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我孫子を過ぎ、利根川を渡って取手を通過。交直のデッドセクションも関係なく走り続けます。当時は常磐線は401系などの古い交直流電車が走っていて、頼りない非常灯が点いたりしてわびしい感じがありました。今日は余裕です。21時45分、最初の停車駅である土浦着。そこで車掌さんから「Bネのお客さん?それなら寝台に戻ってね。A寝台のお客さんがタバコを吸えないから。」と優しい口調で言われました。もっともな話です。ホームに出て、6号車に戻りました。
やがて列車は水戸に到着。2分の停車。車内に自販機などない時代でしたので、ホームで何か買おうにも危険です。しかたなく横になって息をころしていると、何人かお客さんが乗ってきました。中段にも乗客が加わり、FABテツのボックスは6つのベットはいっぱいです。
水戸を発車してしばらくすると車内は減光されました。夜行ムード満杯です。そのあとは律儀に洗面所で歯を磨き、冷水機の水を飲んで横になりました。それでも外が気になって仕方なく、平も原ノ町も停車するたびに起きていました。時計を見ると1時30分。さすがに眠くなってきたようです。シーツのひんやりした冷たさと、揺れに慣れてきました。
寝起きは次号に続きます。
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編成に沿って乗車する6号車をめざします。電源車に続いて名物のナハ21。そこそこの乗車率でした。A寝台そのままの座席で過ごす夜の旅も興味ありますが、我々はB寝台車に乗り込みます。そこで、FABテツがこまめに記録していた当日の編成表を公開します。
アミがかかっているのが、乗車したナハネ20 34。製造は昭和39年。車体は少しくたびれていましたが、さすがは特急用車両。なんというか、貫禄があります。列車特有のにおい。今夜の寝床は16番の下段。荷物を収めて、通路の椅子に座ったり落ち着かない感じでした。発車前でしたが、編成を見て回ります。先頭は残念ながら切り妻のナハネフ23なのですぐに折り返してきました。乗客はほとんどが若いグループ。「走るホテル」と呼ばれていた頃の客層とはちがうのでしょうね。
20時50分、定刻通りに上野発車。鶯谷のネオン、三河島あたりのカーブ、通い慣れた道ですがいつもと違う風景にみえます。まだ寝るつもりはないのですが、カーテンを閉め、寝台側のロールスクリーンを細く開けて流れゆく夜の街をながめます。綾瀬、亀有、金町は寝台側から常盤緩行線のホームがみえます。ホームに立つ人たちが視線を向けてきます。江戸川の鉄橋を渡り、松戸を通過するあたりで、ナロネの喫煙室に行きました。
当時はロビーカーなどないので、時間を潰す場所がなかったのです。列車は軽快なジョイント音で走ります。
次号に続きます
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昭和52年(1977年)の10月、ダイヤ改正で20系客車が常磐線の急行「十和田2号」に置き換わりました。FABテツはこの頃は常磐線沿線に住んでいたので、初めてその走行シーンを見たときはしびれました。座席車に充当するためにA寝台車を改造し(ほとんどナロネ21だけど)、電源車に続く11両はすべて20系。一瞬、A寝台が4両もついているのか!と目を疑うような光景は今でも忘れられません。その日からバイトに精を出し、ついに貯めたお金で憧れの20系に乗り込むこととなりました。(前の夜なんか、興奮して眠れなかったほどで
乗車したのは昭和53年(1978年)8月20日。20時50発だけど、自宅からの出発に手間取りモタモタしていて上野に着いた頃には20系はもう入線していました。あららら。http://fujitatsu4.cocolog-nifty.com/blog/images/2012/12/27/20121227_194253_2.jpgまだ東北・上越新幹線の上野駅開業前で、十和田2号の発車する19番線はご覧のような地上駅で、薄暗いホームでした。それが却って「北に向かう夜行列車」の雰囲気があって、期待を高めてくれたものです。最後尾の電源車が唸りを上げていました。電源者のとなりから1号車、2号車の順。さて、FABテツの乗る6号車はどこでしょう。楽しみだなー(次号に続きます)
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はじめまして!FABテツです。FABテツは今年50歳。物心ついたころから鉄道が好きで、関東に住んでいたのでよく上野駅や東京駅に用もないのに出かけていっては、特急や急行の姿に時間を忘れていました。その後、カメラを買ってもらい写真を撮り、高校生になった頃からアルバイトで貯めたお金でローカル線に乗りにいきました。乗っただけでは飽き足らず、帰ってきて旅行記を書き溜めておりました。久しぶりに先日、読み返してみると懐かしいこと。これはほかの趣味人にも読んでいただきたいと思って、このブログをスタートしました。もうひとつの「FAB」の由来はまた次回。これから順次、書いていきますので宜しくお願いします。
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