマルキシズムとイスラームとの対決ではなかったのかと今では思ふのです。
結果としては、1992年のソ連邦解体によってイスラーム圏の共和国が独立しました。
十月革命後に「ソヴィエト宮殿」の建設が決定されていた地に、20世紀中に「救世主キリスト教会」が復活したのです。
これらの歴史を思ふに、19世紀のロシア文学やロシア・アヴァンギャルドの興隆が朧げながらに分かるような気がするのです。
しかし、ソヴィエト連邦ことソヴィエト同盟の歴史は、75年になります。それは、一人の人間の寿命に限り無く近い年月です。「人類の壮大なる実験」と称する人がいましたが、人間の生命の尊厳に対する畏敬の念を欠けた表現に思ふのです。その「実験」の犠牲になった人間があまりにも多すぎると思ふからです。
(注)エチオピアやコプト教等のアフリカのキリスト教宗派があるのでこう表現しているものと思われる。
※「まったけ日記」1〜50は、こちらまで「http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html」
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