LRT導入へ 実験バス走る京都市、今出川通で初実施京都市が導入を検討している次世代型路面電車(LRT)の交通社会実験が24日、今出川通の北野白梅町−出町柳間4・1キロで、初めて行われた。路面電車に見立てた実験バスが道路中央部に設けられた専用走行車線を走り、一般車両や沿道にどのような影響が出るのか調べた。 京都市は公共交通機関優先のまちづくりのため、四条通などを循環する「環状線」と「今出川線」の2路線でLRT導入を検討している。 午前10時、市職員が今出川通の車道の中央部にカラーコーンを置き、一般車両を通行禁止にする実験バス専用走行車線を確保。バス8台が10分間隔で東西方向に往復した。途中の北野天満宮前と烏丸今出川に停留所を設け、約300人のモニター客が乗り降りした。 モニター客の竹下豊子さん(78)=上京区=は「時間はバスと変らないように感じた。付近が渋滞して気の毒に思ったが、ゆったりと乗ることができました」と話した。 この実験で一般車両の通行が片側2車線から1車線に減少したため、信号待ちの車の長い列ができた。烏丸今出川交差点では地元の室町自治連合会が「今出川線」導入に反対する抗議活動をした。 市は今出川通や北大路通、丸太町通の10カ所での交通量を調べるとともに、沿線住民にもアンケート調査し、導入の是非を検討する。(出典:『京都新聞』1月24日13時57分配信) 【おまけ】
京都市の西隣に位置する京都府亀岡市(当時の人口、95,569人)が、広報No.429『キラリ☆亀岡』(平成11年1月1日)で、桂川右岸利用計画策定委員会(委員長湯浅定夫大阪商業大学)が、当時の谷口義久市長に「亀岡刷新プラン」とした報告書が提出されたことを公開しました。 市内交通網の整備に、LRT又は新交通システムの導入を検討するように報告されています。 ↑ 悪い話ではないのだが、夢のまた夢しかし、将来においては人口が100千人程度の都市でもLRTとまでは行かなくでも、トロリー・バス等は検討すべきじゃないだろうか? ロシア・東欧では小さい街にも路面電車は走っています。 今日の独り言 ようやく、ここまで(T_T) 参考サイト【URL】
京都市情報館「新しい公共交通システム」 京都市都市計画局交通政策室「LRT交通社会実験のお知らせ」 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html |
まったけ鉄道クラブ
[ リスト | 詳細 ]
難しいテーマですから原則として匿名やむなしと思います。 しかし、名を明らかにしての御来館の方の全てが納得できる論拠、最低でも複数の論拠がないと判断した場合は直ちに且つ断りなく削除します。 また、ご面倒ですがmixiからご来館の方や僕の友人でURLをお持ち出ない方は、その旨を記して下さい。 まったけ 拝
アクセス解析
Q.47都道府県のうち鉄道がないのはどこでしょう? 僕たちが子どもの頃に学習雑誌の付録のクイズにこんな問題が掲載されていたように思う。沖縄県が正解であったが、振り返ると余りに沖縄県民の皆さんへの配慮が欠けるクイズだったと思う(少なくとも京都人なら無茶苦茶怒るの間違いおまへん)。 ご承知のとおり、沖縄県には「ゆいレール(沖縄都市モノレール)」が開通して鉄道が設置された。(なお、建設前に沖縄県庁に電話照会したら、1時間程熱心に教えて下さいました。続く話も、その電話で知りました。ついでに、上司には怒られました。)
いや正しくは沖縄の鉄道が復活したと言ったほうがよい。 添付の地図のとおり、かつての沖縄県には沖縄県営鉄道や沖縄電気が運営する路面電車さらには、沖縄軌道、そして糸満馬車軌道と沖縄島南部を中心に鉄道網が発達していたようである。 沖縄には『軽便鉄道節』という沖縄県営鉄道を唄った歌があったようである。 軽便電車乗てぃ まーかいが 那覇ぬ市ぐわぬ 樽皮屋 買うてぃ 砂糖代 だてーん儲きてぃ 家ふちゅん シタイ! あひ小 ちばりよ! 鳴ゆる汽笛ん アフィー!アフィー! 沖縄電気の路面電車と糸満馬車軌道は昭和初期に廃線となったようですが、他の鉄道は「沖縄戦」で消滅したという話なので戦争の傷跡は人命にもインフラにも計りがたいものがあったと思う。
唐突に沖縄県民の皆さん、その説は無礼を働きました。すみませんでしたm(_ _)m実は、大学生のときに10人程で沖縄島を訪れたことがあります。交通手段はレンタカーでした。 沖縄を満喫して那覇空港近くでレンタカーを返しに行くときでした。片側3車線の道路に差し掛かったのですが、何でか最も歩道寄りの車線にはクルマは全く通っておらず、他の2車線は全く自動車が動く気配がない。 アホな京都人の僕らは、「おお、この道すいてるやん!」と走りました。やがて、バス・レーンと分かりましたが、呑気なドライバーは「沖縄の人はバス・レーンを守るんやなあ。京都では考えられへん。偉いわ〜。」と言いながら、そのまま走りました。 そのとき、僕はハッと気がつきました。「沖縄は電車がないからみんなバス・レーンを守るんちゃうんちゃうか?」その瞬間、車内は凍りつきましたw(☆o◎)w。 車線に戻ろうとした。「けど、怒られるんちゃうんちゃうかなあ?」と…。そこで、助手席に乗っていた僕に皆な、「謝りに行っていれてもらえ。」となった(^_^;) (何で、僕やねんと思いながら)こわごわと謝りに行ったら、「お兄さん、どこから来たの?京都?沖縄は電車がないから。でも、知らないのだから仕方ないさ。今度は新婚旅行で沖縄に来てよ(※)」と笑顔で車線に入れて下さった。 日常茶飯事のことなのかなあ?と思いながら、おじさんの優しさに感謝しました。参考文献と図の引用:宮脇俊三『失われた鉄道を求めて』文藝春秋,1992年 (注)沖縄の人と別れるときは、必ず「今度は新婚旅行で!」と、言われました。canさん、おにぎりさん、何ででっか? 今日の独り言 何で謝りに行くときはいっつも僕やねんo(`へ')○☆ 宜しければ… m(_ _)m まったけ日記57ー「ジャパニーズ・スープ」そして京料理と郷土料理ー http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/2360619.html まったけ日記135―沖縄の歴史を知っていますか?―http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/18906323.html まったけ日記188ー甦れ!京都市電− http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/24780745.html まったけ日記206ー関西発「脱モータリゼーション」−http://blogs.yahoo.co.jp/f4_ttm/26974608.html 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
|
元来、関西の鉄道事情は厳しいものがありました。 関東地方では私鉄各社は、官設鉄道(旧国鉄)が路線がない地域にレールを敷設した。 しかし、関西では全く逆であった。国鉄に並行・競合するようにレールが敷かれたのである。なお、関西私鉄は鉄道事業だけでなく沿線開発をした。関西で都市化が進んでいない地域は、旧国鉄沿線である。 東海道本線・山陽本線(JR琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)の大津ー京都ー大阪(梅田)間は並行して京阪電車、大阪(梅田)ー神戸(三宮)間は、阪神電車・阪神急行電車(のち京阪神急行電車、更に今の阪急電車)、神戸ー姫路間は山陽電車。 大阪(難波)ー奈良ー京都(及び奈良ー名古屋)間は、関西本線(JR学研都市線)・JR奈良線に並行して関西電車(現 近鉄電車)、大阪(難波)ー和歌山間は阪和線に並行して南海電車。 今でも、神戸の三宮周辺では、露骨にJRと阪急電車が競争するかのように並行して走っている。 国鉄に対する関西私鉄の挑戦は、京都ー大阪(梅田)間に象徴される。 元々は、国鉄は淀川右岸、京阪は淀川左岸を住み分けて走っていた。しかし、京阪が新たに新京阪鉄道(今の阪急電車京都線)を興し、直線が多い高速路線を建設した。 さらに、東海道本線のスピードが一番落ちる山崎(京都府大山崎町)付近で線路を交差させ、新京阪電車の特急が国鉄特急つばめ号を追い越すパフォーマンスを演じることができるようにレールを敷設した。(関西人は、平気でこんなことをするのです (^_^;)) 国鉄時代は、京都から甲子園球場へ行くときは、運賃も安くて早い阪急電車で梅田まで出ていた。 そして、関西私鉄王国にJR西日本が敢然とスピードとサービスで対抗して、僕らも梅田までJRを使うことが多くなった。(それによって起きたJR宝塚線(福知山線)の事故は忘れてはならない。) 現在、その関西で新たな鉄道建設工事ラッシュです。脱モータリゼーションの期待の可能性が出てきたのです。 JR北陸本線・長浜駅及びJR湖西線・永原駅から敦賀駅(福井県)まで直流電化工事(これにより敦賀ー姫路・播州赤穂・上郡)間を新快速の直通運転)、JR城東貨物線の旅客化工事(JR大阪外環状線(新大阪ー久宝寺(大阪府八尾市)))、阪神電車西大阪線延伸工事(阪神・尼崎ー近鉄・難波、これにより阪神地区から奈良へ直通運転)、そしてJR嵯峨野線複線化工事(京都ー園部、複線化によって大阪方面へ直通電車開通)が全て完成すれば、新たな高速鉄道網ができる。
既に関西ではICカードが、JR(ICOCA)・私鉄(PiTaPa)で相互利用できるようになっており利便性の更なる向上が期待される。京都高速道路を建設する京都を除けば、関西は脱モータリゼーションに歩み始めている。 今日の独り言 ホンマは京都が一番に脱モータリゼーションに取組むべきやろ┐('〜`;)┌ 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
|
|
幼少の頃、京都市内へ行けばチンチン電車(路面電車)が数多く走っていた。どこの路線なのか思い出せないが、母に連れられて乗車した記憶がかすかにある。
次に覚えている光景は鮮明である。バスから見た敷設してあるレールや敷石を剥がす工事である。 僕が立命館大学で多くを過ごした以学館という校舎前には石による鋪装がしてあり、雨の日には不便な思いをしていた。しかし、不思議な鋪装であったが、なぜか気に入っていた。 たまたま受講した一般教育「科学技術史」の講義でかつて京都市電に使用されていた敷石と知って驚いたことがある。 都市公共交通に電車の営業運転を採用したのは、日本では京都が最初である。 京都電気鉄道株式会社が岡崎公園で開催された、1895年の第4回内国勧業博覧会へのルートとして淀川の伏見港から来場者を運ぼうとしたものである。 さらに日露戦争後の1906年、京都市は都市道路整備計画としての3大事業を提案・着手した。 1)第二琵琶湖疏水と上水道建設 2)市内主要道路の拡幅 3)拡幅道路への市営電軌道の建設 道路は在来の主要道路を拡げてそこに市営電車を走らせて、その収益で道路建設費の償還に充てるもので、1908年に工事着手した。 1918年、京都市は京都電気鉄道を買収した。軌道総延長距離は1939年には70キロメートルを突破し、最大時の1957年には76.83キロメートルに達した。 しかし… まず惜しまれる中で、北野線(堀川線)が1961年に廃止となった。
1962年度から京都市交通局収支は赤字にはなったものの、年間乗客数は1963年にピークを迎え、1日平均606千人を記録した。 京都市は赤字解消のために合理化に努めたが改善は容易なものではなかった。1965年に激増する自動車に対して軌道進入を開放したことにより定時区間運転が確保できなくなり、表定速度は低下し利用者離れに繋がった。 1966年に南北と東西の高速鉄道(地下鉄烏丸線、東西線)を建設し、枝葉にバスを活用する新都市計画体系を発表し議会の承認を得た。1968年から順次路線が廃止され、1978年をもって全廃した。 市電としては66年間、京都電気鉄道時代を加えると83年間の歴史だった。 しかし、もう既にドイツやフランスでは路面電車がLRTとして生まれ変わりつつあった。 現在の京都は阪急電車が河原町、京阪電車が出町柳まで延長され、地下鉄烏丸線と近鉄電車、地下鉄東西線と京阪電車京津線の相互乗り入れ、さらに現在行われてるJR嵯峨野線の複線化工事と高速鉄道網が整備されつつある。 しかし、街並は完全なモータリゼーション社会となってしまった。夏の京都は、自動車の排ガスとヒートアイランド現象による暑さでまともに歩けない。(特に堀川通、五条通) また、路面電車が廃止された当初には、久世橋、老ノ坂等で深刻な交通渋滞がおこるようになった。そして、自動車専用道路の建設等の整備がなされたが、渋滞する地点が移動しただけだった。 1997年の地球温暖化防止京都会議(第3回気候変動枠組条約締約国会議、COP3)の参加者は多くは地下鉄を利用されていたが、地上に出られたときにどのように感じられたであろうか。 そして、市電廃止から24年後の2002年度から京都市はLRTの研究の予算を計上した。 高齢社会による交通弱者の増加、地球温暖化問題を含めて考えるとLRTによって京都市電の復活を望みたい。 参考文献 田中正人・宇田正・西藤二郎『京都・滋賀 鉄道の歴史』京都新聞社,1998年 沖中忠順(著)、福田静二(編)『京都市電が走った今昔』JTBキャンパスブック,2000年 宇都宮浄人『路面電車ルネッサンス』集英社,2003年 宇沢弘文『自動車の社会的費用』岩波新書,1974年 岡並木『都市と交通』岩波新書,1981年 京都亀岡国際秘宝館・本館 http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
|





