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北海道日本ハム・ファイターズの新庄剛志選手が引退を表明しました。しかし、この表現には違和感があります。今でも、僕にとっては「(元)阪神タイガース」の新庄剛志選手なのです。
彼は、1989年ドラフト5位でタイガースに入団しました。この年は、野茂英雄投手一色のドラフトでした。タイガースは、野茂投手を指名するも抽選で外れて葛西稔投手(現 阪神2軍投手コーチ)を1位指名しました。
このドラフトは、初めて僕の同級生が指名されるドラフトでしたので鮮明に覚えています。
(1)葛西稔投手(法大)、(2)岡本圭治内野手(近大)、(3)麦倉洋一投手(佐野日大高)、(4)古里泰隆投手(福岡第一高)、(5)新庄剛志外野手(西日本短大付高)、(6)吉田浩外野手(高岡第一高)
同級生の友人たちとは、高校野球甲子園大会で活躍した麦倉投手に期待が集まりました。しかし、麦倉投手は2年目に成長を見せたものの肩の故障で球界を去りました。
一方、リーゼント(?)で入団会見に現れた新庄選手は、「何やコイツ」との評価でした。
この頃のタイガースは、「暗黒時代」。例年、最下位が続いていました。
しかし、1992年のシーズンに突如として、ヤクルト・スワローズと優勝争いをしました。当時の主力打者のトーマス・オマリー内野手(現 阪神駐米スカウト)が故障して、新庄選手が1軍に昇格します。すると、「あっ」という間の大活躍でスターに。ヘッド・スライディングの亀山選手と「亀・新」フィーバー!
僕は、タイガースの応援に何度も阪神甲子園球場に足を運んでいました。しかし、1回も勝ったゲームを観たことはなかったのです。
そんな僕に、初勝利をプレゼントしてくれたのは、阪神タイガース・新庄選手だったんです。
時は、1992年9月15日の対広島カープ戦。両チームとも得点できないまま延長戦へ、カープは抑えの切り札の大野投手へ交代。
「またしても・・・あかんのか」と不安がよぎりました。
打席は新庄選手。打球は、レフトスタンド方向へ!一瞬、球場全体が息をのむように静まって打球を追う・・・。
「どうや、どうや、入ったでえええ!サヨナラ・ホームランやあ!」
その後の、甲子園はお祭り騒ぎでした(笑)
が、新庄選手はインタビューで「優勝します。」と、一言。翌日から連敗で、遂には優勝まで野村・ヤクルトにさらわれました・・・。
これから後、タイガースの選手はヒーロー・インタビューで「優勝」と言うのがタブーとなったのです。2003年の今岡・広沢選手まで・・・。
桧山選手を始め、阪神タイガースの選手は言っています。「アイツほど、隠れて練習していたヤツはいない。」と・・・。
それ行けGO新庄 燃える男 それ行けGO新庄 根性見せろ!かっとばせー、新庄!
また、一人と同級生の選手がユニフォームを脱ぐのか・・・
「まったけ日記」1〜50は、こちらまで「http://www.geocities.jp/f4_ttm/index.html
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